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『ゴジラ-1.0』 人生はモヤりと共に

公開日: : アニメ, 映画:カ行, 配信

ゴジラシリーズの最新作『ゴジラ-1.0』が公開されるとともに、自分のSNSのTLは絶賛の嵐となった。自分はとくにゴジラには思い入れはないので、それほど興味が湧かなかった。ゴジラは最近ではハリウッドでもリブートされたり、庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』のヒットで、すっかりメジャーキャラクターとなっている。日本製のゴジラ作品の前作『シン・ゴジラ』は、社会現象になるくらい大ヒットした。モキュメンタリータッチで特撮映画をやった斬新な切り口。もうこれ以上の傑作は生まれないのではとさえ思えていた。

今回の『ゴジラ-1.0』は山崎貴監督が演出する。山崎監督は、CGの技術者から映画監督になった人。山崎監督の初期作品は自分も好きでよく観ていた。山崎貴監督の作品は、久しぶりに観ることとなる。

以前、山崎貴監督と同僚だったという方と話したことがある。なんでも山崎監督と自分が、話し方が似ているとのこと。その頃の山崎監督の監督作品は『ジュブナイル』と『リターナー』の二作目だけ。その二作は自分はかなり気に入って、DVDも持っていた。その後、山崎監督は『ALWAYS』シリーズを撮り、いつしか右傾エンタメと呼ばれるジャンルの映画をつくり続けていた。右傾エンタメとは、作家の石田衣良さんが名付けた、戦争礼賛的なエンタメ作品のこと。きな臭い政治映画は、どうしても避けてしまいたくなる。かつてはファンだった山崎貴監督の作品から、いつしか遠のいてしまっていた。すっかり山崎貴監督と自分が似ているとは思えなくなっていた。

今回の『ゴジラ-1.0』の作品舞台も、第二次世界大戦後間もない頃の日本。またもや政治的な内容なのかと感じて、これは100%観ることはないだろうと思っていた。それが昨年末にアメリカで、この映画が公開されるやいなや、異例の大ヒットとニュースになった。ついにはアメリカでのアカデミー賞で、視覚効果賞まで獲ってしまった。ドメスティックなプロパガンダ映画なら、異国で評価される筈もない。この現象はいったいどういうことだろう。

「ゴジラが日本を襲撃しているのに、日本政府は何もしないで、民間人だけで戦っているのは何故ですか?」 そんなメディア質問に、山崎貴監督が答えていた。「コロナ禍のとき、日本政府は何もしてくれなかったでしょ? その雰囲気を映画の中に反映させたかった」とのこと。あれ、そんなこと公の場で言ってもいいの? それはかなり印象に残る返答だった。

和製ゴジラシリーズの前作『シン・ゴジラ』では、政治家目線のドライな視点で映画がつくられていた。政治家たちが日本のために懸命に働いてくれているというファンタジー。『ゴジラ-1.0』は、あえて前作の成功例の反対の方向性で演出プランを狙っている。かなり天邪鬼な視点。群像劇だった前作に対抗して、個人が主人公となっていたり、ドライなモキュメンタリータッチだったのを、コテコテ浪花節のメロドラマに仕上げていたりしている。「生きて、抗え」とは、今回のゴジラのキャッチコピーだが、作品の方向性も、今までのシリーズの成功例に徹底的に抗って、逆の道をまっしぐらに進んでいく。あえて前作を否定していく。戦中戦後の日本が舞台の作品が多い山崎貴監督。その時代を調べた資料も、つくったデータも、きっと蓄積は豊富だろう。前作までの成功パターンを踏襲するのではなく、自分の得意な分野へ持っていったのはまさに英断。

日本映画が日本国内だけで大ヒットしたというローカルな人気なら、自分はほとんど興味を抱かない。作品が良かったというより、宣伝が上手だったのだろうと解釈する。でも、ひとたび海外で評価されたと聞いたなら、めちゃくちゃ観たくなってしまう。それはそれでかなりのミーハー。日本の戦争直後が舞台の映画を、海外の観客が受け入れた理由が知りたくなる。でも自分がこの映画を観たいと思った頃には、すでにシネコンでは『ゴジラ-1.0』の旬は過ぎていた。凱旋上映で上映回数は増えたものの、なかなか自分の都合と時間が合わない。そうなればもう配信を待つしかない。

世界でウケた映画ということで、わかりやすい作品であることは、観る前から想像できる。近年のヒットしたハリウッド映画は、わかりやすいことが共通の特徴。こんな殺伐とした世の中で、みんな小難しいことは考えたくない。気軽に現実逃避できるエンターテイメントが観たい。戦後の貧しい時代を描いた『ゴジラ-1.0』。日本人より、むしろ海外の人の方が、ファンタジーとしてこの映画を、何も引っ掛かるところなく楽しめるのだろう。

『ゴジラ-1.0』は、娯楽作品としては面白くできている。ゴジラという架空のモンスターは、戦争や災害、核のメタファー。戦争直後の混沌とした時代を舞台とするのは、間違った時代選びではない。第1作目の『ゴジラ』は、戦後間もないころにつくられた映画なので、制作に関わっているスタッフキャストたちは戦争経験者ばかり。今回の『ゴジラ-1.0』の制作者たちは、みな戦争を知らない世代。今までだったら怖くてやらなかったような、戦争を面白おかしくエンターテイメントの素材にして、パッチワークしている。映画としては面白いかもしれないけれど、倫理的にはどうなんだろうかと、なんだかモヤモヤが募っていく。まあ、それもまた山崎貴監督作品らしさなのではあるのだけれど。

SNSで暴言を振り撒くネトウヨは、なんとなくオタクと同一という印象が出来上がっしまっている。確かにネトウヨにオタクは多いかもしれない。でも自分自身や自分が知っているオタクは、ノンポリの人がほとんど。日本がもっと豊かだった頃のオタクは、優しすぎるくらい優しい人が多かった。独身貴族みたいな人が多く、結婚して自分の自由なお金がなくなるくらいなら趣味に生きたいと、自ら独身人生を選んでいた人が多かった。とにかく皆、金は持っていた。だから自分の趣味に湯水のように投資ができる。それでオタク業界のビジネスもニッチに成立していた。今ではオタクという言葉からは、心身的にも社会的地位も貧しい印象を受けてしまう。グッズが売れなければ、オタク産業も成立しない。

日本のアニメ系作品には欠かせない神木隆之介さんを主演にしたのは、安定鉄板のど定番。ヒロインを演じる浜辺美波さんは、庵野秀明監督の『シン・仮面ライダー』で演じた役と同じポジション。彼女が演じるヒロインは、主人公の奥手チェリー君を気に入って、行動を共にする。チェリー君は優しいけれど、極度の臆病者。文字通り指一本触れようとしない。やがて、彼女は去っていくのだけれど、去られた後で、チェリー君はものすごく後悔してしまう。もっと相手の気持ちに寄り添えばよかったと。

『シン・仮面ライダー』の主人公は、それで終わり。なんだか不完全燃焼でモヤモヤを通り越して、イライラさえしてくる。そこでも山崎貴監督は、庵野秀明監督に抗おうとしている。チェリー君はヒロインともう一度やり直そうとし始める。作品としてはその方が気持ちがいい。これまでのホラー映画が示してきた流れで、ヒロインが帰って来るのは何か理由がありそう。スッキリ終わらせないのは、物語に余韻を残すためのテクニック。でもそのモヤモヤする余韻をきっかけに、人気作品は続編シリーズ化を余儀なくさせられる。『ゴジラ-1.0』は、あわよくば続編もつくりたいというあざとさに開き直っている。それもまたモヤモヤさせられる。

そもそもオタクという人種は、ノンポリで思想や信念など持ち合わせていない。だからこそ、ときに無神経だったり無配慮なデリカシーの無さが際立ってしまう。知識はあれど、人の感情の機微はいたって苦手。理論理屈が先立ってしまう。だからこそ、ときには政治利用もされてしまう。第二次大戦中、ディズニーやマーベルは、子どもたちに戦争を鼓舞するような作品をたくさんつくっていた。有事にエンターテイメントは、政治と密接に繋がってしまう。大衆がエンターテイメントを求めるのは、辛い現実をひととき忘れるため。社会風刺でガス抜きできるならまだしも、その発信源が苦しみの元になってしまうなら、無限地獄に陥ってしまう。エンタメと政治、混ぜるな危険。

今回の『ゴジラ-1.0』は、初めから海外進出を視野に入れて制作されている。2023年に設立した東宝の海外グループ会社TOHO globalの自社配給作品の第一作なのがこの『ゴジラ-1.0』。韓国映画『パラサイト』のアカデミー賞作品賞受賞で、英語で制作されていないアジアの作品でも、アメリカや世界で評価されることが証明された。コロナ禍で配信によるエンターテイメントの楽しみ方が定着して、英語以外のコンテンツも英語吹替せずとも受け入れられるようになってきた。

韓国エンタメの世界標準化は、20年前から国をあげて国際産業とせんとした努力の賜物。日本はその成功例にあやかって、大手映画会社もやっと重い腰をあげはじめた。

日本のアニメは世界で人気とよく言われている。でも客層のパーセンテージは、どの国でも全人口との比率は同じくらい。日本のアニメファンの数と、世界各国に散らばるアニメファンのそれぞれの国での人数比率はあまり変わらない。細分化されたコアな客層。日本国内だけで完結するマーケティングでは、ビジネスとして限界がある。ならば世界各国それぞれの国にいるアニメファンを、全方位客層のターゲットにしたならば、それは大きな産業となっていく。日本のアニメが海外の方が人気があるのではなく、世界に散らばるニッチなファンがそのまま国の数だけ存在しているということ。万人ウケを狙わずとも、世界の細分化されたファンに向けて作品づくりをしていけばいい。

つい20年くらい前までは、世界進出する日本人を冷笑する雰囲気が国内にはあった。それはその当時、現役で日本で人気のあるタレントや政治家たちがよくやっていたこと。「日本人が海外へ行ったって、どうせダメだよ」と。日本を出て海外を目指す人を、裏切り者の非国民とまで言い放ちがちだった。なぜ海外進出をそこまで否定するのだろう。自分と関係ないならほっとけばいいのに。

きっとそのとき冷笑していた人たちは、自分にはできそうもないことをやってのけようとする人たちが羨ましかったのかもしれない。そして、自分よりも高いスキルを身につけられてしまうことに焦りを感じていたのかも。大谷翔平選手のような、日本人でありながら世界的スターが当たり前になった現在。見えてくるものが当然当時とは異なってくる。

世界で活躍するタイプのスターと、ドメスティックに活躍するスターとはタイプが違う。客層だって異なってくる。洗練されたK-POPが世界を賑わせても、韓国国内では泥臭い歌謡曲の方が人気だったりする。国際標準のエンタメは、国内では敷居が高かったりもする。ダサいくらいの方が安心したりすることもある。エンターテイメントがさらに細分化していけばいいだけのこと。客も表現者も棲み分けていけばいい。海外進出を批判したがる人も、もっと気楽に得意なことだけをやっていければ、他人を冷笑する必要もなくなってくる。

とにかく今回の『ゴジラ-1.0』は、初めから海外進出を視野に入れていたのが新鮮。日本映画も世界的産業になることが証明された。よくもまあ日本の大企業が、世界マーケットに目が向いたものだ。いや、もしかしたらすでに日本企業も、海外に買収されて外資系になっているからかもしれない。だからこそ、世界に目が行き始めたのかもしれない。

いまの世界においての日本映画の人気は、海外の目からみたら珍しいものみたさからくる好奇心だけかもしれない。これが定番のブランドになっていくのが、次の目標。『ゴジラ-1.0』の世界的ヒットが、ビギナーズラックで終わらないために、また新しいことを始めなければならない。日本のメディアは、この映画のアカデミー賞受賞を、受け身的に報道している。努力を世界が見つけてくれるみたいな受動的考え方。でも、攻めがなければ、どんなに良いものでも誰も見つけてはくれない。受け身に回りがちの日本人が、今後どう攻めていくのか。映画産業が元気な国は、その国がのっている表れだと思う。日本の映画が世界から注目を浴びた今、自国の失われた30年を脱するチャンスなのかもと密かに期待してしまう。

『ゴジラ-1.0』を通して感じたのは、この映画の制作者たちと自分の、人生における映画体験が似ているということ。オープニングショットのリュック・ベッソン監督の初期作品のオマージュから始まり、『ジョーズ』や『スター・ウォーズ』、『ダンケルク』など、オマージュの元ネタがどんどん浮かんでしまう。自分が山崎貴監督と似ていると言われた理由は、そんな類似した映画体験から、得たものが滲み出ていたからかもしれない。でもオマージュはほどほどにしないとお里が知れる。映画の元ネタが、過去の映画というのは、視野が狭くて行き詰まる。

やっぱりエンターテイメントは、社会性と繋がっていなければ飽きてしまう。その時代時代を読み込んで、エンタメに昇華していく批判性。ノンポリなオタクで冷笑しているだけでは、作品にパワーは出てこない。観客も制作者も、もっともっと成熟したユーモアセンスを磨いていけたら、さらなるエンタメステージに辿り着けそう。日本映画も、そんなウィットに富んだ作品が今後生まれて、評価されていって欲しい。まだ描かれていない視点の題材は、世の中にいくらでも溢れている。

『ゴジラ-1.0』は、面白いけどなんだかモヤモヤが残る映画ではある。でも、そのモヤモヤが何か悪さをするとも思えない。スッキリしないものとも、すぐ答えを出さずに共生していく。いちいち反応してエネルギーを使わない。それが本当の意味で、生きるということなのかもしれない。

そういえば山崎貴監督の次回作は『はだしのゲン』を題材にしたいとの噂も聞いた。やっぱりすごくモヤモヤする。

 

 

 

 

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