『藤本タツキ 17-26』 変態宣言を強要する珠玉のアニメ短編集!

『チェンソーマン』は、期待してなかったにも関わらず意外とハマってしまったアニメ。その原作者藤本タツキさんの初期短編集をアニメ化するという企画。ヒット作を生み出した作者の原点というのは、あらためて見なおすと大抵はまだ拙かったりして見辛かったりする。発表当時はどうかはわからなくとも、その作者が頭角を表す作品を先に観てしまうと、なんだか物足りない。ファンでもなければ、別に観なくても良かったかなとなるのは予想がつく。今回アニメ化された短編オムニバス作品は、『藤本タツキ 17-26』と総称されている。そのタイトル通り、藤本タツキさんが17歳から26歳までにかけて発表された作品集となる。予告編を観るとものすごい熱量の手間暇かけたアニメの映像となっている。紹介される短編のどれもこれもが気持ち悪そう。興味をそそるが、体力のあるときに観ないとグッタリしてしまいそう。こう言った露悪な語り口のサブカルチャー作品は、鬱病発生機にもなりかねない。
日本は世界中でも治安の良い国に部類する。混雑した都心部でも、お互いが譲り合いながら滞ることなく人の流れが進んでいく。みんな大人しく礼儀正しい。規律正しく管理されやすい国民性。それは単純に日本人が大人しいだけではなく、社会のシステムがそうせざるを得ないように出来上がっているからでもある。ルールに従った方が生きていくのがラクなのだと、多くの日本人が潜在的に学び取っている。日本の住みやすさは、日本人たちのちょっとした忍耐の積み重ねの上で成立している。集団で生活するには、自分のことだけ考えていてはやってはいけないということ。
海外の社会評論家などが日本のサブカルチャーを分析する。日本のサブカルチャー作品で、とくにアニメや漫画は、性描写や暴力描写を売りにしている作品がほとんど。海外のテレビではとても放送できないような作品が、日本国内ではまかり通ってしまっている。大人しい日本人からは到底想像もつかない、グロテスクな作品が列を並べる。日本人はなぜここまで外見と中身に乖離があるのか。日々自分を押し殺している鬱屈した日本人のメンタルが、娯楽作品のグロ描写を通して昇華されているのではないかと分析されている。
『藤本タツキ 17-26』 の短編集は、どの作品も露悪でグロテスク描写の連続。正直とても気持ち悪い。作品の切り口が悪質と言っていい。それでもここまでクオリティが高いアニメにつくられてしまうと観入ってしまう。ここでの短編たちは、エキセントリック過ぎるくらいの奇想天外な物語たちばかり。イマジネーションの多様さに脱帽。藤本タツキさんが天才と呼ばれる所以に納得。物語の先の展開が読めないので、ついつい夢中になって観てしまうのだが、鑑賞後の心身の疲労感はとてつもないものになってくる。短編作品1本は、15〜20分ほどの上映時間しかないが、体感としては2〜3時間の映画を観たくらいの疲労感がある。とても連続してぜんぶを観ることは厳しい。
Amazon primeのオリジナル作品として制作された本作。先行上映として映画館でも流れたけれど、Part1と Part2にと分割されて上映されたのも頷ける。藤本タツキさんの作品は、心してかからなければ、ミイラ取りがミイラにもなりかねない。軽いタッチでまんまと乗せられてしまう。危険な作風。だからこその魅力がそこにはある。この『藤本タツキ 17-26』 が劇場公開されたときには、SNSではかなり好評の声が上がっていた。ゲテモノのアニメが、一般的に受け入れられている。胸を張って「藤本タツキが好き」と言うのは、精神を疑われそうで勇気がいる。とてもリビングではかけられないアニメたち。こっそり観るようなアンダーグラウンドな作風だと思うけど、みんなどんな風にこの作品と向き合っているのだろう。
個性的な作品群は、いっけんどれも交わることのないように思える。「女の子にモテたい」「セックスしたい」 共通するテーマがあるとするなら、それらが当てはまる。恥ずかしいくらいの下品な変態心理。自分の欲求だけで、他人をおもいやる感性はない。厨二病フル稼働。この感性で日々生活している人がいたら、キモい以外の何者でもない。藤本タツキさんは、引きこもり時代に漫画家を目指そうと決めたらしい。閉じている世界を、赤裸々にエンターテイメント表現にぶつけている。露悪なだけなら商業作品としては成立しない。どの作品も、入り口は野蛮でも結末は真面目で、倫理的に落ち着くところを目指して着地していく。それがちょっと言い訳臭くもある。作品群からは、とどのつまり心を開ける友だちが欲しいという声が聞こえてくる。それは恋人でも家族でも友だちでもいい。露悪な厨二病には、ソウルメイトが必要。もしそれが得られたなら、世界が滅んでしまったとしても関係ない。
漫画やアニメは、思いの丈をぶつけられるメディアだと勘違いされやすい。クリエーターは普通の生活ができないようなエキセントリックな人が多い。でもそんな奇抜な感性をそのままぶつけてみても、一般の人にはそれが何を示しているのかさっぱり分からない。どこかで普遍性がなければ商業芸術にはなっていかない。出版会社が漫画家にあてがわれる担当者は、高学歴の人が多い。なんでこんないい大学行って、こんなダメな仕事に就いて、自分のようなダメ人間の担当なんかになっているのだろう。そう思いながら、クリエイターたちは仕事をしている。漫画家のエッセイでもよくそんなことが書いてある。クリエイターは担当者にきっとバカにされながら仕事をしているんだろうなと、当事者は余計な被害妄想に陥ったりもしている。ただ冷静な他者の目があることで、クリエイターがあんまりハメを外せないブレーキにもなってくる。高学歴者がエンタメ業界で採用されているのは、奇抜なアイデアはクリエイターに任せ、それを社会性に整合性を調整をさせるための仲介人として必要とされているからなのかも知れない。今では藤本タツキさんなどを担当された、林士平さんなどはレジェンド化してきている。
『藤本タツキ 17-26』は8本の短編で構成されている。全話鑑賞後、どの作品が好きだったか語り合うのも面白い。藤本タツキさんの紡ぐ物語は、心の機微がどうのというドラマ性はほとんどない。奇抜な設定や世界観で観客を驚かす。ある意味一発ネタ勝負の作品ばかりなので、初見で観ているときのワクワクはあるものの、2度3度と見返したいとは思えてこない。その中で意外と普遍性があって、日常世界に近い設定で感情移入しやすい『恋は盲目』と『妹の姉』が自分は面白かった。
『恋は盲目』は告白したい男子高校生と、それを待っている女子とのやり取り。男子は一世一代の人生の大仕事に取り組まんとしている。今この瞬間に世界の危機が起こったとしても、それすら些細なノイズでしかない。すべてを跳ね返す男子の覚悟。それを漫画的な映像表現を駆使して笑わせる。彼女に告白したい気持ちは、世界の敵をすべて駆逐するくらいの命懸けの闘いなのだということ。男子高校生の心理状態を、さまざまなデザインで画面に展開していく。男子の覚悟は『進撃の巨人』の主人公エレンが、世界中の巨人を駆逐してやると叫んでいる場面に繋がってくる。男子高校生のキャラクターデザインも、なんだかエレンぽい。
『妹の姉』は美術学校の物語。藤本タツキさんは美術大学へ進学しているので、そのときの経験が影響しているのだろう。女の子を主人公にする手法は、のちの『ルックバック』にもアイデアが繋がっていく。ちょうどこのアニメを観たころ、自分はNHKドラマの『ひらやすみ』にハマっていた。そのドラマの主人公も美術大学の学生だった。美術系大学ってこんな感じだけど、よくも似たような設定の作品が被ったものだ。『妹の姉』の脚本が米内山陽子(よないやま ようこ) さんとクレジットされていて驚いた。『ひらやすみ』と同じ脚本家さんではないか。どうりで美術学校の描写の雰囲気が似ていたわけだ。でも『妹の姉』も『ひらやすみ』も、もともとの原作がある作品。どちらも米内山陽子さんのオリジナル作品ではないので、たまたま美術学校が舞台の作品が重なっただけのようだ。ご本人は同時期に似たような舞台設定の作品が重なったのをどう感じていたのだろう。
藤本タツキさんは、次代の漫画家の巨匠へとすっかり成り上がってしまった。ただ、彼の語り口は倫理的には社会性からズレている。そのズレを作品を通して整えていくという作風。最後まで観なければ作品の真意が伝わらない。インパクトのある入り口が、とても悪質なので、どうしても客層も荒みやすい。こういった露悪な語り口に免罪符がおりたと世間が認めてしまう恐れもある。邪悪な雰囲気を醸し出すメジャー作品。ひとたびこれが許されてしまうと、それに影響された露悪な作品が増えてくる。漫画雑誌の編集部への持ち込み作品が、暴力と性描写ばかりの反社会的な作品ばかりにもなりかねない。倫理を破壊するスタイルで観客にフックをかけたのはいいが、それは禁じ手でもある。若者文化が反社会的な作品で氾濫するという危惧もある。やっぱり藤本タツキみたいな存在は、はひとりだけでいい。似たような作風の作家はたぶんもう必要ない。自身の変態性を売りにできる作家が成功するのは稀なこと。ある意味、藤本タツキは唯一無二のままでいた方がいい。藤本タツキを制御せよ。天才が暴走してしまわないように。『チェンソーマン レゼ編』が、エンタメ大国のアメリカでも評価されている。まだまだ藤本タツキ旋風は止むことなく、世界へと羽ばたいている。変態が王道になりつつある。とても不思議な現象だ。
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