『パフューム ある人殺しの物語』 狂人の言い訳
パトリック・ジュースキントの小説『香水 ある人殺しの物語』の文庫本が、本屋さんで平積みされていた。なんでも又吉直樹さんが、テレビ番組でこの本を紹介したのがきっかけで増刷になったらしい。そういえばこの小説、10年くらい前に読んだっけ。というかこの小説の映画版、すごかったな。いつかもう一度観直したい映画の一本として気になっていた。ネットの無料配信を見つけたので、この映画『パフューム ある人殺しの物語』を再生してみる。
嗅覚が過剰に敏感な主人公グルヌイユが、香水の研究に没頭して、人殺しになっていく。なんとも奇想天外な物語。自分が初めてこの映画を観たとき、計算され尽くされた映像美と、予想もつかないストーリー展開に唖然となった。上映時間の長さも、すっかり自分の感覚を麻痺させた。
スラムで生み捨てられたグルヌイユは、強靭な生命力で、奴隷生活を生き延びる。嗅覚過敏が幸いして、香水職人へと道がついていく。特殊能力を持つ強い主人公というだけで、観客は彼に魅力を抱いてしまう。普通に考えたら、成り上がっていく苦労人の青年の物語になりそう。でもこの映画はそうならない。なにせタイトルが『ある人殺しの物語』だから。
映画はとてつもなく綺麗なものと、とんでもなく醜いものが交互に登場する。底辺の環境で育ったグルヌイユは、とても醜い。香水や高価なもの、ファッションなどに一生無縁な男が、美の世界に陶酔していく。グルヌイユを演じてるベン・ウィショーの存在感があってこそ、この映画が成立する。気品ある狂人ぶり。
なんらかの障害を持った人が、天才的な能力で社会を動かしてしまうことは現実にもある。しかし人の発揮できる能力には限界がある。天才と呼ばれる人ほど、普通の人が当たり前にできることができずに苦労しているもの。人ひとりが、生きているうちにできることは、均等なのではないかと思う。偏った能力を持つ人は、どこかでその皺寄せがくる。天才と障害は紙一重。どちらも生きづらい。
監督はドイツ出身のトム・ティクバ。過去作の『ラン・ローラ・ラン』は、ミニシアター時代にヒットした。アニメと実写が交差するゲーム的な映画。その後この技法は、手垢まみれで真っ黒になるほど模倣されまくってる。主人公が死んだら、また物語を最初からやり直し。作品に非道徳的な死生観を感じてしまって、生真面目な自分はすっかり不機嫌になってしまった。この映画『パフューム』も、倫理観はギリギリ。観客には、自己責任の大人の感性で、個々に補完してくださいと、センスを試される。
映画に登場するおじさんたちが楽しい。グルヌイユの香水の師匠になるダスティン・ホフマンの怪演は、ニヤニヤしっぱなし。宿敵になるアラン・リックマンの、必死な感じにも笑いのセンスを感じる。ともすると暗く陰惨な話になりそうなところを、これもまたギリギリでユーモアのケムに巻く。
自分はこの映画を気に入った。この美の追求とそれに殉ずる心情は、なかなか一般的な心理ではない。豪華絢爛な映画だけど、女性からはすこぶる評判が悪い。すっかり自分が男目線でこの映画を観ていることに気がついた。殺人の被害に遭うのは、若い女性ばかり。女性は、殺す側でなく狙われる方。この映画に不快感を抱く女性が多いの至極当然。そういえば、原作小説のファンも圧倒的に男性ばかり。男性にとっては他人事だからこそ、ファンタジーとして受け入れられる。女性からしてみれば、痴漢行為の延長線上の詭弁にすぎない。
超越してしまった人というのは常に孤独なもの。ときに他人から尊敬されることもあるだろう。けれどそこに愛はない。親に見捨てられたグルヌイユは、愛情を知らない。そもそも人間扱いすらされたことのない人生だった。自己の美への研究が開花する刹那、彼の頭によぎるのは、殺めるのではない方法で、相手への愛情表現を知っていたらどうだったか。別の人生の可能性。平凡に生きるということは、玉座に座ることよりも尊いことなのかも知れない。
どんなに才能があろうと、どんなに障害があろうと、人が人らしく生きていけるのは、社会や環境を整えること。生育環境が良好ならば、人生はいくらでも好転する。センセーショナルな展開にはならず、多くの人生を翻弄することもなかった。栄光と不幸は対になってやってくる。でも、特別な才能と情緒を兼ね備えられるのは欲張りかも。凡庸の魅力。
映画観賞後、モヤモヤとしたやるせなさを感じつつ、反面、高揚している自分もいたりする。結構怖い。美醜と善悪、貧富と男女。両極端なコントラストを映画は孕んでいる。人間の尊厳とはなんぞや。それを失ったら、世界は崩れる。
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