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『ウィキッド ふたりの魔女』 陰惨な世界を軽やかに歌い上げよう

公開日: : 映画:ア行, , 配信, 音楽

観るべきかやめるべきか迷っていた映画『ウィキッド ふたりの魔女』を観た。それがとても良かった。はじめに観るかどうか迷っていた自分が信じられない。なぜ鑑賞を躊躇したかというと、160分という上映時間の長さに他ならない。しかもこの映画は、物語の途中で終わる2部構成の第一話という。長旅になりそうなのでそれなりに覚悟がいる。しかもこの映画の予告編は、あまりにもつまらなそう。これは日本だけのローカライズからの失敗なのか、それともそもそもオリジナルもそれほど力を入れてなかったのかはよくわからない。楽曲の素晴らしさもあるけれど、曲を紹介してしまうとネタバレになってしまうのは、ミュージカル映画の悲しい宿命。近年日本では洋画が観づらくなってきた。マニアックな趣味になりつつある洋画鑑賞。『ウィキッド』は日本公開時もあまり話題になっていなかった。こんなにすごい映画が話題にならないなんて、いったいどうしたことか。日本には洋画ファンはもうマイノリティな存在なのだろうか。

そういえばこの映画の鑑賞を躊躇した理由は他にもあった。『ウィキッド』は、『オズの魔法使い』の前日譚にあたるとか。実のところ自分は映画『オズの魔法使い』を観たことがなかった。『オズの魔法使い』が制作されたのは、第二次世界大戦が始まった年の1939年。当時はモノクロ映画の時代だったにも関わらず、この『オズの魔法使い』は、カラーで制作されている。主人公の少女ドロシーが、現実の世界からオズの国というファンタジーの世界に迷い込んでいくこの映画。冒頭の現実世界の場面がモノクロで撮影され、オズの世界に入り込んでからカラー映像となっていく。その演出のセンスの良さは、映画史に刻まれている。実際に映画の『オズの魔法使い』未見の自分でさえ、一般常識のようになぜかそんなことを知っていた。

『ウィキッド』を観たのをきっかけに、自分も『オズの魔法使い』デビューを試みた。80年以上前にこれだけの映像をつくってしまうアメリカ帝国の力強さを思い知らされる。CGどころか特撮映画すらなかった時代に、どうやって撮ったのだろうと思わされる映像の不思議さ。きっとこれらの映像の驚きだけで、当時の観客はこの映画を名作とみなしたことだろう。ただ、現代の価値観からしてみると、この映画はなんだかモヤモヤすることが連続する。ドロシーはオズの国でけっこう傍若無人な行いばかりをしている。オズに到着する早々に、東の魔女を殺している。それをきっかけに西の魔女に目をつけられることになる。仲間を殺されたのだから、恨みに思われるのは当然のこと。この西の魔女がウィキッドらしい。西の魔女は、肌が緑で高笑いをする。悪い魔女のステレオタイプの原型がこれなのか。見た目が悪いというだけで、悪い魔女とされている。西の魔女はことあるごとにドロシーに意地悪をする。でもそれだけでドロシーに命を狙われることになる。オズの世界からしてみれば、ドロシーは明らかに侵略者。魔女というだけで悪とみなし、容赦なく殺しまくる。冒頭でドロシーの前にピンクの衣装をまとった白人がシャボン玉に乗って現れる。「私は北の魔女で、善い魔女です」と自己紹介する。自分で善人という人ほど胡散臭いものはない。この北の魔女を映画『ウィキッド』では、アリアナ・グランデが演じている。

『オズの魔法使い』でドロシーが西の魔女を殺しても、何事もなかったかのように許される。ドロシーは「殺すつもりはなかった」と涙ながらに訴える。ドロシーはいつも被害者ヅラ。それでもこの世界では、ドロシーの自己中心さが許される。とてもシュールで悪夢的。白人であるドロシーや北の悪魔は善で、それ以外の肌の色を持つ者は悪とする。白人至上主義が映画の根っこに蔓延っている。それでもこの豪華絢爛の映像で、なんとなくこの歪んだ価値観も受け入れてしまう。日本人だって有色人種なのに、自分も白人になったような気分でこの映画を観てしまう。アメリカのソフトパワーのなんと巧みなことよ。

そんな『オズの魔法使い』の持つ人種差別的なモヤモヤを、映画『ウィキッド』は爽快なくらいに吹き飛ばしてくれる。のちに西の悪い魔女ウィキッドとなるエルファバは、生まれつき肌が緑色。それだけでどこへ行っても差別を受ける。悪いことを何もしていないのに、見た目だけで悪者とされてしまう。かたやのちの北の善い魔女となるグリンダは、裕福な名家に育ってカリスマ性がある。いわゆるインフルエンサー。実際にスターであるアリアナ・グランデが配役されているので、存在感に説得力がある。グリンダは、才能があるから人気者なのではなく、金持ちの令嬢であるからのスター。肩書きが彼女のアイデンティティのすべて。偏見で立場を得たお調子者。グリンダがエルファバに接する態度は、上流階級の者が卑しき者への施しの偽善的なもの。欧米文学の古典的スタイル。豊かな者は貧しき者の気持ちはわからない。でもわかったフリぐらいはするのはマナーという感じ。文学が上流階級だけの文化だったことが伺える。この古典的ひな形に則って、現代劇の『ウィキッド』はモヤモヤするようにつくられている。

『ウィキッド』は、理不尽な環境に生まれ育ったエルファバと、裕福で人気者のグリンダという対照的な2人を主人公にして物語が進んでいく。ルッキズムやらスクールカーストやら、陰湿なテーマの話なのだが、それはミュージカルで軽やかに描いていく。2000年代初頭に発表されたミュージカルがこの映画の原作。当時はファンタジーとして描かれた差別や排外主義も、今では社会問題として取り上げられる重大なトピックとなっている。ファンタジーは社会風刺を描くためのジャンルだと自分は思っているので、この『ウィキッド』は、自分にとって大好物な作品と言っていい。

この映画の興味深いところは、エルファバもグリンダも性格が悪いというところ。エルファバは育ちの不幸で自己憐憫に陥っているし、グリンダは家柄が良いだけの無知なお嬢様。エルファバとグリンダが出会えば、反発するのは当たり前。それでも彼女たちは親友となっていく。その過程が映画を観ていく上でとても楽しい。お互い嫌なヤツ通しが、少しずつ認め合っていく。なんでもこの映画版は、原作ミュージカルよりもオリジナル要素が多いとのこと。人物描写に原作よりも深掘りしていくことを目指したらしい。だから160分という長尺の上映時間になってしまった。人物を丁寧に描いていく方針はとても大事なこと。それが作品にうまく活かされているのであれば、長い上映時間は心地良くなり、幸せな長尺映画となっていく。

どうやらウィキッドは、この映画のシリーズでもドロシーに殺されていくらしい。『ウィキッド』がどうやって『オズの魔法使い』につながっていくのか、それは最大の見もの。どうしてエルファバが、悪い魔女になっていくのか。映画は、これから堕ちていく主人公とあらかじめ観客に伝えて、あえて厳しい展開を進めていく。この第一部の大団円は、エルファバが西の悪い魔女になる覚悟を決めるまでが描かれている。そこで歌われる『Defying Gravity』があまりに素晴らしくて、胸踊ってしまう。エルファバ役のシンシア・エリヴォの歌唱力がものすごい。アリアナ・グランデも今までちゃんと聴いたことがなかったので、聴き始めてみた。アリアナ・グランデがこんなに聴きやすい曲が多いとは知らなかった。あとでサントラを聴いていたら、イヤホン視聴にも関わらず泣きそうになってしまう。曲の破壊力。映画の中での歌唱は、セリフと同時録音とのこと。それが効果を出している。役者の感情の高まりとともに自然に歌に入っていく。それこそセリフと楽曲の区別がない。喋りながら歌が始まるし、曲の途中でも話が進んでいく。あまりにも自然にミュージカルシーンが展開していく。『Defying Gravity』は、映画のクライマックスで歌われるメイン曲。世界中を敵にまわして悪者になっていく覚悟の歌。ダークヒーローとして堕ちていく場面のはずなのに、どうしてこんなにも開放感があるのだろう。第一部のクライマックスとして最高潮に達する。途中で終わる話なのに、ここまでカタルシスがあるのがニクすぎる。

魔女は孤独に追い詰められていく宿命がある。そもそも魔女とはなんだろうと考えてみる。男性社会において、頭のいい女性というのは厄介なもの。かつて魔女と呼ばれて迫害された人たちは、才女だった可能性が高い。医学に長けた女性が、男性医師ではお手上げだった病を治してしまったりと、本来なら大歓迎の能力の持ち主だったかもしれない。自分の地位を奪われることを恐れた男たちが、才能ある女性を魔女として追放していく。『ウィキッド』での構図と全く同じ。場合によっては、女性の敵は女性だったりもするからタチが悪い。どれもこれも映画の『ウィキッド』にそれらは描かれている。魔女がフェミニズムとも関連してくる。「ウィキッド』という映画は、この世のマイノリティの生きづらさ図鑑みたいになっている。

現代社会で生きていくうえで、さまざまな選択肢がある。その帰路に立った時、自分はどの道を選択していくのか。自分にとって最初のうちは、どちらも嫌いだったエルファバやグリンダも、いつしか感情移入できるキャラクターに変わっていく。善と悪と袂を違えていく2人だが、その選択の理由も納得ができる。2人が別れ際、互いの幸せを祈ると言葉(歌)にする。その選択肢が果たして正しいかどうかは、選ぶ時点ではわかることもない。答えを欲しがる現代社会で、成果ばかりを気にしていては、不安ばかりが募って先に進めないということもある。

ここまできっちり現代社会の生きづらさをリサーチして映画をつくられてしまうと、今後の展開が気になってしまう。監督にアジア系のジョン・M・チュウを起用していることにも意味がある。原作を知っている人は、ストーリーとしてはどうなっていくのかは、もうわかっているだろう。今回の贅沢な映画化を通して、ドロシーの利己的思想などもどう整合性をとっていくのか。ドロシーの出番は原作よりも増えるらしい。海外では2025年の11月に、すでにパート2の完結編が公開されている。日本は遅れて2026年の春公開となる。またしても洋画は世界で遅れをとることとなる。日本で公開されたとしても、やはり日本のシネコンでは観づらい時間帯にひっそりと公開されるのだろうか。『ウィキッド』のパート2がはたして映画館で観れるかどうかはわからないけれど、何らかの形では絶対に観たいと思っている。

『ウィキッド』は人生を考えさせられる映画。エンターテイメントの王道スタイルでありながら、さまざまな生き方のひな形をみせてくれる。嫌なニュースばかりの昨今に、この映画に時代性を感じる。生きづらい陰鬱な世の中だからこそ、歌って踊って生きていこう。『ウィキッド』は、早くこの続きが観たくなるワクワク感のある映画だった。

 

 

 

 

 

 

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