『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』 長いものに巻かれて自分で決める
『ゲゲゲの鬼太郎』シリーズの劇場版が話題となった。『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』というタイトルで、鬼太郎は登場せず、その父親が主人公の話らしい。なんとも地味な企画なので、制作者たちもこれほどの話題作になるとは思ってもいなかった様子。どんなにネットで話題になっている作品でも、実際の客入りとは関係ないなんてことはよくある。自分のSNSはTLはアルゴリズムが決めたエコーチェンバーな世界。現実の温度差には気をつけないと、浮世離れの浦島太郎状態に陥ってしまう。でもこの『ゲゲゲの謎』は、自分のリアル環境の仕事場でも、話題にしている人がいた。あながちSNS界隈だけの人気だけでもなさそうだ。ネットはあくまで予備知識。現実の身近な誰かの言葉の方がいちばん頼りになる。この映画を勧めてくれた人曰く、『墓場鬼太郎』の1話を観ておくと、この映画がいっそうわかりやすくなるとのこと。要するに今流行りのエピソード・ゼロってやつですね。
『墓場鬼太郎』は15年前テレビアニメ版を観ていた。『墓場鬼太郎』は、やはり当時の同僚が面白いと言っていたのが観るきっかけだった。『鬼太郎』関係は、女性が話題にしていることが多い。『墓場鬼太郎』は、『ゲゲゲの鬼太郎』の前身にあたる作品。水木しげるさんがまだ駆け出しの貧しいマンガ家で、貸本時代の作品。ここで登場する鬼太郎は、人間の味方のヒーローではない。私利私欲だけを考えて行動する妖怪族の生き残り。綺麗事はそこにない。ものすごくダークな作風。アニメ版は電気グルーヴの主題歌もカッコよかった。自分はこのアニメは途中から観たので『霧の中のジョニー』というエピソードが最初だった。その話はたまたま1話完結のエピソードで、人間の味方でない鬼太郎が新鮮だった。声優さんも初期の配役だった。昭和っぽい雰囲気が不気味だった。このアニメを観たあと、水木しげるさんの原作マンガを読んでみたり、アニメがDVDになってからレンタルで最初から観なおしたりもした。あの時の声優さんたちや水木しげるさんも、この15年でだいぶ亡くなってしまった。怖い鬼太郎は、人気はでないだろうが魅力的ではある。
『ゲゲゲの謎』と『墓場鬼太郎』がつながっているのはちょっと強引だけど、『ゲゲゲの謎』の昭和の雰囲気の再現は、かなり興味深かった。『ゲゲゲの謎』は、『ゲゲゲの鬼太郎』はじめ、『総員玉砕せよ!』など、水木しげるさんの妖怪もの以外の作品からも引用している。それに横溝正史さんの『金田一耕助シリーズ』からもイノベーションしている。身内の作品、『ルパン三世 ルパンvsクローン』のオマージュも照れ臭い。とにかく昭和時代の不気味なサブカル作品を、いろいろかき集めてひとつの作品にまとめている。あの頃の空気感を今風にアレンジしている。
子どもの頃、横溝正史さん原作の『金田一耕助シリーズ』の角川映画がとにかく怖かった。新作がつくられるたび、テレビで予告CMが流れる。その時代は放送コードも甘く、お茶の間の食事時だろうが、血みどろのホラー映像が流れてしまったりしていた。観たくないのに見せられてしまう強引さ。小さいころは、角川映画のような怖そうな映画のCMがかかったら、冬ならこたつに潜り込んで耳を塞いでいた。一緒にテレビを観ていた親は笑っていた。必死に親に「(怖い場面は)もう終わった?」と何度も確認してから、こたつから顔を出していた。
角川映画の『犬神家の一族』に、ビートルズの『LET IT BE』が主題歌に起用されていた。自分はその頃ビートルズをよく知らなかったので、この曲自体も怖い曲なのだとばかり思っていた。高校生になって、あらためてこの歌詞を聴いて意外だった。ビートルズの解散間近の時期、不仲になっていった自分たちの憂いた心情を歌っている。抽象的な歌詞なので、聴き手も各々自己解釈ができる曲。ちっとも怖い曲ではなかった。幼い頃の自分には、角川映画や『金田一耕助シリーズ』が、トラウマレベルで怖かった。流石に大人になっていく過程で、あれほど怖かった横溝正史作品も、物語として楽しめるようにはなってはきた。
ただ、大人になったからこそ怖くなった作品もある。『総員玉砕せよ!』のような戦争マンガは、人生経験を重ねた大人の方が、現実的にその怖さを受け止めてしまう。単なるファンタジーとして楽しめない。戦争もののマンガやアニメはたくさんある。それこそ『スター・ウォーズ』や『機動戦士ガンダム』だって戦争もの。これらはSFやファンタジーの要素を借りているので、作品としてはラクに観れてしまう。けれどやはり登場人物が理不尽に死んでしまったりする場面は、たとえフィクションでもやるせない。
『総員玉砕せよ!』は、水木しげるさんの戦争体験をそのままマンガにした作品。キャラクターはいつもの水木タッチでデフォルメされているけれど、死に急ぐ上官たちの表情がイっちゃってるのはわかる。マンガ表現というオブラートに包んではいるものの、その狂気の温度感は読み解くことができる。絶対に戦争なんか行きたくないと思わせてくれる。たとえ戦争体験がなくとも、その状況を想像力で補完する。その想像すらも凌駕するであろう現実の怖さが伝わってくる。
映画『ゲゲゲの謎』は、そんな過去の怖い雰囲気の作品のオマージュでいっぱい。制作者たちが今まで観てきた怖いものの要素を語り合って、シナリオ制作している姿が浮かんでくる。日本のアニメはどんどん海外資本になってきて、潤沢な資金のもとで、映像のクオリティも上がってきている。『ゲゲゲの謎』は、最初からそれほど製作費がかけられているようには感じない。資金がない中、どれだけ面白い作品をつくっていこうかと、作り手の努力工夫が感じられる。それが作品への好感度へとつながっていく。
『ゲゲゲの謎』が『墓場鬼太郎』につながっていくのなら、ゲゲ郎と呼ばれる主人公は、このあと目玉親父になっていくキャラクター。『墓場鬼太郎』をあらかじめ観ている身としては、今後の展開があまりに気の毒に感じてしまう。もう1人の主人公で原作者の分身・水木も、『墓場鬼太郎』に出てくるあの水木になっていくのか。なんだか昔のキャラクター・デザインより、現代的でシュッとしてる。くたびれたやさ男感がいい。冒頭に出てくる現代の鬼太郎とネコ娘は、最近の『ゲゲゲの鬼太郎』のデザイン。ネコ娘が大人っぽくなっていて、変態のお姉さんにしか見えない。そのデザインのせいで、我が家では子どもの鑑賞に『ゲゲゲの鬼太郎』は自主規制してしまったくらい。
水木しげるさんの作品は、自分より子どもの方がよく観ていた。水木しげるさんの原画展に、子どもと一緒に何度か行ったこともある。妖怪研究家としても有名な水木しげるさん。世界各国にも伝わる、妖怪伝承も取材されている。それこそ考古学や社会学につながってくる。水木さんが生活が苦しい時、「本当は妖怪なんていないんだ」と呟いたことがあるらしい。妖怪が実在するかどうかは別として、妖怪みたいな人は以前の日本には大勢いたのではと思えてしまう。いまで言う精神を病んだ人が、ホームレスになってしまった姿が妖怪なのではないかと。着の身着のままのボロボロの身なりをしている人に出くわせば、誰だって恐怖する。そしてそんな怖い見かけの人は、自然と差別の対象となる。人間なのに妖怪みたいになってしまった人は、さらに人のいないところへ逃げていく。そんな哀れな世捨て人と出会った人たちの恐怖体験が、妖怪伝承になっていったのではないだろうか。精神疾患の病気で、逃げ隠れしながら生きていた人のことを考えると、それも恐ろしい。結局いちばん怖いのは人間なのだとつくづく思わされる。
この『ゲゲゲの謎』も、いちばん怖いのは人間として描かれている。ひとつの小さなコミュニティで、そこだけの掟に縛られる。古い因習に囚われたままの人々たち。閉ざされた社会では、そこでの最有力者の都合で、そのコミュニティのルールが決められていく。村社会の完成。御家を守るためなら、どんなことでもできてしまう。家を守ると言いながら、その家系の人たちがみな苦しんでいる。それでは単純にその守るべき御家に問題があるのだが、他と比べることができないので、世界はそこだけでとどまってしまう。
このカルト集団化しがちな、閉ざされた集合体の問題は、いつの世でも誰もが陥りやすい。それは小さくは家庭で起こり、学校や会社などどこにでもある。最近ではネット上でのコミュニティや、推し活のファンダムもあてはまってくる。部外者が入ってこないことで、その異常性にも麻痺してしまう。人は1人では生きてはいけないが、ひとつのコミュニティに縋ってしまうことに、不健康さが生じてくるのだろう。
どこかの集団に属して、擁護されたいというのは人間の本能的なもの。村八分や爪弾きにされないために、個人は郷においては郷に従って生きていく。要するにコミュニティが悪いのではなく、第三者が気軽に立ち入れない集団に問題があるのだろう。どこかに属して安心したいけれど、どこかに属することも怖い。ではどうしたらいいか、ちょっと考えてみる。
きっとひとつのコミュニティに固執しなければいいのではないだろうか。浅く広く、個人がいろんなところに所属している。そこが居心地のいい場所ならば、そこへいく頻度が増えればいいし、違和感を感じたら距離を取ればいい。もっとカジュアルにコミュニティに属していくことがこれから大切になっていく。大学の受講のような、カリキュラムがすべて同じものを選ぶ人がいないみたいにコミュニティもあちこちに浅く複数に属していく。みんな違ってみんな良い。
よく自立の意味を社会が問われる。自立の本当の意味は、自分ひとりですべてを背負い込んで、なんとかしていくことではない。いろんなところに、いつでも助けを求められるような状態のことを自立と呼ぶらしい。支えになってくれる場所が多いほど、いざとなった時にひとつの所属場所ばかりに負担がかからない。負担がかからなければ、救済のフットワークも軽くなる。
そのコミュニティに集う人に多様性が現れたなら、そのコミュニティのリーダーがいちばん困ってしまう。人々を利用して搾取できなくなるから。けれど、誰かひとりだけが都合がいい社会というのは、遅かれ早かれいずれ崩壊する。
転勤理由のNo. 1に、人間関係とあげる人は多い。そもそも会社とは、お金を稼ぐために仕事をする場所。人間関係をつくる場所ではない。パワハラもセクハラも、コミュニケーションに甘えた人たちが、今もやらかしている。あくまで会社には仕事をしにきているだけという自負があれば、いらぬ人間関係などつくる必要はない。そういうと冷たく感じるが、もちろん円滑な関係をつくるために、最低限のコミュニケーションは取る必要はある。必要以上に仲良くする必要はないが、仲が悪くなってはいけない。愛想のいい一匹狼みたいなスタイルが、今の社会では理想的な生き方なのだろう。
ではなぜ昭和世代の人たちは、飲みにケーションだとか、会社での個人情報に首を突っ込みたがるのか。もしかしたら昭和時代は、今よりも仕事が暇だったのかもしれない。職務中に時間が空いて、誰もが遠慮して静かにしている。そこの上長がディスコミュニケーションを心配して、「それでは一席設けましょう」となっていたのかもしれない。でも現代は仕事が忙しい。それに反比例して収入も低い。そこの職場で長く働いても、将来の補償はない。みんなプライベートでもやりたいことがある。家へ帰ったら家事もやらなければならない。飲み会だとか休日出勤だとか、連日深夜に及ぶ残業だとかも発生してくる。人間関係を築いてしがらみをつくるような余裕はない。これ以上余計な仕事はつくりたくない。ならばもっとドライに人間関係を築きたい。
今は昔よりも情報が得られやすい。今そこにいる場所が、必ずしもベストとは限らない。自分の所属場所との距離感。生きやすさとは、気軽にその場から離れても、次があるということ。幸せとは、いつでもそれをやめられるけど、やめないでいられることなのかもしれない。昭和テイストのアニメを観て、昔と今のコミュニティのあり方について考えてしまった。
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