『cocoon』 くだらなくてかわいくてきれいなもの
自分は電子音楽が好き。最近では牛尾憲輔さんの音楽をよく聴いている。牛尾憲輔さんは電気グルーヴのサポートメンバーで、ソロユニットはagraph名義で活動してる。そしていま、いちばん人気のアニメ劇伴作曲家でもあり、ノリに乗っている人と言っていい。彼が何かの作品の音楽を担当すると知ると、どんな作品か知らなくても観てしまう。その牛尾憲輔さんが、なんでもNHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』で特集されるとのこと。それはぜひ観てみたい。牛尾さんのSNSでは『プロフェッショナル』と同時放送される『cocoon〜ある夏の少女たちより〜』も紹介されていた。この作品の音楽も牛尾憲輔さんが劇伴を担当しているという。
そのアニメのメインビジュアルは、青空を背景に2人の女学生が立っているものだった。スタジオジブリのタッチの絵。日本のアニメのポスターで、青空の前で学生が立っているビジュアルは数多に存在している。海外のコンペティションでも、青空と学生がメインビジュアルの日本のアニメがきたら、審査員は作品を観る前にはねてしまうとまで聞いたことがある。描かれている2人の女学生のメインビジュアルの制服姿のひとりはスカートで、もうひとりはスラックス。セクシャルマイノリティが題材なのだと予想がつく。扱うには難しいテーマ。はたしてどうなるのだろう。
SNSのショートで、誰かがあげたスタジオジブリ風の戦争アクションアニメが上がってきた。スタジオジブリ作品はぜんぶ観たつもりだったので、ファンメイドのアニメかと思ってしまった。女学生たちが『千と千尋の神隠し』の冒頭に出てくるような廃墟の街を歩いている。どこからともなく一斉射撃を受けて銃弾に倒れていく。飛び散る血や肉片は、たくさんの花びらとして表現されている。なんとも残酷で不思議な映像。まさかこれは牛尾憲輔さんが担当したセクシャルマイノリティのアニメではないだろうか。そのショートはご丁寧に主役格の少女が絶命する場面まで載せてくれている。とんでもないネタバレ。少女たちが虐殺されている場面なのに、カメラワークがカッコいい。あたかも『天空の城ラピュタ』や『風の谷のナウシカ』のアクションシーンを観ているかのよう。ジェノサイドが、綺麗だったり勇ましい表現で描かれている。
『cocoon』という作品を調べてみると、第二次大戦の沖縄でのひめゆり学徒隊をモチーフにした作品とのこと。実在した悲惨な戦争の歴史を、ここまで面白おかしいエンターテイメントとして描いてしまうのには抵抗がある。
沖縄のひめゆり平和記念資料館は、かつて自分も行ったことがある。15年くらい前、当時勤めていた会社の社員旅行で沖縄へ行った。毎月給料から少しずつ社員旅行の旅費を天引きされていた。もし社員旅行へ不参加したならば、その天引きされた給料は没収とのこと。要するに強制参加。当時はそんなブラックな風習の会社はたくさんあった。そこの会社では、普段長時間残業や休日出勤がかさむので、多くの社員は社員旅行よりも休日が欲しかった。自分も社員旅行は気が重かったが、沖縄旅行ならばそれほど悪くないと思って割り切った。
現地に着くと、観光ルートがふた手に分かれることとなった。20〜30代の独身者が多い世代は、沖縄の民芸品をつくるワークショップや、買い物メインのコース。40〜50代のアダルトチームは、沖縄戦の歴史を巡る旅とのこと。自分は沖縄戦歴史の旅に迷わず飛びついた。当時自分は30代だったので、若者チームの世代ではあった。ただ独身者が多いそのチームでは、既婚者である自分はかなりアウェイ。歴史の旅チームでは自分は最年少。これも良かった。それに沖縄に来たからには、その地のことがまずは知りたい。戦争歴史の旅は、明るく楽しいものではないが、知的好奇心を刺激してくる。
ひめゆりの塔が建つその下に、学徒隊が従軍した洞窟がある。とても人が長時間居られるような場所ではないと感じた。『cocoon』を観て、そのときの不安な気分を思い出した。旅をしたとき、同行者はひめゆり記念館を観たあと、ソーキそばを食べようという計画になった。ここを観たあと、食欲無くなるんじゃないかと自分は心配していた。同行者たちは、「観るだけなんだから、大丈夫だよ」と言ってくれた。でもそんな気楽な筈はない。案の定、そのあとのソーキそばを美味しく食べれなくなってしまう。なんとも自分のメンタルの弱さが情けない。それでも一生懸命に平静を装ってソーキそばを食べた。味がぜんぜんしなかったのを今でも覚えている。
その頃自分は、映画に携わる仕事に就きたいと思っていた。日々の会社勤めの傍ら、シナリオの執筆をしていた。戦争ものを本気で書いてみたくて、戦争にまつわる書物をたくさん読み漁った。第二次大戦は近代史なので、現存する資料もたくさんある。調べれば調べるほど、多くの点が線として繋がってくる。事実は小説より奇なり。自分の頭では思いつかないようなことが、数十年前に日本でも起こっていたということを知る。結局400ページくらいで、長編映画になるくらいの作品を書き上げることができた。シナリオコンクールで佳作を貰えた。それが自分にとっての作家としてのピーク。夢を実現するには、体力的にも精神的にもパワーが必要だと知った。
アニメ『cocoon〜ある夏の少女たちより〜』を観るのはあまり気が進まないが、そのあと放送される『プロフェッショナル』の牛尾憲輔特集では、きっとこの作品のメイキングも取り上げられるだろう。一応、セットとして観ておいた方がいい。でも、アニメを観る前に心構えが必要だ。
原作があるというこのアニメ。作者はどんな意図でこの作品を描いたのだろう。ネットで作者の今日マチ子さんのインタビューを読んでみる。自分の推しである坂本龍一さんと同じ東京藝術大学卒という輝かしい学歴の持ち主。「今日マチ子」というペンネームも、昭和の俳優さんの名前のもじり。今日マチ子さんのインタビューは好感が持てるものだった。とにかく「戦争は怖くて嫌だ」と言っていた。『cocoon』執筆のきっかけは、沖縄出身の担当者から、戦争マンガを描いてみてはと薦められたことからとのこと。女の子のたわいもない日常を描く今日マチ子さんの作風と、戦争とはまったく交わるところがないと最初は断る。担当者からは、そのたわいもない日常と戦争を同じ世界観で描いて欲しいのだと推される。
ひめゆりの塔へ取材に行った今日マチ子さんは、ひめゆり学徒隊の写真にふと感ずるものがあった。ここに写っている女の子たちは、まるで自分の高校時代の同級生のようだ。恐ろしい戦争の犠牲になった人たちと先入観が入ってしまうと、戦争は自分と関係のないものと捉えたくなってしまう。戦争は描けるかはわからないけれど、友だちのことなら描けるかも知れない。それがマンガ『cocoon』の構想に繋がる。そんな意図の作品なら観てみたいと思った。
『プロフェッショナル』の牛尾憲輔さん特集では、やはりアニメ『cocoon〜ある夏の少女たちより〜』のメイキング場面があった。関係者ラッシュ試写の場面で自分はゾッとしてしまった。スタッフが男性ばかり。少女ばかりが登場するこの作品で、男性ばかりでこの作品をつくっていることに異様なものを感じた。『cocoon』の主人公は「男の人は怖くて嫌い」と言っている。戦争をするのは男、彼女たちを陵辱してくるのも男。彼女たちから平穏を奪い取ったのは、すべて男たちだった。原作マンガでの彼女たちは、男性すべてを白い影法師としてみている。原作マンガでは、主人公の家族以外の具体的な男性は登場しない。戦争が題材なのに男性が存在しないという、その原作の視点がユニークだった。アニメ化にあたって、どうして女性スタッフを配置できなかったのだろう。男性はこの作品では邪悪な存在でしかない。メイキングは見せない方が良かったのではと思わされてしまう。
戦争を男性目線から見るのと、女性から見るのとでは大きく違ってくる。アニメ『cocoon〜ある夏の少女たちより〜』は、きっと原作とは違うテーマなんだろうと、ずっとモヤモヤしながら観ていた。もう原作を読まないわけにはいかない。映像化作品は、原作を紹介するのも役目のひとつ。その原作に観客を導くことができたなら、それはそれで映像化が成功したと言ってもいい。『cocoon』については、アニメと原作マンガは根幹がまったくの別物の作品だと思う。
今日マチ子さんの作品で戦争を扱っているものは多い。『cocoon』を始め、戦争三部作というものがある。『アンネの日記』から着想してアウシュヴィッツを描いた『アノネ、』。長崎の原爆の時期、盗み癖のある少女を描いた『ぱらいそ』。戦争三部作以外にも、戦争と少女を描いたイラスト集『いちご戦争』という作品もある。それらを一気に読んでしまった。
以下はネタバレになる。
今日マチ子さんの戦争マンガに登場する少女たちは、必ずしも品行方正、清廉潔白な子としては描かれていない。『アノネ、』の主人公は、強制収容所で他の収容者が大事に持っていた飴を盗んで知らん顔をしたり、懇意になった先輩を保身のためにナチスに売り飛ばしたりする。『ぱらいそ』の手癖の悪い主人公は、原爆負傷者が飲みかけの水筒を奪い取る。数日後その被爆者は同じ場所で、目からウジを出して死んでいる。「あの人が死んだのは、私が水筒を盗んだからじゃないよね」と自分に言い聞かせていたりする。
『cocoon』の主人公サンも、自己中心な感覚だからこそ生き延びているところがある。興味深く感じたのは、クライマックスで友人が負傷したとき、どさくさに乗じて相手の服をどんどん剥ぎ取っていくところ。今生の別れを告げようとする相手を裏腹に、自身の性欲をあらわにしていく。従来なら、別れのお涙頂戴になる場面にしてしまうところを、このマンガはそうしない。自分の世界しか見えていないからこその残酷性。まるで自身が受けた陵辱への精神的な復讐を、大好きな子にぶつけているかのよう。相手のあの子は、あのまま裸にされたまま置いてかれちゃったのかな。大好きな相手だったなのに、上手に尊重できずじまい。とても気の毒。
今日マチ子さんのマンガはすごい。女の子は可愛いものや綺麗なものが好き。見た目も可愛らしい。でも、か弱い存在だからこそ狙ってくる敵も多い。通り魔犯が「誰でもよかった」と言いつつ、女性ばかりを狙っているのも確信犯。女性や子どもは本来なら、肉体的に強者である男性や社会に守られる存在。戦争やら家父長制、男性優位社会によって、男同士ですらいじめ合う。誰が上か下かで争いが絶えなくなる。そうなると心は荒んでくる。社会不安や戦争状態で傷ついた心の表れは、いっけん目には見えてこない。可愛いものや綺麗なもの、くだらないおしゃべりで、きゃあきゃあ言っていれば幸せを感じられた少女たちが、悪辣な状況下で徐々に心が壊れていく。その音もなく内面から崩れていく少女心理が、今日マチ子さんの作品ではさりげなく描かれている。戦争による殺し合いも怖いけど、戦禍を生き残ればそれで良いというものではない。心の傷は、たとえ身体的に無事であっても、生涯癒せないものとなっていく。
子どものころは現実とファンタジーの境目が曖昧で、大人になるにつれ徐々に現実が見えてくるようになるとよく聞く。大人になっても夢みがちな人は、現代では脳になにがしらの障害があるのではと疑われてしまう。ただ気になることは、ここで言う「現実」もまた不確かなものであるということ。結局世の中、「自分は正しい」と言い切れてしまう人がいちばん怖い。はたしてファンタジーの世界を夢見てしまうことは、単純に幼稚な精神性だけなのだろうか。実際には、現実の存在とファンタジーの夢の世界のどちらも認めて、あちらとこちらを適切に行き来できることができる人が、大人というものなのではないだろうか。時としてファンタジーは、辛い現実を乗り越える希望にもなる。子どもの頃、何もかもが希望に満ち溢れて見えていたのは、ファンタジーという希望があったからかも知れない。
戦争を描く作品には、自分はとうしてもナーバスになってしまう。戦後80年経って、戦争体験者が減ってきている。かつては作者自身の戦争体験をもとに描かれる戦争作品が多かった。このまま平和が続いていければ、今後生まれてくる日本の戦争作品は、戦争未体験者による想像で描かれていくことになっていく。ファンタジー作品や戦国時代もののようなフィクション作品となっていく。とかく戦争を扱う作品は政治的になってしまう。舞台劇となると左翼的になってしまうし、マンガやアニメ、特撮で戦争を扱えば、ネトウヨ臭がしてしまう。『cocoon』は舞台化もされたし、アニメ化もされた。戦争が題材というだけで、どうしても政治的や思想的になる。会社勤めの会話では、政治と宗教の話はタブー。それは一般的な社会人の基本とされている。政治と思想、そのどちらにも属しているのが戦争作品。
戦争作品の多いクリント・イーストウッド監督の映画。イーストウッドは、日本が舞台となった『硫黄島からの手紙』をつくっている。イーストウッドは保守派の共和党支持者。イーストウッドには他にも戦争映画がいくつかあるが、どれも反戦のテーマを持っている。ゴリゴリに勇ましいばかりの戦争美化映画では、世界のマーケットに持っていけないことがわかっているからだろう。戦争に対する思想的な部分は排除して、史実をもとに作品を紡いでいったら、自然と反戦を感じさせる作品に仕上がっていった。戦争の史実に向き合えば、どうあがいてもやるせないエピソードばかりになっていく。
今日マチ子さんの戦争マンガは、戦争によるイデオロギーにはほとんど触れていない。まるで戦争も災害のひとつのよう。たとえそれが自然災害だろうが人災だろうが、市井の人々の視点から見れば理不尽な脅威でしかない。思想を交えないことで、戦争の不条理さを伝えている。反戦を強く語ることはなく、調べ抜かれた史実を元に、その隙間でフィクションを描いていく。自分も戦争について調べたことがあるので、今日マチ子さんがものすごい取材をされているのが伝わってくる。調べに調べ抜いた上で、自身の感じたことをフィクションの形として描いていく。
戦争についての事柄は、戦争未体験の我々が書物を読んで想像するよりもはるかに悲惨なのことが起きていたのだと思う。あまりに怖い出来事なので、そんな現実の地獄には目を背けたくなる。怖すぎるからこそ、ファンタジーの力が発揮される。残酷すぎる現実と、甘く柔らかいファンタジーの世界。悲惨だからこそ見る夢。ただ、間違ってもファンタジー描写を通して、歴史に蓋をしたり改ざんすることはしてはならない。それは歴史の中に生きた人々に対して、最低限の礼儀みたいなもの。
今日マチ子さんの絵柄は、線の少ないデフォルメされた作風。本来絵が描ける人が、あえてサラッと描いた感じ。その省略された絵柄のマンガだからこそ、読者の想像力を駆り立てる。ことさらマンガやアニメは情報過多な作品が多い。そんな今のマンガの流行りに乗らない作風がいい。今日マチ子さんの作品には、読者が考えるための行間が、たくさん用意されている。
もし今後、今日マチ子さんの戦争マンガが映像化されることがあるのなら、勇気を出して真摯に作品と向き合ってもらえたらと思う。戦争は実際にあった出来事だし、そこで命を落とした人が大勢いる。間違ってもその犠牲者たちに失礼があってはならない。マンガとアニメは似ている媒体。かなり近い表現は可能だろう。今日マチ子さんの「描けるけど描かない」ようなデフォルメされた絵を、アニメに落とし込む表現ができたらきっと面白い。ストーリーを原作のまま映像化すればいいのではなく、作品の根幹を掴んで、それを崩さないで別の媒体に昇華する作業が大切。実際、『魔女の宅急便』や『ヒックとドラゴン』は、原作とは異なったエピソードで映像化されているけれど、原作も映像作品もどちらも名作になっている。もし今日マチ子さんの戦争マンガのその根幹が揺らぐことなくアニメ化された暁には、それこそ『火垂るの墓』や『この世界の片隅に』みたいな、何十年も観続けられる作品になっていくのではないだろうか。
作品に登場する少女たちの心と向き合っていく。あのときどんなに怖かったか、どんなに痛かったか、どんなに悔しかったか。作品は強く語らずともフェミニズムとなっていく。戦争を美化せず、ミイラ取りがミイラにならないようにも心がける。つくり手や観客の心が荒み過ぎないように、ファンタジーの力も借りていく。『cocoon』を始めとする今日マチ子さんの戦争マンガは、戦争ファンタジーのひとつの手本になるだろう。戦争がファンタジーとしても知的に語られるようになれるのなら、それこそ本当に平和へと繋がっていけるのではないだろうか。
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