『恋する惑星』 キッチュでポップが現実を超えていく

ウォン・カーウァイ監督の『恋する惑星』を久しぶりに観た。1995年日本公開のこの映画。すでに28年もの昔の映画だと知ると、時の流れがただただ恐ろしい。自分はこの映画を初めて観た時、金城武さんが日系の俳優だと知らなかったので、突然流暢に日本語を喋りだす場面にびっくしてしまった。金城武さんが演じる刑事が25歳の誕生日を迎えると言っている。自分も金城武さんと同年代。あれから倍以上人生を送っていることになる。かつての若者も、初老となっている時間の残酷さ。
今回観た『恋する惑星』の映像や音が、自分の記憶より遥かに向上しているのに驚いた。2022年にレストア版が劇場公開されたらしいので、その最新バージョンなのだろう。当時音声はモノラルだったと思う。それが5.1chのドルビーサラウンドにリミックスされている。ハリウッドの古い映画がレストアされて、最先端のフォーマットになることは最近の流行り。でもアジアの香港映画が、最新フォーマット化されるのは珍しい。記憶というのは美化されがちだが、その記憶を凌駕するほどの高画質高音質になってしまうと、自分の記憶の感覚すら信用できなくなってしまう。ただ、ウォン・カーウァイ監督の意図は、アジア人でも如何にポップに生きるかにあると思う。だから最先端技術で豪華になった『恋する惑星』は、あながち監督の意図からブレずに、その感覚を増幅させているのかもしれない。まさにキッチュでポップ。
1995年というと、当時イギリス領だった香港が、これから1997年に中国へ返還されようとしている激動の時代。これから何かが変わっていくという期待のエネルギーが、この映画の根底に流れている。自分も当時をリアルタイムで知っている。自分の世代というものを客観的にみれるほど落ち着いた達観性はなく、この映画もファンタジー映画を観るような感覚で受け止めていた。とかく時代の当事者というものは、その時流の歴史的感覚が鈍い。
『恋する惑星』のなかで失恋したばかりの金城武さん演じる若き刑事。彼の元を去ったガールフレンドはパイナップルが好きだったとの言う。パイナップルの缶詰を買い漁り、30個も一気に食べてしまう。ガールフレンドの誕生日の賞味期限の缶詰ばかりを探して、店員に絡んだりしている。まったくわけがわからない。でもいま落ち着いてこの映画を観てみると、この若い刑事はパイナップルの暴飲暴食で自殺しようとしていたのだとわかる。なんとも切ない。そしてそれを読み取れない当時の浅はかな自分。自分はこの映画をすっかり金城武と金髪のアジア人女性ブリジット・リンとの恋愛モノになると思って観ていた。かたや刑事かたや犯罪者。ハリウッド映画やハードボイルド映画では馴染みの設定。でも映画は派手なアクションシーンになるとストロボ処理されて、何が起こっているのか見えづらくなる。いくらでも派手なカメラワークで演出できるのに、カメラはそれを拒む。意図的に盛り上げない演出。いつの間にかこの若い刑事と女ブローカーの話は消えてなくなり、別の警察官の物語へと移行している。突如この映画が二部構成なのだと理解させられる。観客は映画の展開の迷子となる。
二部目の主人公は、トニー・レオン演じるくたびれた警察官。今付き合っている彼女ともなんとなくうまくいっていない。そんななか行きつけの飲食店の店員のフェイ・ウォンと出会う。この飲食店が、路面店でちっともオシャレじゃない。日本でいうなら昭和の下町のお肉屋さん。かなり世帯じみた感じ。そんなしょっぱい店内で、アメリカン・ポップスをガンガンにかけて踊りながら働いているフェイ。彼女のファッションがかわいい。短髪にプリントTシャツ。なんでもジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』のジーン・セバーグのオマージュとか。
自分はこの『恋する惑星』を観たときに、かなりカルチャーショックを受けた。いままで香港映画といえば、ジャッキー・チェンのようなクンフーアクションものばかりだと思っていた。香港映画は、恋愛やファッションと無関係のジャンルだった。なんでも当時の香港映画は、映画の企画や脚本がすぐ盗用されてしまう著作権グダグダ状態だったらしい。なので凝った脚本を考えても、撮影する頃には誰かの手によって低予算ダメダメ映画にして発表されてしまう。そうなると脚本なしで即興的に映画を撮るしか作品の独自性を保てない。綿密に計算した映画づくりができないのなら、即興演出に重きを置いたゴダールの手法を参考にして、あえて荒削りな演出にしてしまう。ウォン・カーウァイは潔い。
ウォン・カーウァイ作品に欠かせないのはクリストファー・ドイルのカメラ。手持ちの荒いカメラワークでもヴィヴィッド・カラーを画面に散りばめて、カラフルでかわいい映像に仕上げていく。環境が貧しくとも、いくらでもかわいく楽しく生きていける。ウォン・カーウァイの映画を観ながら目から鱗が落ちた。
それまでの自分は、自分がアジア人であることに引け目を感じていた。日本人は猫背でチビで出っ歯のイメージ。アジア人は世界中でもダサいイメージがあった。自己卑下のコンプレックス。どんなに気取って見せても欧米人には敵わない。ポップカルチャーもアメリカのものはかわいいのに、日本産はアニメみたいなものばかり。コンプレックスを背負い込んで、ますます猫背になってしまう。
この映画に出てくる街並みは古臭く、とても素敵とは言い難い。屋台の飲食店も猥雑で疲れそう。そんなしょっぱい世界に、ちょっとしたヴィヴィッドカラーの雑貨を置くだけで、空間が華やかになったりする。アメリカの音楽やファッションをアジア人もどんどん取り入れる。体型も顔だちも違う人種がそれを身につけることで、新しいファッションになっていく。そうかアジア人もかわいく生きていいのか! それは生活の工夫。カタチは違えども、なんだかミニマリズムにも通じてくる。いま日本はどんどん貧しくなっているからこそ、この映画の精神は真似していきたい。
この映画の主役格で最年長のトニー・レオン。そういえば自分は最近見ていなかった。どんなふうになっているかと思いをめぐらせていた。ふと流行りのK-POPアイドルグループ『NewJeans』のMVに、白髪のトニー・レオンが出ていたので、「おっ」となる。以心伝心。会いたかったぜ。渋いおじさまになったトニー・レオン。10代の韓国アイドルのMVに出演するアジアのレジェンド俳優。これもまた時間の流れを痛感させられる。『恋する惑星』は、なにもかも古い作品ではあるけれど、根底に流れているものは希望に満ちていて元気。
とにかく邦題を『恋する惑星』とつけた人のセンスが抜群。原題の『重慶森林』や英題の『Chungking Express(重慶エクスプレス)』なんかより遥かにいい。この頃の日本はまだセンスが良かったのかもしれない。ゴダールの『À bout de souffle(息詰まり)』を『勝手にしやがれ』という邦題にしてしまうほど大胆なセンスに似ている。配給会社がウォン・カーウァイとゴダールに近しい感性を察してのことだろう。ウォン・カーウァイをアジアのゴダールにしたいメディアの目論みもあったのかもしれない。
劇中でフェイ・ウォンの曲『夢中人』がかかるとワクワクする。当時、かなり流行った曲。いろんなところで使われていた。当時を知る人は、映画を観ていなくても、この曲は聴いたことがあるのではないだろうか。ミニシアターでかかる映画は堅苦しい。そんな印象を吹き飛ばす映画だった。
今回映画を観直して感じたのは、いつの時代でも若者は寂しいのだということ。
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