『健康で文化的な最低限度の生活』 貧しさが先か、病が先か?
「なんか該当しそうな給付制度ありました?」 これは最近パパ友との会話で欠かせないトピック。このコロナ禍で、どこの家にも大なり小なり経済的悪影響がのしかかってきた。2回の非常事態宣言は、1回目のそれよりも確実に、じんわりと不景気感を重く肌に感じさせている。本格的に倹約に取り組む人たちも増えてきた。これから緊急事態宣言が解除されるが、落ち込んだ経済状況を降り戻すのは容易くはなさそうだ。
昨年の春の緊急事態宣言では、国民のほとんどが自宅に篭り『ステイ・ホーム』に協力した。かなり遅ればせだったが、一律10万円の給付金も支給されたので、ギリギリなんとかやってこれたという人も多い。
政府の意見は「一律給付金を貰った人はみな貯蓄にまわしてしまったので、経済効果はなかった」として、再び一律給付金を支給することはないとしている。実際には、「この給付金で借金を返した」とか、「気が大きくなって、貰った金額よりも大きな買い物をしてしまった」とか、使い道はさまざまだった。「貯蓄にまわした」なんて声はあまり聞いたことがない。多くの人が、普段からのギリギリの生活をしのぐ活路となった。
今年に入っての2回目の緊急事態宣言は、一部の人をのぞいてほとんどの人には補償が下りない。もう完全な『ステイ・ホーム』は困難になった。働かなければ生活はできない。企業が自粛になれば、まず最初に非正規雇用で働く人の収入に影響がでる。各家庭での経済状況や働き方が大きく変わってきた。
コロナ禍でいろいろと給付制度が設けられているが、なかなかドンピシャで該当する条件のものはみつからない。仮に近しいものがあったとしても、必要な書類を集めるのも困難で、なかなかハードルが高い。だからパパ友間で交わされる「該当しそうな給付金ありますかね〜」と言う挨拶は、半分自虐的な冗談でありながら、切実な問題でもある。
最近は少し軟化した意見も出つつあるが、国はやっぱり今のところ再度の一律10万円給付金支給予定はないらしい。国民の漠然な不安は募るばかり。「生活保護があるんだから、それを利用すればいい」という首相発言で、一般の生活保護への関心が一気に向けられた。生活保護は、最後の砦という印象は否めない。
湯浅誠さんの著書『反貧困』の中では、日本での生活困窮者のセーフティネットは生活保護しかなく、ひとたび収入源がなくなると真っ逆さまに、それこそ「すべり台を落ちるように一気に落ちてしまう」という。また、藤田孝典さんの『下流老人』などで語られているのは、ついこの間まで高収入だった家庭でも、本人かその家族が病気や事故に遭遇したり、要介護になったりして長期に収入源をなくしたら、即貧困生活に陥ってしまうらしい。まさか自分がホームレスになるとは、という事例は山ほどあるとのこと。ちなみに藤田さんは、この2回目の緊急事態宣言からずっとSNSで、再度の一律給付金支給を訴えている。
収入減で生活困難になったら、生活保護しか救済の場はないのか。もしもに備えて、よく調べておいた方がいい。生活保護の基準としての例として、シングルマザーで子供2人の3人家族が月に必要な金額は26万円強となっている。やっぱりどんなに切り詰めてもそれくらいはかかりそう。でも果たしてそれだけの月給を払えている企業がどれだけあるのだろう。家族が普通に生きていけない料金設定。これは社会構造に問題がありそうだ。
大和彩さんが書かれた『失職女子。』という本は、ご自身の生活保護受給生活を、ユーモラスに明るく伝える体験談。どんなに明るい文体で書いてあっても、そこに描かれている状況はかなり悲惨。役所のケースワーカーさんが心配して自宅訪問してくる。「側から見ると、自分はかなり生命が危険な状態に見えるらしい」 自分が思っている自分の姿と、客観的視点での判断との乖離には驚かされる。『失職女子。』が文章のメディアでなく、映像作品だったとしたら、最初から視聴者も客観的判断ができて、先入観で見てしまう。自分の正確な状況判断は、自分だけでは不確実なものだ。
中村淳彦さんの『東京貧困女子。』という本も衝撃的だ。学費を払うためにセックスワークで働く若い女性たちの姿がそこでは紹介されている。堅実な生活を求めるために学校へ通うのに、そこの学費が高額すぎて、不安定な生活をしていかなければならなくなる。奨学金という名の、国からの借金制度のカラクリも恐ろしい。学費の借金返済に一生を捧げるのでは本末転倒だ。
このコロナ禍の影響で、生活保護の存在が大きくなってきた。きっと役所はいま、申請者で殺到しているのではないだろうか。実際その方がいいと思う。みんなが動けば、社会制度そのものが変わらざるを得なくなってくる。結果的にみなが生きやすい社会になっていく。
2018年のテレビドラマ『健康で文化的な最低限度の生活』という、生活保護を全面的に描いている作品があるのを知った。「健康で文化的な最低限度の生活」とは、日本国憲法の国民の生活を営む権利を語った部分の引用。なんだか嫌な響きだ。その言葉から受ける印象は、人の尊厳が軽く見られているようにも感じられる。
湯浅誠さんの本にも書いてあったが、経済的な余裕がないと、人は挑戦ができない。「最低限度の生活」では、現状維持が精一杯で、次のステップには踏み出せない。「貧しい人は一生貧しいままでいろ」と言っているようなものだ。だから貧困状態になった人には、多めの金額支給が望ましい。「貯め」というやつ。「ヨイショ」と乗り越える助走と力。「ずるい」と他者が責める感覚は、それこそポイントがズレている。「ずるい」と感じるのは、その発言者も苦しい状況の可能性がある。そう言う自身も、自分を救済してくれる社会資源を探す努力をした方がいい。他人や弱者をやっかんでいる暇はない。
ドラマ『健康で文化的な最低限度の生活』は、ケースワーカーという生活保護受給者のサポートをする職業の紹介作品だ。自分にとっては、「ケースワーカーってどんな仕事?」より、「生活保護ってどんな制度?」ということの方が興味深い。
藤田孝典さんのルポにもあるように、役所の水際対策は「いかに生活保護申請者を追い払うか」に力点が置かれてれている。これは社会問題にもなっている。人を救うのか、見殺しにするのか。ドラマを観ると、明日は我が身かもと、身の毛もよだつ恐ろしい話ばかり。
主人公を演じるのは、今や人気俳優の吉岡里帆さん。新人ケースワーカー・義経えみるの目を通して、この職業の紹介をしている。吉岡里帆さんが、おかめさんみたいなありがたい顔なので、無条件に正義感のある心優しい人と視聴者に思わせてくれる。彼女は、視聴者視点の語り部。信頼できるけど個性が薄い方がいい。このドラマの本来の主役は、毎回のゲストである生活保護受給者たち。受給者が主人公だとあまりに悲惨な話ばかりなので、ワンクッションの、語り部が伝える一話完結スタイルの方がいい。
ドラマはエンターテイメントなので、視聴者を面白がらせなければならない。現実を加味した上でフィクションで膨らませていく。どうしてもセンセーショナルな部分が取り上げられてしまう。ドラマで描かれているような状況は、実際に起こっていることだろう。ただこれほどの大変な事例が毎日起こっていたら、ケースワーカーさんの身がもたない。
武田鉄矢さんの『金八先生』が放送されているとき、実際に教育の場で働く人たちが、「金八先生のような働き方をしたら、自分が死んでしまう」と漏らしていた。ドラマは実際の教育問題に切り込んでいく。金八先生は、生徒の生活を心配して、寝る間も惜しんで生徒の家庭にどんどん踏み込んでいく。先生の本来の仕事は、学校で授業を教えること。生徒の家庭に介入するのも限界がある。金八先生のドラマチックな仕事が、現実の先生の仕事のスタンダードになってしまったら、実際の教職者はたまらない。「金八先生なら、あそこまでやってくれるのに、うちの先生は怠慢だ」と、ドラマと現実を混同して、教職者に必要以上の負担を社会が求め始める危険性もある。教職者の職場のブラック化への温床。金八先生の功罪ともいうべきか。
ドラマ『健康で文化的な最低限度の生活』は、実際のケースワーカーさんも頷ける描写が多いと聞く。死と隣り合わせの生活保護受給者の話は悲惨だ。コメディセンスの高い俳優さんたちの演技で、前向きで明るい方向へ運んでいく工夫はされている。社会派の内容だけど、このドラマの放送時の視聴率は低かった。題材があまりにもシビアで地味なので、エンターテイメントとしては難しい。ここのところの政府の生活保護発言で、このドラマが再注目され始めたのは皮肉なことだ。
「あんたらは誰の味方なんだ!」と、受給者たちがケースワーカーに詰め寄る場面が多い。困っている人への社会資源供給を渋るのは、今の日本の基本的な方針。不正受給を恐れるあまり、厳しい規制が張られる。助けを求めた人をみすみす自死に追い込んでしまうことも度々報道される。ドラマや湯浅誠さんの本でも記されているが、実際の不正受給者は全体受給者の3%に満たないという。ほとんどの受給者は、人間らしい生活に戻りたいと努力する。少数派の3%のために厳しい枷を築いて、生き延びたいと切望する人を追い払っていくのは、更なる閉塞感のある社会に邁進していくだけに過ぎない。
不正受給をしてしまう人の心理。支給された生活保護費を、貰ったその日に酒やギャンブル、遊びに使い果たしてしまう。それは精神疾患によるものと捉えた方がいい。正論をぶつけたところで、当事者にはどうすることもできない。正義を説くよりも、一刻も早く治療を進めた方がいい。
お金がなくなると人の心は荒む。心が荒んだ人は、やがて病になっていく。生活保護受給に至るには、働けないなんらかの事情がある。精神疾患や精神障害が原因かも知れない。そもそも多様性を認めない社会構造に問題がある。ドラマではそれをわかりやすくするためか、前半はまどろっこしい描写が多く、かなりヤキモキする。ドラマが2018年制作というが、2021年の今になったら、もう少し世の中が他者への理解が深まり、寛容になってきたと願いたい。この数年で社会は大きく変化していて欲しい。
貧困の原因が、社会の不寛容や精神疾患によるものとわかってくれば、ケースワーカーさんの負担も減ってくる。社会資源や医療など、行政や民間のあらゆる部門が連携していけば、向かうべき問題が簡素化されていく。それらをまとめていけるのは国の力以外の何者もない。
AIが仕事を奪うという説があるが、もしAIが人間の知能を上回るシンギュラリティが来たとしたらどうなるか。自分は意外と楽観視している。人の知能より優れた存在が社会を築くとしたら、『ターミネーター』のように人間に反旗を翻すより、共生の方法を選ぶだろう。その合理的な方法を、人間に説得してくるのではないだろうか。むしろそれに耳を貸そうとしない人間の方が脅威だ。
よりよい社会を築くには、社会構造を何度も検討し直して、アップデートを繰り返していかなければならない。結果先にありきなどあり得ない。努力は永遠に続く。
ドラマに登場するケースワーカーたちは、自転車で受給者たちの家庭訪問へ向かう。自転車はこのドラマで重要なアイテム。
主人公・えみるが自信喪失して、「私、この仕事に向いてないかも」と落ち込んでいる。川栄李奈さん演じる同僚が、「自転車に油さしといたから」と、ぶっきらぼうに言う。「明日からキーキー音を立てずに、訪問行けるから。おつかれ」と帰っていく。粋な慰めのセリフ。なかなか普段からこんな気の利いたことは言えそうにない。最近のドラマは深入りが過ぎる、見たままの表現が気になっていた。視聴者にいろいろ想像力を掻き立てるこんなセリフはカッコいい。
役所の自転車置き場は、建物の半地下にある。出発するときはどうしても坂を登らなければならない。ドラマのケースワーカーたちは誰もみな、自転車を転がしてゆっくり登ることをしない。勢いよく坂を駆け登り出発して行く。
どんなに社会のIT化が進んでも、人の力が人を救って行くのだと思う。
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