『日の名残り』 自分で考えない生き方

『日の名残り』の著者カズオ・イシグロがノーベル文学賞を受賞した。最近、この映画版の話をしていたばかりだったので親近感が湧いた。ジェームズ・アイヴォリー監督でアンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソン主演のこの映画、原作者の人物像などまったく気にしていなかった。イジワルな視点もふんだな本作。純粋なイギリス映画と思っていた。今回のノーベル賞受賞で、原作者が日系人だと初めて知った。日系英国人によって書かれた話となると、作品の感じ方も変わってきてしまう。
原作未読なのでわからないが、ジェームズ・アイヴォリー監督作なので、きっとロマンスが強く脚色されているんだろう。
仕事はできるけど、生きるのが下手な人間の悲しみを、アンソニー・ホプキンスがこれでもかと演技をしている。主人公本人にとっては、苦しく悲しい人生観なのかもしれないが、映画として客観的に描かれると、主人公の挙動ひとつひとつが笑えてしまう。悲劇と喜劇は紙一重。
舞台は第二次大戦直前のイギリス。アンソニー・ホプキンス演じるスティーブンスは、極右貴族の元に仕える執事。仕事は完璧だ。住み込みで働く執事というのは、ファンタジーの題材によく使われる。生活のすべてが職場に従しているのだから、プライベートなどない。彼の人生そのものが執事の仕事。恋愛やら、自分の家族を持つなんて考えたこともない。おのれの人間性をひたすら押し殺す。たとえ実の父が倒れても、それは仕事を邪魔する厄介ごと。自分の人生を向き合おうとしないスティーブンスの逃げ腰な態度に、だんだんかわいそ過ぎて笑えてくる。
いつだって人生に取り返しはつくものだ。年甲斐もなく新しいことに挑戦することは、一見バカにされそうだが、本当はとてもいいこと。
でも、本来その時にやるべきことに向き合わずにできてしまう「人生の忘れもの」があまりに多くなり過ぎてしまうと、おのずと自信がなくなり「怖いもの」ばかりになってしまう。面と向かって人と話すのも恐怖。もうそうなるとただの偏屈になるしかない。
エマ・トンプソン演じるケントンが、読書しているスティーブンスに何を読んでいるのか聞く場面がある。スティーブンスは頑なに本を見せない。この場面の緊張感たらない。このやりとりがなんともエロティック。アンソニー・ホプキンスもエマ・トンプソンも演技がうますぎ!
スティーブンスが読んでいた本は、かわいらしい恋愛小説。ケントンは最初はわいせつな本なのかと推測したが、スティーブンスは「ご主人様の書棚にそんなものがあるはずがない」と否定する。ならば政治的に危険なもなのかと疑うと、そうでもない。大のおじさんが、恋愛小説を読んでたのが見つかったくらいで、これほどの動揺。
スティーブンスは仕事以外のことは、とにかく何も考えない。主人の思想ややっていることにも関心がない。自分にはとやかく言える立場ではないと。戦争を食い物にしているマッチョな連中が屋敷に集まる。本来のスティーブンスならきっと苦手な連中だろう。
恐ろしい行いをしている者への「考えない」という行為は、それを加担するのと同等だ。仕事以外のことは考えない。自分の人生のことも、自分の周りで起こっていることも。スティーブンスは、彼の人生において多くのチャンスを逃していく。
ケントンと再会した、人生の黄昏期のスティーブンスは、ケントンのあの頃の気持ちを初めて知る。でももう遅い。覆水盆に返らず。日の名残り。いままで変化を拒み続けた男は、きっとこれからも変わらない。成長を拒むことの愚かしさ。
「仕事仕事」と自分の人生と向き合わず、ただただ忘れものばかり増やし続ける日本のビジネスマンにも近しいものがある。日系人であるカズオ・イシグロの遺伝子が囁いているのだろうか。ワーカホリックという病。
思えば現代日本の中高年の男性で、やたらとおセンチな作品を絶賛する姿も、同じ悲しみをはらんでいる。
不思議なのはエマ・トンプソン演じるケントンが、なぜスティーブンスのような男に惹かれたのか? そもそもそこに不幸がある。戦争で一儲けしようとする危険思想の貴族の屋敷で、日々生活と仕事をしていて、知らず知らずのうちに心を蝕まれていったのか。ちょっと考えれば、そんなところで働きたいと思うはずがない。
仕事はめちゃくちゃできるけど、ダメ人間な男女の話。闇は深いが、それをユーモアで包んでいるのは上質な大人の味わい。
静かで暗い話なのに、終始ニヤニヤさせられる。不思議な感覚の映画だ。
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