*

『アンという名の少女』 戦慄の赤毛のアン

公開日: : アニメ, ドラマ, 映画:ア行,

NetflixとカナダCBCで制作されたドラマシリーズ『アンという名の少女』が、NHKで放送されている。このドラマはルーシー・モード・モンゴメリの名作小説『赤毛のアン』が原作。ドラマのタイトルを改題した時点で、原作と別の視点でドラマ化されるだろうと、あらかじめお断りしている。

『アンという名の少女』の原題は『Anne with an E』。ラップのように韻を踏んでいるのが現代的。『赤毛のアン』の冒頭で、主人公のアン・シャーリーが自己紹介する場面で、「アンの後ろに“E”をつけた“ANNE”を想像して呼んで」と言っているところからの引用。アン曰く、“ANN”も“ANNE”も発音は同じだけど、後者の方が素敵な響きとのこと。アンの想像力の深さと、こだわりを感じさせる場面。

アン・シャーリーは、今でいう発達障害の人。ギフテッドを獲得した天才肌。豊かな感性を持っているが直情的。人間関係でトラブルを起こしやすい。それでも女性の身分が今よりもずっと低かった100年前の閉ざされた時代に、優等生となり職業に就いて結婚もしている。生きづらさを抱えた人の成功例みたいな小説でもある。

アンが想像に耽って、現実世界で上の空になる描写は、脳科学的な客観的資料にもなる。とうぜん原作者のモンゴメリも、生きづらさを抱えた人だったのだろう。

原作が映像化されるとき、どうしてもオリジナルとは別の展開になることがある。それは制作する上でのスポンサーの意向や、制作者が原作の意図を誤読してしまうなど、つまらない理由での改変がほとんど。

高畑勲監督がアニメ化した『赤毛のアン』は、原作にかなり忠実。原作にないエピソードも、モンゴメリなら書きそうだなと納得してしまう。村岡花子さん翻訳の日本版をアニメ観賞後に読むと、アニメ版には存在していて原作にはなかったエピソードがあって混乱してしまう。高畑版『赤毛のアン』が、あまりにも原作の意図を汲みながら、独自の展開をしているのがわかる。原作を読むとき、登場人物のイメージはもう、アニメのキャラクターしか浮かんでこない。高畑勲監督、恐るべし。

ドラマ『アンという名の少女』は、タイトルも改変されたし、別の展開はしていくだろうとは覚悟していたが、やはりオリジナルと微妙に違うストーリーには抵抗があった。有名な原作を脚色すると、たいていは失敗する。自分は原作の『赤毛のアン』が好きだったので、一度このドラマを観るのをやめてしまった。

9冊に及ぶ『赤毛のアン』シリーズをアン・ブックスと呼ぶ。そのアン・ブックスを読破している友人から、「あのドラマ、面白かったよ」と聞いた。早合点に猛省し、NHKの再放送で最初から観直してみることにした。

『アンという名の少女』は、原作とは違う。『赤毛のアン』では、すんなり解決したエピソードも、そう安易とは歩ませてくれない。原作のアンでは、孤児であれど想像力豊かな彼女のことを誰もがすぐ受け入れてくれた。このドラマでは、偏見やいじめ、DV、村意識の閉鎖的で排他的なところなど、怖いことばかりが起こる。フェミニズムに傾倒する村の女性たちも登場するが、それが偽善的でかえって息苦しいものだったりもする。とにかく陰湿で怖い。ホラー映画みたいな湿度がリアル。もしモンゴメリが現代の人だったら、フェミニズムを取り上げない筈はない。制作者側も、かなり気合を入れて原作を改変している。

『アンという名の少女』が再放送されているとき、ちょうど松本侑子さんの完訳版『赤毛のアン』を読んでいた。村岡花子さん翻訳版には無くて、高畑勲版のアニメ版にあったエピソードも、松本侑子さん翻訳版には蘇っている。しかも松本版には、ものすごい物量の注釈がついている。翻訳の範疇を越えた『赤毛のアン』の研究書といってもいい。松本侑子さんの『赤毛のアン』への愛情でいっぱいの翻訳版で読みごたえ充分。今後もこの翻訳版でアン・ブックスが刊行されていくらしいので、それも楽しみ。

松本侑子さんの本編注釈も読んでいたので、自分もちょっと『赤毛のアン』の真髄に詳しくなったような気がしてきた。こうして『アンという名の少女』を観ると、このドラマの原作改変が、ただセンセーショナルなだけでないのがわかる。当時のカナダの社会情勢や文化をきちんと踏襲して脚色されている。LGBTQまでドラマに取り込んでくる意欲作。もう、現代社会における生きづらさの問題を、すべて網羅しようとしているようだ。

ドラマの配役は、原作で読んだイメージ通り。というか高畑監督のアニメ版で刷り込まれたイメージ通り。ドラマには原作には登場しないキャラクターもでてくる。

個性的なアンを、いちばん最初に認めたマシューというおじさんがいる。この人は原作では亡くなってしまうのだが、このドラマでは死なない。モンゴメリがアン・ブックスを執筆中、「こんなにシリーズが続くなら、あんなに早い段階でマシューを死なせなかったのに」と後悔の発言している。マシューについて、もっと語るべきエピソードの構想があったのだろう。原作版のマシューは、ひきこもりのオタクっぽいおじさん。そんな繊細な彼だからこそ、風変わりなアンに共感したのかもしれない。『アンという名の少女』のマシューは、イケメンで行動力があって頼もしい。「そうさのう……」と言って口籠るタイプではない。アンを守る力強い存在。でも、そんなマシューもあって良い。

このドラマでは、アンの敵が多すぎる。生きづらさを抱えた人が、知らず知らずに周りとズレた言動をとっていて、周囲から知らず知らずに総ひんしゅく買っているような怖さも描いている。ドラマ全体に漂う不穏な感じが、原作にはなかった魅力でもある。ホラー映画でも観るかのように、観客のこちらはいつもビクビクしっぱなし。

こんな怖い世界観の『赤毛のアン』だけど、映像はめちゃくちゃ綺麗。プリンス・エドワード島の風景で心が洗われる。アンがこの地に来たときに、その美しさに感動していたのを思い出す。これぞ映像表現の醍醐味。

ドラマはシーズン3まであるらしい。なんでもNetflixとCBCの方針決裂で、番組は打ち切りになるらしい。せっかくドラマでじっくり『赤毛のアン』が描けるのだから、このメンバーでアンたちが大人になるまでシリーズ継続して欲しい。

この秋、シーズン2の放送がNHKで始まった。シーズン2はすっかり原作とは違う展開で、サスペンスタッチになってきた。もう自分の知っている『赤毛のアン』とは別物。でもこれはこれで面白い。ただやっぱりこのドラマは、どんな展開になっても基本的には怖い。人間の陰湿さがいかに恐ろしいかというのが、このドラマの最大のテーマなのだろう。

関連記事

no image

『オネアミスの翼』くいっっっぱぐれない!!

  先日終了したドラマ『アオイホノオ』の登場人物で ムロツヨシさんが演じる山賀博之

記事を読む

『DUNE デューン 砂の惑星』 時流を超えたオシャレなオタク映画

コロナ禍で何度も公開延期になっていたドゥニ・ヴィルヌーヴ監督のSF超大作『DUNE』がやっと

記事を読む

『愛の渦』ガマンしっぱなしの日本人に

乱交パーティの風俗店での一夜を描いた『愛の渦』。センセーショナルな内容が先走る。ガラは悪い。

記事を読む

『鬼滅の刃 無限城編 第一章 猗窩座再来』 映画鑑賞という祭り

アニメ版の『鬼滅の刃』がやっと最終段階に入ってきた。コロナ禍のステイホーム時期に、どうやって

記事を読む

『高慢と偏見(1995年)』 婚活100年前、イギリスにて

ジェーン・オースティンの恋愛小説の古典『高慢と偏見』をイギリスのBBCテレビが制作したドラマ

記事を読む

no image

『虹色のトロツキー』男社会だと戦が始まる

  アニメ『機動戦士ガンダム THE ORIGINE』を観た後、作者安彦良和氏の作品

記事を読む

『死霊の盆踊り』 サイテー映画で最高を見定める

2020東京オリンピックの閉会式を観ていた。コロナ禍のオリンピック。スキャンダル続きで、開催

記事を読む

no image

『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』天才と呼ばれた普通の父親たち

  なんともうまいタイトルの本。本屋さんをブラブラしていたら、水木しげるさんの追悼コ

記事を読む

no image

『あの頃ペニー・レインと』実は女性の方がおっかけにハマりやすい

  名匠キャメロン・クロウ監督の『あの頃ペニー・レインと』。この映画は監督自身が15

記事を読む

no image

『THIS IS US』人生の問題は万国共通

アメリカのテレビドラマ『THIS IS US』を勧められて観た。ゴールデングローブ賞やエミー賞を獲っ

記事を読む

『アバウト・タイム 愛おしい時間について』 普通に生きるという特殊能力

リチャード・カーティス監督の『アバウト・タイム』は、ときどき話

『ヒックとドラゴン(2025年)』 自分の居場所をつくる方法

アメリカのアニメスタジオ・ドリームワークス制作の『ヒックとドラ

『世にも怪奇な物語』 怪奇現象と幻覚

『世にも怪奇な物語』と聞くと、フジテレビで不定期に放送している

『大長編 タローマン 万博大爆発』 脳がバグる本気の厨二病悪夢

『タローマン』の映画を観に行ってしまった。そもそも『タローマン

『cocoon』 くだらなくてかわいくてきれいなもの

自分は電子音楽が好き。最近では牛尾憲輔さんの音楽をよく聴いてい

→もっと見る

PAGE TOP ↑