『gifted ギフテッド』 お金の話はそろそろやめて人権の話をしよう
「ギフテッドを持つ子どもの支援を国をあげて始めましょう」というニュースがあがった。自分のSNSのTLが俄かにざわついていた。
そもそもギフテッドとはなんぞや。生まれつき天才的な才能を持つ人のことを呼ぶらしい。天から授かった才能。芸術家や科学者、数学者など、誰が教えたわけでもないのに、小さな頃から飛び抜けた才能を持つ子ども。あまりに早熟で達観しているため、学校生活に馴染めず、引きこもりになってしまうこともある。場合によっては、その子どもらしからぬ個性の悪目立で、いじめの対象にもなりかねない。国としてはみすみすその才能を眠らすわけにはいかない。ギフテッドの子どもたちを支援して、国の経済につなげられないかと考えるのは至極当然。
ギフテッドを国が支援するという発想は、アメリカで既に行われている「ギフテッド教育」からの影響だろう。ギフテッド教育が、その子に見合った教育を早期に受けさせることで、その分野が活気付くこともある。ただこれは諸刃の剣。業績に目が眩んで、その子に過度な期待が注がれてしまう。いくら得意分野といえ、その学問以外の人生を送ることが許されなくなってしまう危険性すらある。
ギフテッドは発達障害のひとつの症状。近年、「発達障害はカッコいい」みたいな考えが生まれるのは、「発達障害=天才」という誤解があるからだろう。多くの発達障害の人は、天才とは無縁。偏った感覚に日々悩まされている。以前の「うつ病がカッコいい」の現象に似ている。少しばかり病を抱えていた方が魅力的に見えるような、ドラマや漫画の影響が大きい。実際ここまでうつ病が日常的になってしまった今では、カッコいいどころか、ただただ辛い病なのだと理解され始めていると信じたい。うつ病は表に見えない病なので、「甘えている」とか「気合い入れればなんとかなる」みたいな精神論も、いまだに平気で飛び交っている。
クリス・エヴァンス主演の『ギフテッド』という映画の存在は知っていた。クリス・エヴァンスといえば、『キャプテン・アメリカ』のイメージが強すぎる。監督のマーク・ウェブは、『アメージング・スパイダーマン』シリーズの監督さん。主演も監督も、ヒーローものからのイメージばかりが先行してしまうのはツラい。マーク・ウェブ監督なんかは、『(500日)のサマー』みたいな作風に戻りたいところだろう。
この映画の日本公開版のポスターを見て、これは自分には関係のない映画だと判断してしまっていた。クリス・エヴァンスと小さな女の子とのツーショットは、まるで『アイ・アム・サム』の二番煎じ。ショーン・ペンと天才子役だったダコタ・ファニングの顔が浮かぶ。お涙頂戴の亜流映画にみえる。『ギフテッド』というタイトルも、今流行りの言葉を無意味に使用しているだけと思わせる。この哀れそうな父と娘に、亡き母からのギフトが送られてくる話なのだと勝手に決めつけていた。そして後から観た日本版の予告編も萎えさせた。本編で使用されない音楽が使われ、ジャンジャン盛り上がってきて、最後に日本語でためいきのようにタイトルをつぶやく。いつからかこんな予告編がパターン化されてしまった。映画ファンとしては「もうこの映画、観なくていいかな」という気分にさせてもらえる。
今回のギフテッド教育報道で、この映画を話題にする人もいた。自分はその話を聞いて、初めてこの映画が自分の知っているギフテッドと同じ事柄を題材にしているのを知った。『ギフテッド』とズバリそのままのタイトルなのに、おかしな方向に邪推させてしまう。日本がまだギフテッドなんぞにまったく理解がないという、世界的な遅れを露呈している。「どうせ社会派なんて興味ないでしょ?」と観客を見下している。きっと予告編を作った日本の配給会社は、映画もろくに観ていないのだろう。幾重にも失望のダメージを食らってしまった。
映画『ギフテッド』は、日本ぽく言うなら「笑いあり涙ありのハートフル・コメディ」。世界の映画賞のジャンル分けでは「ラブコメ」。ラブの要素がなくともラブコメと、一括りにしてしまうところもザックリしている。映画というエンターテイメントは、啓蒙の要素もある。ギフテッド教育の弊害について、映画を通してじっくり描いている。
クリス・エヴァンス演じるフランクと、7歳の少女メアリーは親子ではない。ここがキモ。メアリーの母親はフランクの姉。親戚のふたりが、親子同然に暮らしている。メアリーは数学に天才的な才能を持っている。メアリーの母も同じ特性を持っていた。メアリーの母は自死している。その悲劇を直接描かないところに、演出のセンスを感じる。
ギフテッド教育の弊害を、この映画が綴っている。天才に憧れる時代はもう終わった。もしギフテッドを持つメアリーの母親を主人公にしてしまったら、暗く重い作品になってしまう。悲劇の前例を知る主人公たちの目と、額面通りの成功を目指す第三者の考え方を交えた確執の物語。
そういえばフランクとメアリーの最大の理解者である、隣のおばさんの役者さん見たことある。『ドリーム』という、これまたヒドい邦題の映画で、数学の天才を演じていたオクタヴィア・スペンサーだ。このキャスティングは確信犯。
映画『ギフテッド』は、ギフテッド教育についてテーマが絞られている。『ギフテッド』も『ドリーム』も、ギフテッドを持つ者の生きづらさに言及することはない。それはまた別の話なのだろうか。
ひとりの人間ができることには限界がある。ギフテッド的天才には、普通の人が当たり前にできることができなかったりする。社会で生きることの困難さがついてまわる。天才はひとりでは生きていけない。ギフテッド教育が、天才をサポートするものなのか、ただただ才能を搾取するだけのものなのか。どちらわ選ぶかで、行く道は大きく変わってしまう。
日本の社会はよく「やりがい搾取」と言われている。元気で真面目に働いていても、働く場所が悪ければ、生活苦に悩まされ続ける。近年では「働き方改革」が進んで、大企業などでは社内コンプライアンスがしっかり整ってきた。残業や休日出勤の管理が厳しくなり、パワハラやセクハラの社内教育も導入されつつある。反面で、「働きやすい環境づくりを企業努力でしているのだから、薄給はあたりまえね」と、ワーキングプアを排出する企業が増えているのも現実。体裁は雇用を多く算出したことになるが、生活困難のために転職を余儀なくされてしまうのでは、結果的に社会悪。「制度ブラック」という言葉もあるらしい。
日本の社会情勢がこんな感じだから、ギフテッド教育を推進すると言われるとザワついてしまうのはなんとなくわかる。なによりまずは、健康な一般市民が普通に働くだけで生活が成り立たねば、次の段階にはまだまだ早い。会社の構造改革よりも、社会の構造改革が必要。もっともひどい展開として、天才と凡人を比べて、優生学みたいな危険な思想に逆戻りの恐れも想像できる。カネや名声がいちばんの幸せみたいな経済第一主義は、暴力的な発想につながりやすい。そんな考え方からはそろそろ卒業したい。
人が幸せになるには、ある程度のお金は必要。でも欲を張ってしまうと途端に不幸になる。日本人はどんなに搾取されても、真面目で勤勉に働く。生きるために働く、働かなければ生きていけない。「働かざるもの食うべからず」って、稼がなければ人権がなくなってしまうのだろうか。
もし才能豊かな子どもがいて、その子がその才能をもてあましているときは、大人たちがサポートしてあげる必要はある。でもそれは、その子がいちばんやりたいことであることが前提。自分の道は自分で選択できる社会。そしてどんなにサポートしても、天才が実際に開花するのは、一握りしかいないということを知っていく。
日本の政治や大企業が怠っていた投資の心。それは初めから見返りを求めてはいけないもの。「失敗してもいいよ」くらいの広い心が、成熟した社会をつくる。近年は力のない中小企業や個人の方が、新たな可能性に投資している。力があるものが動かないのでは、世の中は止まってしまう。もしかしたら、もう力があるものなんて日本にはいないのかも。才能をもつギフテッドも人間。日本人が苦手な尊厳の問題。相手を敬う気持ちがあれば、自ずと道はついてくる。
人ひとりが幸せに生きるにはどうしたらいいか、個人個人各々がじっくり考えた方がいい。儲かるかどうかの話がすぐでてくるのでは古臭い。幸せのパターンは十人十色。それぞれの人生は、それぞれがオートクチュール。おおくくりの雛形にはまるはずはない。今後、人生の選択肢が増えていくというのであれば、ギフテッド教育導入にも誰もザワつくことはない。むしろ大歓迎されることだろう。個々の生活がより良く豊かになる社会。そんな世の中になればいいのに。
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