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『かがみの孤城』 自分の世界から離れたら見えるもの

公開日: : アニメ, 映画:カ行,

自分は原恵一監督の『河童のクゥと夏休み』が好きだ。児童文学を原作に待つこのアニメ映画は、子どもたちに向けてつくられている。それでもこちらが心配してしまうくらい、現実の厳しさや残酷性を赤裸々に描いている。主人公の子どもたちは、社会から理不尽な思いをさせられる。それでもささやかながら前へ進もうとする姿は、原作にはない展開へと進んでいく。ここまで大人っぽいテーマを、子ども向け映画で扱ってしまって、果たして子どもたちはついていけるのだろうか。答えはイエス。むしろ損得勘定のない子どもたちの方が、この作品が描こうとするテーマをシンプルに捉えられている。世知辛い世の中だからこそ、こんな映画が観たかった。この映画の公開時期に主流だった、萌えアニメ的なキャラクターデザインをあえて避けて、あまりかわいくない、とっつきにくいデザインにしたのも静かなアグレッシブさを感じる。もっと『河童のクゥと夏休み』が評価されてもいいのではと思ってしまう。

原恵一監督の作品はその後も追いかけていた。森絵都さんの有名小説が原作の『カラフル』や、葛飾北斎の娘が主人公の『百日紅』も、映画的なアプローチで制作されたアニメ映画。どれも良かったが、かなり地味な作品でもある。そんな原恵一監督の最新作が『かがみの孤城』になる。

『かがみの孤城』は、今までの原圭一監督作品のような、とっつきづらいビジュアルではない。あたかもジブリ作品の最新作のような可愛らしいキャラクターデザイン。そのせいか、ジブリの亜流のような印象ができてしまい、何だか恥ずかしくて観る気になれないでいた。この映画が劇場公開されると、大ヒットこそはせずとも、クチコミで評価の声を耳にすることが多くなった。当時中学生だった自分の子どもも、この映画のことを話題にしていた。そこで『かがみの孤城』は、不登校の子たちの話だと初めて知った。辻村深月さんの原作小説は、本屋大賞も受賞している。きっと良い作品なのだろう。期待は膨らむ。

日テレの『金曜ロードショー』でこの映画が放送された。いままで触手が伸ばせずにいた本作。これを機会に観てみよう。我が家では、子どもたちよりもむしろ自分の方がこの作品の放送を楽しみにしていた。テレビ放送がされると、ネットではオリジナル版からカットされたシーンについての話題で盛り上がっていた。映画のテレビ放送時にはたいていエンドロールがカットされてしまうもの。今回の放送も見事にエンディングがカットされていた。そこで流れる映像が、とても大事だとのこと。それではこの放送版を観て良かったら、原作を読んで、その後で映画のオリジナルノーカット版を観てみよう。

配役がベテランの声優さんから、実写の俳優さん、若手俳優と多岐に渡っている。芝居の仕方がみな違うのが面白い。ジブリ作品のように、実写俳優や声優素人別業種の起用と、ベテラン声優の凄すぎる声の芝居との共演。不思議な化学反応。

原作小説を読んでみると、映画と原作との印象の違いがほとんどないのに驚く。原作の上下巻に及ぶ大作小説は、そのまま映像化してしまったら、とても映画の2時間枠には収まらない。物語の根幹は揺るがさずに、エピソードの取捨選択をしていく。脚色センスの巧みさ。作品にはミステリー的な伏線の仕掛けがあちこちに散りばめられれている。映画版はその仕掛けが、かなりわかりやすくなっている。後半でどうやってその伏線回収していくのかが楽しみとなってくる。

不登校やいじめという、暗くて重たい題材をどうやってエンターテイメントに昇華していくか。社会問題をそのまま描いているだけでは、けして楽しい作品にはならない。だからといって不謹慎に面白おかしく描いてしまっては、誰かが闇雲に傷つけられてしまう。エンターテイメントの基本は人を傷つけないこと。むしろいま現在、不登校で苦しんでいる子たちが、この作品を通して勇気づけられたら、作品の価値が上がる。『かがみの孤城』には、社会に対する問題提起もあり、娯楽としての楽しさもある。気軽にシリアスな問題に取り組んでいけるようになっている。心の問題や人の尊厳についてやっと考え始めた現代だからこそ、こんなエンターテイメントが生まれてくるのだろう。

この10年で心の尊厳についての考え方は、日本でも急激に進化していった。他の先進国に比べたら、メンタルの問題など原始的に遅れている国で、急ピッチで改革されたような気がする。経済中心で、個を犠牲にする社会づくりを進めていった挙句、健康な人たちがどんどん心身に不調を訴えてしまう。本来元気だった人が、どんどん働けなくなっていってしまった事が原因だろう。たとえいま元気に働いている人でも、聞いてみると数年前には原因不明の体調不良や鬱を経験していたりする。何事もなかったかのように、いま社会復帰している人については、生還者と呼んだ方が正しいのかもしれない。

日本の社会は、考えないで生きること、言われた事に従順に従うことを求められている。それには一定のルールがあるので、もしそのパターンに則って茶番と割り切れたなら、うまいこと乗りこなすことができるだろう。長いものに巻かれる人生も、それほど悪いものではない。不思議なもので、自分の意見を言わないことが、いちばん自分らしく自由に生きられる近道だったりもする。ものすごい矛盾。素直な人ほど抵抗したくなってしまう。

そんな社会構造に適した人材育成をするための義務教育。小学生までは自由気ままにのびのびと学校へ通えていたのが、中学生になった途端に、厳しい校則や受験対策に追い込まれていく。世界情勢が著しく変化しているなか、未だ昭和の軍国教育の名残りから脱していない日本教育。制服に封じ込まれた学生たちの個性と自由。ただでさえ10代のホルモンバランスが崩れまくっている不安定な時期に、規則でがんじがらめにされてしまえば、おかしくなるのも当然のこと。この苦労を乗り越えてこそ、立派な社会人になれるかのような精神論。10代の頃には、今後の人生を決めてしまうほどの出会いもある。その可能性まで、不自由な学校生活が摘んでしまいかねない。まるで中学校生活は何かの罰ゲームのよう。

つまらない中学校生活に幻滅してしまうのは、正しい感性の持ち主でもある。ひと昔前では、不登校になった生徒を無理矢理にでも登校させようとする流れがあった。今では学校に臨床心理士がいるのは当たり前。生徒が何かしらの不調を感じたら、すぐさま誰かに相談できるようになっている。先生たちもメンタルヘルスについての知識もあり、悩んでいる生徒がいたなら、ものすごく慎重に対応できるようになっている。この10年で心の問題について、社会的解釈と対応が大幅に変わってきた。今後10年も凄まじく変化が予想される。一人ひとりが尊重され、生きやすい世の中になっていくのはとても喜ばしいこと。

そこで気になってくるのは『かがみの孤城』の舞台となっている時代が、いつにあたるのかということ。主人公の安西こころちゃんが学校に行けなくなっている時代は、明らかに現代ではない。こころちゃんの苦しみを、周りの大人たちはまだ理解できていない。時代の価値観の変化も、作品の仕掛けのひとつにしているところが心憎い。大人たちの対応も時代を映す鏡。伏線のひとつ。

『かがみの孤城』に集まる子どもたちは、みな何某かの理由で学校へ行けなくなっている。自分は落伍者で、もう普通の人生は送れないのではと不安を抱いている。孤城に7人の不登校の生徒が集まる。「こんにたくさん学校に行けてない子がいたなんて」とみなが驚く。孤立してしまうと、自分だけが世界からはみ出してしまったように感じてくる。呆然と部屋に閉じこもってしまうと、もう一生外には出れないような自信喪失に苛まれる。でもそんな問題を抱えているのは、自分1人だけではないと知ることで、勇気も湧いてくる。ある意味自分は特別ではないと知ることは大事なこと。自分が感じることは、他者も同じに感じている。

最近よく聞く自己肯定感という言葉。日本人はその自己肯定感を低く持つような教育のされ方がされている。でもどんなことがあっても自己卑下はしてはいけない。謙遜することが美徳とされているなら、表向きだけは自分を下げて社交辞令と割り切る。腹の中でアカンベーしてればいい。だからこそ、安易に自分を低い場所に持っていってはいけない。

もしも学校へ行けなくなっても、現代ならば幾つか他の選択肢もある。フリースクールに通うもよし、転校するもよし。以前よりドロップアウトしない方法が増えたとはいえ、まだまだ現実は厳しいものがある。進学するときには、必ず出席日数は受験条件に問われるし、在籍学校からの報告書は受験に必要不可欠。受け入れ側の学校だって、どんな生徒が受験してくるのか最低限の情報は必要。生徒としては、たとえ学校へ行けなかったとしても、どこかに繋がっていることが重要となる。SOSは早いうちに発信できた方がいい。

この『かがみの孤城』では、いじめにあって不登校になった子が多く登場する。少し前までは「いじめられる方にも原因がある」と、被害者をただただ追い込むような理屈がまかり通っていた。これは管理する側だけの都合。めんどくさいからやりたくない、臭いものには蓋をするための詭弁。そんな自己責任論で、社会はどんどん悪くなっていった。そもそもいじめが起こる原因を追求していかなければ、いつまでたっても埒があかない。過酷なコミュニティーにいじめは横行する。世の偉い人にとっては、そこに問題をフォーカスされるのは厄介だろう。社会構造の抜本的改革すら求められてしまうかもしれない。

この物語の主人公・こころちゃんのように、大人たちに助けを求められる子はまだいい。被害者として正直に声を上げられているから。しかし、いじめの加害者はどうなのだろう。『かがみの孤城』に登場するいじめの加害者・真田さんのメンタルや如何に。

派閥をつくっていじめをするなんて、冷静に考えれば、自分の立場を危うくするだけのリスクしかない。なんでわざわざ大変なエネルギーを使って、いじめなんてするのだろう。もとを辿れば、真田さんもこの社会の被害者なのかもしれない。

自分には真田さんの心理はとても理解できない。でもきっと真田さんは、この中学校のシステムには、誰よりもついてゆけていないのかもしれない。その追いついて行けない焦りのストレスを、他の誰かを蔑めることで誤魔化しているとも感じられる。深層心理的な反抗。かなりタチが悪い。真田さんがこの世渡り方法に味を占めてしまうと、彼女は今後どこへ行っても同じことを繰り返す。完全なるサイコパスの社会悪爆誕。

どうしても不登校の子たちに目をとらわれてしまいがちなのは人情。でも不登校になる子には、その子なりにハッキリとした理由が必ずある。その理由の根源を辿っていかなければ、いつまで経っても問題は解決しない。日本の教育は、未だ戦前や戦後間もないころからあまり変わっていない。先生たちの仕事量の多さも問題だ。時代を踏まえて、古い慣例を取り払う勇気の必要性。まだまだ取り組むべき問題は山積している。

これは学校だけの問題とも言いがたい。会社組織でも同じこと。過酷な労働で、従業員たちが疲弊している職場ほど、いじめが横行してしまう。本来消化しきれない仕事が山積みなら、それらを解消する努力に目を向けなければならない。でも、多忙で心が荒んだ従業員たちの心情は、何を優先順位に選んでいいのか、考える判断力すらなくなっている。とりあえず目についた目下の人に八つ当たり。そうしてみんな鬱になり、仕事は更なる膠着状態となっていく。やがてその会社は業績悪化の一途を辿っていくこととなる。

社会全体での人権問題では、近年いろいろなことが良い方向に向かってきている。だからこそ見えてきた具体的な取り組み。今後更なるより良い社会を目指すなら、個人の尊厳に目を向けない訳にはいかない。この『かがみの孤城』みたいなエンタメ作品を通して、時代の流れの空気感が後世に記録されていくとしたら、かなり有意義なこと。

『かがみの孤城』は、2020年代の日本の社会状況の記録であり、将来への願望のビジョンでもある。こころちゃんのような悩みは、すぐに解決できるようになっていけるような社会づくり。その第一歩は、このようなエンタメ作品で、今自分には関係がないと思っている人たちへも啓蒙していくこと。問題提起の浸透。今を生きる子どもたちももちろんだけど、これからの子どもたちも希望を持てる未来を目指す。ひとつの作品が、そんな指針となれるとしたら、なんて幸せなことだろう。

 

 

 

 

 

 

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