『リトル・ダンサー』 何かになりたかった大人たち
2000年公開のイギリス映画『リトル・ダンサー』が、ここのところ話題になっている。4Kリマスター版が日本でも公開されて、再評価されているのも大きい。原題の『ビリー・エリオット』名義のミュージカルも評判がいい。『リトル・ダンサー』はウェルメイドな名作なのだとあらためて感じる。
映画は映画館で観るのがいちばん。4Kにレストアされた『リトル・ダンサー』も観てみたい。でもこの映画、配信もされている。気軽に配信ボタンを押してみる。こちらは4Kリマスター版ではないだろうけど、画質も音質もなかなか良い。少なくとも自分が映画公開当時に観たバージョンと比べたら、格段に良質な上映コンディション。
寝る前に観て、眠くなったら途中でやめようと思って観はじめた。あまりに映画が面白くて、結局最後までノンストップで観てしまった。長年人々を魅了し続ける名作と言われる作品は、魔法のような惹きつける力を持っている。
この映画の原題は『Billy Elliot』と、主人公の名前がそのままタイトルになっている。日本では『リトル・ダンサー』というローカライズ改題されている。人の名前が作品のタイトルになるときは、その主人公の人生そのものが描かれている場合が多い。海外作品で主人公の名前がタイトルになっている作品は、たいていキャッチーなものに改変されてしまう。確かに『リトル・ダンサー』というタイトルの方が、作品の内容が伝わりやすい。日本の作品で、日本の個人名がタイトルになっていても、同じ日本人なら許せる。それは馴染み深い国内の名前が使われるから。でも外国人の名前がタイトルとなると、何の映画なのかさっぱり伝わらなくなってしまう。そもそもそれが人の名前であるかどうかも判別できないかもしれない。『津田健二郎』なんてタイトルの映画が海外でそのまま公開されても、きっとなにがなんだかさっぱりわからないだろう。
自分はこの映画はリアルタイムで映画館で観ている。でもどこの映画館で観たのかよく覚えていない。きっと新宿武蔵野館で観たのではないかと思う。そのとき一度しか観ていないままそれきりだった。だから細かい描写は覚えていない。でも大事な場面だけは記憶に深く刻まれている。映画鑑賞体験も、ある意味人生経験の一部となっている。
日本映画の李相日監督作品『フラガール』が、この『リトル・ダンサー』からの引用が多くて、なんだかどちらの映画なのか、記憶がごちゃ混ぜになっていた。『フラガール』は、スティーヴン・ソダーバーグ監督、ジュリア・ロバーツ主演の『エリン・ブロコビッチ』からもエピソードを引用しているので、かなりずるい。そういえば『エリン・ブロコビッチ』も『ビリー・エリオット(リトル・ダンサー)』も、主人公の名前がそのままタイトルになった映画だ。
バレエに興味を持った少年が、プロのダンサーを目指していく。少年の住む町は貧しく、待遇の低い炭鉱の仕事しかない。そんな生活の中で少年は夢を抱く。
プロットを聞いてしまうと、ど根性の成り上がりスポ根ものを連続してしまう。当時自分もそういった単純明確な作品なのだとばかり思っていた。でもこの映画で描かれている主な感情は、野心めいたものではない。もっと無意識の遺伝子のようなものが呼び合う神秘的な映画。根性でその地位を得ていくようなハングリー精神ではなく、本能に素直に導かれていく静かな映画。本人も気づかない眠っていた才能が、バレエという媒体に惹き寄せられている不思議。誰でも行けるわけではない道がそこにあり、限られた人だけがその道を歩くことができる。でもその道へ進むためには、到底ひとりだけの努力ではなし得ない。
この映画は今観ても古くない。近年急激に進んだジェンダーフリーの意識。この25年前の映画ではすでに直球でこの問題を扱っている。むしろ新しすぎる感覚。映画の時代のイギリスでは、男の子はボクシング、女の子はバレエを習うものと決まっている。性別だけで、習い事も決めてしまう。なんとも乱暴なカテゴライズ。自分の子どもの頃は、男の子といえばサッカーをするものとなんとなく決められていた。ならば男の子がバレエをやったらおかしいに決まってる。慣例に頭が固まってしまった感覚。それに一石投じられる。多様性が語られる現代では、この映画の進むべき道は、まっとうだと思える。その感覚は、この映画公開時ではまだ一般的ではなかった。良いものはどんどん取り入れられるのが世の常。現代では『リトル・ダンサー』は、多くの人が理解できる根幹の映画となっている。時代はあとからついてくる。
バレエの先生が、ビリー・エリオットに気をかけるのは、生徒の中の唯一の男子だからではない。先生は、男女の性別関係なく、ビリーの中にある特別な才能を感じ取っている。女の子の中にひとりだけ男の子がいるのは、ビジュアル的に面白い。この映画はそのキャッチーさを利用しているけれど、蓋を開けてみると、もっと普遍性ある物語だと気づく。
少年が主人公の映画ではあるけれど、ここに登場する大人たちもとても魅力的。バレエの先生は、タバコをぷかぷか吸いながら、イラついてバレエの授業をしている。ピアノの演奏をしているおじさんも、まるで覇気がない。バレエの先生やピアノ弾きは、誰でもすぐになれる職業ではない。かつて何かになることを目指していたからこそ、今の仕事にありついている。だからこそバレエの先生は、ビリーの能力にすぐ気がついた。
やさぐれたバレエの先生役の人、いい味を出している。ジュリー・ウォルターズという俳優さん。『ハリー・ポッター』のロンのお母さん役の人か。『ハリー・ポッター』は、イギリスの名優が贅沢なくらい大勢出演している。
25年前、初めてこの映画を観た頃は自分も若かった。俄然ビリー少年に感情移入しながら映画を観ていた。自分も特別な才能を持っているのではと錯覚した。今となっては、ビリーの父親やバレエの先生の視点でこの映画を観てしまっている。かつては何かを目指していて、それをどこかで諦めた大人たち。小さな夢ならもしかしたら叶うかもしれない。もし人生を賭けるくらいの大志を抱くときには、その夢に向かうための資金も必要となる。現実的に実家の太さ問われてくる。悲しいかな親ガチャは現実にある。
アルツハイマー気味のおばあちゃん。どこまで理解しているのかわからないところもリアル。おばあちゃんも若かりし日、バレリーナになる夢があったという。貧乏だからその夢は叶わなかったと。
ビリーのダンスを初めて見たお父さん。その衝撃を受ける姿が印象的。寡黙な父親は、何を語るでもなく目を丸くしてその場を去る。もう自分のことなんてどうでもいい。息子の才能を活かしてやりたい。この子は自分みたいな人生は送ってはいけない。
今自分も親となって、この父親の行動に学ぶべきところがある。父親だって自分も幸せになりたい。自分が就いている炭鉱の仕事には未来はない。この町にいても廃れていくのは時間の問題。引っ越したり転職するほどの力もない。沈みゆく船にしがみつくしかない。自分の世代ではダメだったけれど、いつか次の世代こそは良くなって欲しいとの願い。自己犠牲の精神。息子に道をつけてやったその後も、この父親は苦労をするだろう。美談だけでは終わらないところが、この映画の魅力的なところ。
こうして映画を観ていると、この映画の舞台となる80年代のイギリスのサッチャー政権は、かなり横暴だったのだと感じる。廃れていく職業に補償の手を差し伸べない。貧富の差をつくり、貧困を増加させてしまう。切り捨ての政治。どこの国も問題を抱えている。映画の中では職場ではストが行われている。民衆が体勢に物申すときは、かなり追い詰められているとき。誰だって今いるところの権力にたてつきたくはない。母親も亡くして仕事も無くしそう。もうお先真っ暗。
ビリー少年が旅立つ場面で、映画はひと区切りつく。子どもが巣立っていく姿は感動的。そういえば近年の映画『coda』も同じ構図の作品だった。同じ題材をいくら扱われても、若者が旅立つ映画は毎回感動してしまう。
エピローグとして10年後の姿が描かれる。劇場へ向かうお父さんとお兄ちゃん。混雑した劇場へ向かうのではなく、もう公演が始まる間際の、人がいない劇場への道を歩いていく。あたかもファンタジーの世界に迷い込んだかのよう。そういえばお父さんは、ロンドンみたいな都会には行ったことがないと言っていた。大人になったビリーをアダム・クーパーが演じている。鍛え上げられた肉体が頼もしい。
そういえば自分はアダム・クーパーと同年代。『リトル・ダンサー』の舞台となる時代は80年代。まったく自分の生きてきた時代と年齢が一致する。あのとき少年だった者も、大人となり、老いを感じ始めている。あの頃のビリーのときめきも、大人たちの辛さも、今となっては実感としてわかるようになってきた。若いときに観た映画を、年齢を重ねた上で観直すのはとても良い。自分の中で変わってしまったものと、変わらないものが客観的に見えてくる。映画という記録が時間の旅へと運んでくれる。これは不思議な感覚なので、癖になってしまいそうだ。
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