『コーダ あいのうた』 諦めることへの最終章
SNSで評判の良かった映画『コーダ』を観た。原題の『CODA』は、音楽用語の最終楽章の意味にもあたる。最終楽章の物語。それも聴覚障害者の家族の話と聞いていたので、お涙頂戴の悲しい話なのかと思っていた。泣くのは疲れるからイヤだ。ちょっと覚悟を決めて鑑賞に挑んだ。映画が始まってすぐ、コメディなのがわかってホッとした。クスクス笑いながら、このろう者の家族の事情に近づいていく。登場人物がみんな魅力的。この人たちに好感を抱いていくうちに、障害者とそうでない者との差を見せられていく。
タイトルが示すCODAとはChildren of Deaf Adultsの意味。親がろう者を持つ、聴覚に障害のない子どものことを言う。音楽映画なので、もちろん最終楽章のCODAにもひっかけているだろう。耳が聞こえない家族の話を、流行りの音楽映画の系譜に持っていくところがニクい。
始まって数分で名作はわかる。映画『コーダ』には、まるで映画の神様が降臨したのではと思うくらい、楽しい魔法がかかっている。この映画が今年のアカデミー賞作品賞を受賞していたのをすっかり忘れていた。とっくに世の中で評価されている作品を、いまさら褒めちぎる野暮なことをしてしまった。いまハリウッドでこの映画が評価されるのは至極当然。
昨年のアカデミー賞は、政策によって家を奪われた老人たちを描く『ノマドランド』、その前は格差社会を描いた韓国映画の『パラサイト』。近年では社会的弱者やマイノリティに触れるのが一種の流行り。それが今だけの流行にとどまってはいけない。映画というエンターテイメントだからこそ、楽しく社会問題を啓蒙できる。エンターテイメントを通して、社会のガス抜きも必要だ。もちろん逆にプロパガンダに利用するのも簡単だから要注意。世界中が不景気でキナ臭い。エンターテイメント作品で描くべきテーマは、世の中にいくらでもある。
映画『コーダ』を検索すると、必ずフランス映画の『エール!』が引っかかってくる。『コーダ』は『エール!』のリメイク作品。オリジナルの『エール!』も観てみると、意外と凡作。フランスではヒットしたらしいが、選曲も含めてお下劣ネタの多さに閉口してしまう。フランス人の頭の中はエロばかりなのかしら。下ネタばかりだと、登場人物たちが、知性のない愚かな人たちに見えてきてしまう。よくもまあこの作品をリメイクしようと目をつけたものだ。
原作『エール!』とほとんど同じプロットにも関わらず、『コーダ』は全く別のテーマを持つ映画となった。原作の問題点に整合性をつけている。原作をさらに深掘りして、作品の中にある社会問題をじっくり浮き彫りにしていく。お下劣コメディが社会派風刺コメディに変化する。アカデミー脚色賞受賞も当然のこと。リメイクものはオリジナルには勝てないというジンクスを、ことごとく覆す。
主人公ルビー・ロッシ家は、父母兄妹の4人家族。ルビー以外は聴覚が不自由なろう者。ファミリービジネスで漁師として生業をしている。ルビーは耳が聞こえない家族の間に立って、手話通訳をしている。だからルビーがいないと家業が営めない。これではルビー自身の人生が歩めない。
ロッシ家はみな仲が良いが、生活は貧しい。障害者一家で、社会に舐められているのもある。それに加えて、そもそも労働者に対する搾取が厳しい。市政の人々が日々苦しめられている。企業は守っても個人は見捨てる社会構造に対する疑問。
ロッシ家は父も母も兄もろう者。この一家で唯一耳が聞こえるルビーは、この家族ないではマイノリティ。皆耳が聞こえないから、異常に生活音がやかましい。家の中ではルビーの方が障害者。だけどそんなルビーは歌が上手い。耳に強い特性のある一家なら、極端に耳の良い子が生まれても不思議ではない。
「ベルナルドと舌を巻いて発音できなければ、V先生と呼べ」 気難しい合唱の先生が楽しい。この先生がいつも不機嫌なのも特性を感じる。V先生はすぐさまルビーの才能に気づく。そしてルビーがほのかに気にしているマイルズとの相性まで見抜く。ルビーとマイルズとのデュエットの課題を与える。人生にはメンターが必要だ。V先生の直感力が、映画を動かしていく。
この映画はロッシ家の物語。マイルズの家族の話や、V先生のプライベートは路線から外れるので描かれない。でもどうやらV先生は育児をしてるらしい。てっきりLGBTQだと思っていた。V先生、結構なおじさんだと思うけど、小さなお子さんがいらっしゃるのね。子どもと遊んだりするのかと、想像すると笑えてくる。映画にはこういった行間も必要。
V先生はロックがお好きなようなので、選曲がすかしてなくてクール。ジョニ・ミッチェルの選曲は感動的だし、デヴィッド・ボウイはご愛嬌。楽曲が登場人物たちの心情をなぞっていく。
ルビーの家族は、ルビーの歌唱力が信じられない。だって聴いたことがないのだから。いちばんに自分の歌声を聴いてもらいたい人に、その声が届かない。物語は親離れ子離れの自立の話となっていく。
ルビーはずっと家族の手話通訳を務めてきた。このままルビーが欠員することは、家族が社会とのつながりを無くすことにもなる。ヤングケアラー問題にも作品は切り込んでいく。旅に出たいと決心した若者は、本来なら祝福されて旅立つほうがいい。
社会に多様性が求められるようになってまだ日が浅い。多様性を受け入れるということが、マジョリティがマイノリティを受け入れるだけのことのように思われがち。マジョリティの理解が必要なのはもちろんだけれど、どうやら問題はそれだけではなさそうだ。
目立つ障害を持つ人は、ずっと差別されて生きてきた。どうしても「どうせ自分なんて……」と意固地になって引っ込んでしまう。そうなると所謂健常者と言われるマジョリティは、自己卑下しているマイノリティを見て、別物意識の壁をつくる。卑屈な奴らとイジメの対象にする。でももうそんな差別や分断の時代は終わりにしたい。
この映画の役者さんたちのツラ構えがみんない良い。ろう者の役は、実際のろう者の役者さんが演じている。映画を観ていると、耳が聞こえない以外は、何も違わない同じ人間だとすぐわかる。こんな人たちが、不遜な扱いを受けるのはあまりにも理不尽で悲しい。
家族が娘を失いたくないのは、彼女に依存することが日常化してしまっているから。でも本当にルビーが居ないと、この家族が全員ダメになってしまうのだろうか?
この映画の真のテーマは、マジョリティの差別ではない。マイノリティの勇気こそが問われている。障害者だろうが健常者だろうが、私たちは皆と変わらない普通の人間だと、胸を張って生きていく勇気。
障害者だから助けて欲しい。助けてもらうだけの人生には引け目を感じる。そんな感覚にはケリをつけたい。そもそも健常とはなんだろう。障害者というならば、誰でも何がしらの障害は持っている。多様性の世の中というのは、健常者が損をして、障害者がただ救けを求めるだけの世の中では決して無い。誰もが自分を愛せる世の中へとなっていくこと。映画は今後の理想の社会のシミュレーションを示してくれている。手話ができない相手なら、ルビーの兄貴みたいにSNSのチャットツールで話せばいい。ちょっとした工夫で、世の中の見え方は変わっていく。
自立とはなんだろう? 自助の必要性を語って、公助の不要性を仄めかして炎上した政治家もいる。政治家が公助をしないと言ってしまうのは問題だが、自分で努力する自助をしないでいいというのもまた違う。
障害のある人が、養護施設に入ってホッとするのはよくわかる。でももっと人間らしい生活を求めるなら、自分で努力していかなければならなくなる。健常者だって自分で生きていくのはやっと。そうなると健常者も障害者もなくなる。問題は自分より弱者に怒りを向けるのではなく、上にその思いを向けていくこと。選挙に行ったりして為政者に訴えていくこと。それを続けられれば確実に社会は良くなっていく。自助と公助の歯車が、こうして噛み合っていく。
ルビーの才能は、どこまで開花するかはわからない。もしかしたら数年後、また家族と一緒に漁師になっているかもしれない。それも良い。ルビーはチャンスの扉の前に来て、その鍵を手に入れた。扉の向こうに何が待っているかはわからない。でもチャンスを手に入れたなら、試さない手はない。
家族それぞれの自立の旅が始まろうとしている。被害者意識はもう終わり。その旅がどんなものなのかは、また別の物語。ひとつの古い価値観が終わって、新しい常識に世の中が刷新されていく。それは今よりもずっとより良い社会になることを夢見ている。誰もが生きる喜びを知る社会を目指して。
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