『関心領域』 怪物たちの宴、見ない聞かない絶対言わない
昨年のアカデミー賞の外国語映画部門で、国際長編映画優秀賞を獲った映画『関心領域』。日本が舞台となったヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』と並んで、世界の映画祭で『関心領域』は映画賞にノミネートされていた。この『関心領域』はインパクトがありすぎて、他の作品を寄せ付けないような勢いがあった。それこそこの映画のプロットを聞いただけで、どんな作品なのだと興味が湧いてくる。
舞台は第二世界大戦中のポーランド。アウシュヴィッツ強制収容所の隣にある豪邸。映画では強制収容所での惨劇はいっさい描かれない。歴史的な大虐殺があった場所ではあるけれど、それはこの豪邸の壁の向こうでの出来事。ひとつ壁を隔てたこちら側では、手入れされた庭と立派なお屋敷、ハイソな暮らしがそこにある。ただ、絶えず轟音が鳴り響き、ときおり銃声や悲鳴が聞こえてくる。のどかな風景を観ているのに、不穏な気持ちばかりがうごめいてくる。
とにかくこの映画のアイデアがすごい。この豪邸の家長はアウシュヴィッツの所長のルドルフ・ヘス。実在した人物。多くの血を流したことで得られたこの豪勢な暮らし。人を殺しているのに、そのことにはいっさい触れずに、ただただここでの贅沢を享受する家族たち。アイデアはすごいけど、はたしてそれで映画として成立するのだろうか。そこに制作者の大きな挑戦がある。そしてそれは観客の好奇心を大いにあおる。
この映画はある意味で不謹慎な映画でもある。大勢の人が殺された負の場所、実際に起こった大虐殺を、興味をそそる切り口で描いている。当事者でないからこそできる映画的アイデア。これと似たようなタイプの映画では『サウルの息子』という映画もある。あれもユダヤ人虐殺そのものを直接観せずにこの世の地獄を描いていた。それもこれも、戦争体験者ではないからこそ浮かんでくるイマジネーション。戦争映画なのに、泥臭さ皆無のスタイリッシュさ。無菌状態の映像だからこそ、怖さがジワジワ迫ってくる。
映画『関心領域』の映像は、登場人物たちに寄り添うことはない。登場人物たちも景色のようなもの。いっけんモネの絵画のような優雅な映像が流れているが、そこはかとなく不穏な雰囲気が漂っている。観客は映像には映っていない何かが、絶えず気になってくる。この映画の主人公は、この豪邸に住む家族ではなく、その場所に漂う空気。空気とか雰囲気とか、映像に残せないものをとらえていくことで、この映画の実験的精神を感じさせる。
つくり手たちの視点も、この物語の登場人物たちには一定の距離を保っていて冷たい。この物語に登場する人たちは、人をたくさん殺したり、略奪したことによって成り上がった人たち。感情移入はしたくない。映画のカメラワークも、まるで部屋に設置された定点カメラかのように無機質。ときにイマジナリーラインが吹っ飛んで、部屋の間取りや位置関係がわからなくなって混乱する。そこは部屋を行き来する人物の動きを通して、観客の視線を迷子にさせない工夫がされている。この家をせわしく行き交いするのは、召使いとして扱われているユダヤ人少女。いつ気まぐれに殺されかねない恐怖に怯えている表情を見るだけで、こちらも不安になってくる。ここまで怯えた人が家の中にいても、ふんぞりかえっていられるヘス一家のメンタルの異常性、サイコパスぶりが伺える。
演出陣が登場人物に距離をとったとしても、演じる役者はその人物の心情に触れなければならい。ヘス夫人を演じるのはザンドラ・ヒュラー。『落下の解剖学』にも出てた人。ドイツの役者さんは、日本ではなかなか縁がないものだが、よく見かけるというのは珍しい。良質な作品に出演している方なのだろう。ザンドラ・ヒュラーは『落下の解剖学』でも怖かったけど、今回の『関心領域』でも恐ろしい人物を演じている。目の前にある殺戮には目を瞑って、自分の生活のことだけに視野を閉ざしている人物。きっちり略奪したいちばん高そうなコートを独り占めしていたりしている。利己的な人物。
来客として泊まりに来た夫人の母が、最初はこの豪邸の美しさを褒める。やがてこの生活の異常性を感じ取り、手紙を残して逃げ去ってしまう。その手紙にはなにが書いてあったのか、観客にはわからない。この夫人の母親は、この豪邸暮らしにとっては部外者で、我々観客に近い視点の人。この人がいなければ、映画を観ている我々も、なにが正しいのか倫理観がわからなくなってしまう。なんだか感覚がおかしくなりそう。この豪邸の家族は、至ってのどかな裕福な生活を送っている。目に見えてはっきり判別できるようなモンスターではないところが、この映画の演出の興味深いところ。
この映画のヘス一家は、大事なことから積極的に目を逸らしている。地獄行きが決まっているならば、今の栄華を充分に堪能して死守してやろうといったところか。それすら自覚していないかも。自分は正しいと言い切れてしまう人ほど恐ろしいものはない。人間の形をしたモンスターがそこにいる。食えない人というものは日常生活でもよく存在する。そういった種類の人は、たいてい肩書きを大事にしている。なにかの地位を得るためには、なにかを犠牲にするのはやむを得ないと割り切っている。それが良い結果に結びつくこともあるし、最悪の顛末に向かうこともある。すべてそれらはその人が選んだ道。
あえてつかみどころをなくして描いている『関心領域』。なんだかユダヤ人迫害の内情そのものも知っておかなければいけないと思わされてしまった。この映画を観た流れで、『夜と霧』を読んだ。ナチスの強制収容所から生還した精神科医ヴィクトール・フランクルの手記。実は自分は今まで『夜と霧』を読んだことがなかった。以前、『夜と霧』を解説した分厚い本を先に読んでしまったため、『夜と霧』はかなり難解な本だと思い込んでしまっていた。実際の『夜と霧』は平易な文章で書かれていて、とても読みやすい本。
今回読んだ『夜と霧』は2002年に若者向けにと新訳された、池田香代子さん翻訳によるもの。精神科医が地獄の実体験を綴った手記を、戦争に対する怒りや悲しみの感情をマイルド弱めて翻訳されている。作者が精神科医ゆえ、あのときの自分の心理を分析していくという冷静な作業。期待をしすぎると、それが叶わなかったとき、かえって病んで亡くなってしまうというエピソードは平時の日本でも通ずるものがある。
現実から目を逸らすことでリアルさを描く『関心領域』。悲惨な現実のど真ん中を描いて、自分の想像力が追いつかなくなってしまう『夜と霧』。戦争という異常事態が、現実感を鈍らせる。
『関心領域』は、映画を観終わったあと、誰一人として人の顔を覚えていないという不思議な映画。誰にも感情移入できないのに、最後まで観れてしまう。この演出のうまさ。ドラマチックに描くことは簡単なのに、あえてそれをしない。隙間がたくさんあるので、鑑賞者の感性で印象がいくらでも変わってきそう。不思議な映画体験。
自分も何年後かにふたたびこの映画を観たとしたら、今とは違う印象を受けているのだろう。それは『夜と霧』の本も然り。誰もが同じ受け取り方をしないというのも、表現の面白いところ。多弁でないからこそ、感じる部分は無限に広がる。わからないからこそ怖くなる。ひとことでこの映画の印象を表すなら「不気味」という言葉がぴったり。
いまドイツでは、右傾化が強くなっていることが社会問題になっているとのこと。映画の世界では、徹底してナチスは悪と描かれている。それでもその価値観に惹かされてしまう人が多いのだろうか。いっけんこの映画で描かれているヘス一家の悩みは、観客である我々一般人の生活に似通っている。でも彼らは一線を越えてしまった。行き過ぎる物質主義は、他人を蹴落としてもいい理由になってしまう。もしかしたらモノを欲しないことが、いちばんの幸せへの近道なのかもしれない。
この映画はかなり実際のヘス一家を取材して制作されたとのこと。実際のモンスターは、普遍的な人間の姿をしていた。そのことが最大の皮肉。それこそこの映画のテーマ。観客にはこの家族のようなモンスターの要素が、自分の中にもあるのではないかと疑って怖くなってしまう。
でも、あまりに自分ごとと捉えすぎてしまうと、それはそれで精神を病んでしまう。真摯にものごとを考えていくことと、自分ではどうしようもできないことを思い悩むこととは違う。自分を責めたりするのは本末転倒。映画『関心領域』は、戦争を題材にしているけれど、人生の価値観を問いかけているようにも感じる。幸せな人生とはいったいなんだろう。その定義は人それぞれ。個々の価値観でみな違う。映画を観て、自分にとっての幸せとはなんだろうと考えてみるきっかけとなる。少なくともヘス一家の幸せは、目指したくないものだとはっきりわかる。
劇中では、給仕をさせられているポーランド系ユダヤ人の少女が登場する。彼女はリンゴなどの食べ物を、強制労働させられている同胞に届けている。驚きなのは、この人物はフィクションではなく実在したということ。映画制作時はご存命で、90歳だったとか。劇中でその人物を演じる役者さんは、実際に当時、ご本人が着ていた服を衣装としているらしい。実際のヘス家の豪邸を取材していたら、その服が見つかったので、そのまま映画の衣装に使ったらしい。そのエピソードが、このファンタジックな映画から急に現実感を迫られる。服そのものは可愛らしいので、それもまた怖くなってくる。
しかし『関心領域』とは良い邦題。『関心領域』の原題は『The Zone of Interest』。センスのない邦題が多いなか、簡潔でインパクトがあり、原題をいじっていないのがとても好感が持てる。でもこの『関心領域』という言葉は、実際のアウシュヴィッツ周辺を指す言葉らしい。現代になって『関心領域』と聞くと、また別の意味を感じてしまうのが興味深い。当時のドイツからしてみても、アウシュヴィッツは関心の高い領域だったのかもしれない。
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