『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』 冒険の終わり、余生の始まり
ハリソン・フォードは『スター・ウォーズ』のハン・ソロ再演が評判だったのを機に、『ブレードランナー』など自身の代表作の役の締めくくり的な続編にどんどん出演している。最後に稼いで、我が人生残すところ悔いなし計画を着々進行中。この『インディ・ジョーンズ』シリーズも、彼の代表的な作品。若かりし日の栄光を、老体をおしての再演となる。過去の栄光に縋っているようで、ちょっと興味も萎えてしまう。『インディ・ジョーンズ』は正直1980年代の三部作で完結していてほしかった。2000年代のブランクが空いてからの続編『クリスタル・スカルの王国』は、内容が薄くてイマイチ乗れなかった。自分には久しぶりの新作『運命のダイヤル』も地雷臭しかしてこない。ただ、SNSをからのこの映画の感想は、それほど悪いものではなかった。でも80年代的なご都合主義の冒険アクション映画なら、もういいかな。時代も変わって、ヒーローの概念も昔とだいぶイメージが違ってきた。今回は幕引き的な展開になるだろうし、さてどうなるだろう。
このインディ・シリーズ最新作『運命のダイヤル』は、いままでシリーズ全作を監督したスティーヴン・スピルバーグがメガホンを取っていない。ジェームズ・マンゴールドが監督した本作は、監督交代の違和感を感じさせない。でも、だからこそオリジナルへの敬意ある演出をしている。監督交代にも関わらず、ここまで違和感がないのも不思議。これがスピルバーグのスタイルと、演出の雛形がすでにできている。音楽がいつものジョン・ウィリアムズというのも安心・安定。映画が始まって真っ先に懐かしい雰囲気を思い出した。
映画の冒頭は、シリーズお馴染みのショートストーリーから始まる。それが若かりし日のハリソン・フォードをCGメイクで表現している。あたかも80年代に撮影だけはしていたが、未発表作品を蔵出し公開しているかのよう。最初のうちはこの若いハリソン・フォードの姿に素直に感動してしまう。でもしばらくすると、この映像のオリジナルがどうなっているか気になって、映画に集中できなくなってきた。顔だけはハリソン・フォードが演じて、体は若い俳優が演じているのだろうか。そうすると今観ている映像のどこまでがCGなのだろう。切り貼りされたコラージュマンガみたい。なんだか不気味に思えてきた。
生成AIが流行って、素人でもキーワードを入力するだけで、絵が出来上がってくる時代となった。自分が打ち込んだキーワードが、画像に反映されている。プログラムを入力する側からしてみると、AIがどう解釈したのかが分かって感動してしまう。プログラマーとAIとの駆け引きの楽しさ。
でもその画像をそのままSNSにアップしてみたところで、思ったほどバズらないと聞く。第三者からしてみれば、プログラマーとAIの蜜月など関係ない。出来上がってきた画像のクオリティがどんなに高くても、それは現実には存在しない作り物であることは判別できる。むしろ偽物であることへの違和感が気になってしまう。第三者は、どんな過程でどの要素を引っ張ってきてこの画像ができてきたかのだろうと推理ばかりが膨らむ。
かつて映画にCGが導入されたばかりの頃、観客はこれまで見たことがない映像に感動していた。それまで特撮といえば、模型を使ったり書き割りで見せたりと、アナログな工夫がされていた。初めて見るようなスペクタル映像に、純粋に感動していた。いつしか観客もCGに慣れて飽きてくる。コンピューターが作り出す偽物の映像の見分けがつくような目も養われてくる。そうするとCGが使われていない映像の価値が見直されてくる。かつては「これCGなんだすごい!」といった感想も、「これCGじゃなくて実写なんだ。すごい!」となってくる。
プリクラでも目とか異常に大きくデジタルメイクできたりする。それを感動するのは、デザインした本人だけだったりする。第三者から見ると「これ誰?」となってしまう。むしろ何もしない素のままの写真の方が良かったんじゃね、となってしまう。画像加工は、あくまで自己満足の世界なのかもしれない。
プチ美容なども、エスカレートしてきて数回の整形にまで発展してしまうと、かえって相手に不信感を与えてしまう。そもそも少しでも他人に好感を持ってもらおうと始めた美容。それがいつの間にか武装に近いものにもなりかねない。相手に好感を持ってもらうどころか、圧がかかって警戒されかねない。そうなると本末転倒。なんにせよ、加工に取り組むことには冷静な視点が必要となってくる。
これだけリアルな若かりしインディ・ジョーンズが活躍していても、まったく話題になっていなかった理由はなんとなく理解できる。人は偽物が苦手ということ。CG技術が喜ばれる時代は終焉を迎えつつある。
インディ・ジョーンズは、どんな困難に追い込まれても絶対ピンチを潜り抜け、死ぬことはない。観客はあらかじめ安全が約束されたうえで映画を楽しんでいる。荒唐無稽なアクションシーンも慣れ親しんだ。でもすでに完全無欠のヒーロー像を疑う目も、観客の我々は培われている。いつしか無双の英雄の活躍より、そんな人が実際にいたらどんなふうに生活しているのかの方が、興味をそそるようになってきた。
冒険活動をしていないときのかつてのインディは、大学で教鞭をとっていた。ハンサムなインディは、女子生徒からもモテモテ。自分の瞼に「LOVE YOU」と書いてアピールしてくる生徒もいる。誰からも愛されて、強い人物インディ・ジョーンズ。
新規探索傾向が著しく強い人物が、とても普通の生活を送れるとは思えない。すっかり偏屈爺さんと化したインディの姿は、リアリティのないはずだったキャラクターに信憑性すら芽生えてくる。生きるのが苦手そうなインディの人生が気になってくる。今回の新作の最大の魅力はそこにある。
人生100年時代と言われている現代。「どうせ早く死ぬから」と言っている人ほど長生きしてしまうもの。早々に死んでしまうなら、それはそれで終わりなので後腐れない。でももし長く生きてしまったら、そっちの方が大変だ。余生を送るには年金収入だけではやっていけない。余生を送るための預貯金は、最低でも2000万円は必要と政治家も言っていた。ならば一生働いていかなければならない。はたしていつまで働いていけるだろうか。それよりなにより、認知症になっなたりはしないだろうか。頭ははっきりしているのに、体が動かない寝たきり要介護状態になってしまったらどうしよう。長生きしてもめでたいとは言いがたくなってきた。このままでは安心して老後も送れない。
インディのように生命力のある人は、イヤでも長生きしてしまいそう。冒険から引退したとしても、その後の人生は長く続く。80年代ならそんな想像は誰もすることはなかった。あの時代なら、夢に殉じることにロマンを覚えただろう。しかし今はそんなロマンもない。インディは最後の人生の選択肢に、何を選んでいくか。人生にずっと向き合わずにスリルばかり求めていた。忘れものばかりの拗らせ人生。
なにごともなく生きていける人生は、退屈だけど幸せ。結局幸せなんてそんなもの。ひと昔ではあり得なかったインディ・ジョーンズ像がここにある。今回の冒険の顛末には、大いに納得できた。この最終章を評価する人たちは、夢から覚めて、人生の大切なものへ目を向けた人たちなのだろう。かつてワイワイ冒険活劇を楽しんだ世代も、すっかり大人になったのだと思う。そこに一抹の寂しさを感じると思っていたが、実際には安心感が漂ってきた。『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』は、娯楽と人生の距離感が取れた、大人な感性の娯楽映画なのかもしれない。
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