『護られなかった者たちへ』 明日は我が身の虚構と現実
子どもの学校の先生が映画好きとのこと。余談で最近観た、良かった映画の話をしていたらしい。その先生は、どのジャンルも万遍なく観る方なのがラインナップでわかる。自分も好きな作品もあげていた。その中でとくに良かったと言っていたのが、阿部寛さんと佐藤健さん主演の『譲(ゆず)られなかったものたちへ』という邦画だとのこと。自分は最近の日本映画のヒットチャートは苦手。アニメやマンガの原作付きで、若い学生向けの作品ばかりの印象。阿部寛さんも佐藤健さんも好きな役者さんだけど、なんだか新鮮味のないキャスティング。それだけで萎えてしまう。小説が原作というだけで、「また原作付きですか」と変なレッテルを貼ってしまう。
この映画の正いタイトルは『護(まも)られなかった者たちへ』。映画好きの先生は、本格的な映画ファンとお見受けした。その方が面白いと言うのであれば、きっと面白い映画なのだろう。予告編を観るとこれまた興味の湧かない演出。どんな作品かを伝えるというよりも、誰と誰が出演するよ、原作はベストセラーだよ、と肩書きの情報ばかり。これでは印象にも残らない。
ちょっとこの作品を調べてみると、生活保護を扱った社会派ミステリとのこと。それなら俄然興味が湧いてきた。このコロナ禍で話題になった生活保護問題。それもコロナ前に制作された作品で、コロナ中の劇場公開。今ではコロナ禍に加えてウクライナ戦争、円安や物価高で、今後生活困難者が急増するであろうことは、素人の自分でも想像できる。作品は、東日本大震災で家族や家、仕事をなくした人たちの社会補償の問題を取り上げている。貧困で追い詰められた人が暴挙に走ってしまうという、昨今のニュースとリンクしている恐ろしさ。タイトルの『護(まも)られなかった者たちへ』が『譲(ゆず)られなかった〜』と勘違いしてもおかしくない。
生活保護は「健康で文化的な最低限度の生活」を維持するため、日本に住む人誰にでも受給できる権利。でも「最低限の生活」とはなんだか嫌な響き。同名タイトルのメディアミックス作品もあったけど、あちらはまだまだ理想の世界。現実の生活保護のイメージは、この『護られなかった者たちへ』の方が近い。
生活保護の受給許可はなかなかおりないと聞く。それどころかほとんどが門前払いされてしまうらしい。この作品での怒りの矛先は、生活保護受給を拒む職員たちに向けられる。生活保護課で働く人たちは、困っている人の役に立ちたいとその職を志ざし、ケースワーカーになったはず。高い信念を持っていなければ目指せない大変な仕事。いつしか困った人を助けることが仕事ではなくなり、いかに困窮者に受給させまいかと、受給拒否の追い払うための窓口仕事となってしまった。上からの指示とはいえ、生活保護を拒まれた困窮者は、途方に暮れて命を落としてしまうかもしれない。当初の志とは真逆の、死神のような絶望的な仕事となってしまっている。
生活保護というと、普通に働いていれば無縁のような錯覚に陥る。でもひとたび自分や家族の誰かが大病に罹ったり、事故に遭ったり、家がなくなったり、失業から抜け出せなくなったら、途端に困窮者になってしまう。それをカバーする制度は、日本では生活保護しかない。劇中でも言っているが、「最初で最後のセーフティネット」。そこへ真っ逆さまに落ちてしまう。我々は案外、綱渡りで生きている。当事者誰もが「こんなはずではなかった」と痛感することになる。
中山七里さんの原作はまだ読んでいないが、きっと映画と根幹は同じだろう。むしろこういった内容は、映像化することのインパクトが大きい。もしかしたら映画化が前提で、企画を通すために原作小説を執筆しているのかもしれない。今度、原作も読んでみよう。
映画の登場人物たちは皆、怒っているかふてくされている。これは生活保護問題への、作者の感情でもある。自分はずっと眉間に皺を寄せながらこの映画を観ていた。もうどの場面も悲惨すぎる。ここまで悲惨だと笑えてきてしまうくらい。
詐欺師の常套句として、共感を得る正論や問題提起をするものがある。その99%くらいは真実。でもその最後の1%に大いなる嘘をつく。そうして自分の手中に取り込んでいく。社会問題や世に警鐘を鳴らす作品は、とくに気をつけなければならない。この『護られなかった者たちへ』は、どんな締めくくりをしていくか。それによっては作品評価も変わってくる。
映画はあちこちにストーリーのトリックや映像技術を散りばめている。その仕掛けが後半になるにつれ、気持ちがいいくらい回収されていく。どんなに硬派で重い社会派でも、この作品はミステリーもの。そこからはけしてブレていない冷静さがあった。良かった。
生活保護に対する偏見は大きい。劇中で「不埒者」と言われている対象は、SNSで弱者を冷笑する者たちかもしれない。もしくは生活保護を不正受給している者か。でも現状の生活保護の窓口制度では、不正受給をするのは難しそう。正直に助けを求めても、その手を払い除けらてしまうのだから。ちなみに実際の不正受給の確率は0.3%しかいないと読んだことがある。その0.3%の不埒者のために、助かる者も助けないというのは詭弁でしかない。たいていの受給者は、生活保護を足がかりに、なんとかして人間らしい生活を取り戻そうと努力する。人の心理は普通はそちらへ向かう。飲み代やギャンブルに受給金を使い込んでしまう者は、何か別の問題がありそう。それはそれで治療の必要性がある。
よく冷笑系の言葉に、「生活保護は働かずにラクをしている」というものがある。生活保護の受給額と、実際に自分のひと月の生活費をシミュレーションしてみればすぐわかる。生活保護の受給金額はけして潤沢ではない。しかも生活保護受給中は、基本的に働いてはいけない。収入額の規定があって、上限以上の収入を得たなら、その余剰分を国に変換しなければならない。それがたとえ自分で働いたお金であっても。生活保護受給額は、とても「健康で文化的な最低限の生活」を得られるような額ではない。なんとか死なない程度の金額から、立て直そうとするのはかなりキツイ。生活保護を足がかりに、生活を元に戻すのには、よほどの高額収入の転職先につかなければ難しい。現実的ではない。
それにもうひとつ。生活保護受給中は、医療費が無料になるのはいいのだが、ひとたび受給者が生計を立て直したら、すぐさま国から立て替えていた医療費の請求が来るらしい。しかも国民保険未加入の全額支払いなので、場合によっては数百万の請求が来る。貧困と病気はセットみたいなもの。受給者は、知らないうちに国に借金をつくっていたことになる。貧困者は再び地獄へ引き戻される。
とにかく弱者にとって意地悪な制度。日本でいちど貧困層に入ったら、頑張って立て直そうとしても、元に戻すまで100年かかると聞く。自分が死んだ後、ひ孫の代まで貧困になってしまうということ。若者ならばもしかしたら人並みの生活まで立て直すことができるかもしれない。しかし、ある程度の年齢を過ぎてしまうと、持ち直すのは至難の業。
「生活保護費の方が、今の自分の給料より高い。ずるい!」という声がSNSでもよく見かける。その怒りの矛先は、生活保護受給者に向ける者ではない。勤めている企業の給与形態が、そもそも問題がありそうだ。生活できるほどの賃金を払っていないという可能性がある。そんなブラック企業を許す社会構造が問題。たいてい弱者叩きをしている「不埒者」も、本人こそが充分に生活保護を申請できる生活困難者だったりする。弱者を叩いて自分を強く見せるより、現実と向き合ってみたほうが良い。自分の立ち位置をしっかり確認して受け入れた方が、建設的な言動にもつながる。
声をあげていくことの必要性を、劇中の言葉が伝えている。声をあげていく相手は、自分よりも弱者に向けてはいけない。上に訴えていく。不埒者も、字義通りの不埒者にならないで、素直に声をあげていく。声をあげる人が多ければ多いほど、社会は無視することができなくなる。きっとこの映画で描かれている問題は、偉い人の鶴の一声で一瞬で解決してしまうだろう。やっぱり選挙は行かなくちゃ。汚れ仕事をさせられている人も同じく声をあげる。こんな仕事、嫌だよって。疑問に感じたら声に出してみるのは大事。
映画の中の犯罪の犯人は確実にいるわけだが、本当にその犯人だけが悪いのかしっくりこない。加害者は当然悪いが、被害者も悪い感じもする。だけど誰もが流されてしまっただけのような感じがして釈然としない。思考停止。誰もが絶対悪ではない。悪いのは人ではなくて制度。生活保護の制度も、この作品が書かれた頃よりは改善されていればいいけれど。
映画『護られなかった者たちへ』は、日本アカデミー賞をはじめ、幾つもの国内の賞を獲得している。日本アカデミー賞は、映画ファンの祭典というよりは、出資した企業間の式典みたいな印象。そこでこんな社会のガス抜きみたいな映画が賞を取るのも意外。暗くて重いテーマのこの映画。どーんと沈んでしまいそうだが、作者のエンターテイメント精神に救われる。観客は終始、伏線回収のカタルシスに浸れる。後半になるにつれて明るい気分になっていく。
東日本大地震の被災者や、生活保護受給者、役所の窓口担当者など、当事者も観る可能性の高いこの映画。ここで描かれていることは、今は関係ないと嘯いてみても、現実明日は我が身の崖っぷち。観客の誰もが、登場人物の誰かのポジションになりかねない。誰に対しても失礼のないように、娯楽作品として仕上げられているのは好感が持てる。
もしこの映画が、視聴率の高い『金曜ロードショー』枠で放送されたりしたら、その反響も興味深い。予告編や配給会社のプロモーションでは伝わらない日本映画の魅力。日本映画ほど、ジャンルのバラエティに富んでいる国は珍しいとも聞く。映画を選ぶポイントで本当に信用できるのは、しがらみのない素直なクチコミだけなのかもしれない。どんなに社会派といえども、結局のところ映画はエンターテイメントでなければね。
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