『ソウルフル・ワールド』 今そこにある幸福
ディズニープラスを利用し始めた。小学生の息子は、毎日のように自分で作品を選んで楽しんでいる。もし自分も子どもの頃にそんな環境があったらと思うと、とても羨ましい。映画や芸術作品に触れる機会を、親が英才教育のように共有することもなくなった。自分のセンスで自分が観たい作品を探していけばいい。でもやっぱり自分の子どもが選ぶ作品は、親が観てもわかるような作品が多い。センスというものは親の影響を強く受ける。
ピクサー制作の『ソウルフル・ワールド』。息子がこの作品を一緒に観たいと言ってきた。最初は一人で観たのだが、面白かったから自分と一緒にもう一度観たいとのこと。どうもこの作品は大人向けに作られているみたいなので、大人の感想を聞いてみたいらしい。まさか息子から映画を紹介される日が、こんなに早く来るとは思ってもいなかった。
2年に及ぶコロナ禍で、趣味である映画鑑賞のスタイルは大きく変わった。映画館にはほとんど足を運ばなくなってしまった。もともと近年の映画館のチケット代高騰化に不満を感じていた自分にとって、「映画は必ずしも映画館で観るもの」でなくなってきてしまった。映画鑑賞にかける自分のこづかいは、配信サービスにあてがうようになった。もちろん映画は映画館にお金と時間を費やして、じっくり作品に没入することがいちばんの幸せだとはわかっている。でもときに妥協も必要だ。実際に配信で映画を観たら、それほど不満に感じなかった。それより観たい作品があるのに観れずにいるストレスに苦しむよりよほどいい。空いた時間で観たい時に作品に触れることはとても便利。時代の変化に対応する柔軟性が、人生を生きやすくする。つまりは頑固は損ということ。
『ソウルフル・ワールド』は、息子が言うには過去のピクサー作品の『リメンバー・ミー』や『インサイド・ヘッド』に似たタイプの映画とのこと。主人公は中年の黒人のおじさんだし、ジャズの話みたいだし、ずいぶんシブそうな映画だよね。監督はピート・ドクター。まさに『インサイド・ヘッド』の監督さん。期待せずにはいられない。
『ソウルフル・ワールド』の主人公は、ジャズピアニストになることを夢見るジョー。非常勤の音楽教師をしながら生活している。そんなジョーが正規雇用に昇格される話が舞い込んだ。母親は大喜びだが、ジョーはちっとも嬉しくない。そんな中、かつての教え子から有名なサックス奏者の主催するカルテットのメンバーにならないかと誘いが来る。長い間夢見てきた世界にやっと手が届く、大はしゃぎのジョーが有頂天で街を駆け回っていると事故に遭う。これが映画の冒頭。
生と死の間の世界にジョーは魂の存在として彷徨う。そこはこれから地上に降りて、人間として生きて行こうとする魂たちの、「生きる意味」を見つけるところ。ジョーはメンター(指導者)と間違われて、番号で呼ばれる魂を指導していくことになる。魂たちはここで自分の個性を決めなければならない。プロットだけ記すと、さっぱり内容がわからない。こんな難しい話をよく思いついたものだ。生きる意味を問う哲学的なテーマなのに、ちっとも難しいと感じさせない。制作者の手練れた語り口に、観客は安心して身を委ねられる。
映画の原題は、シンプルに『Soul』。近年の邦題は和製英語にしたり、勝手にサブタイトルつけたりして、ゴテゴテつぎはぎしたローカライズなものになってしまう。自信のなさの現れ。タイトルの『ソウル』には、音楽的な意味合いと、そのまま「魂」とのダブルミーニング。ジョーが弟子としてあてがわれた22番と呼ばれる彷徨える魂と、自分の生きる意味探しの旅が始まる。
予告編を観た観客の予想として、この映画の展開は単純にジョーがミュージシャンになる夢を叶え、22番は生きる意味に大志を抱いて地上に降りていくハッピーエンドを想像してしまう。凡庸で月並みな展開。『ソウルフル・ワールド』はけっしてそうならないところに面白みがある。
ディズニーの脚本会議は、多くのスタッフが大会議場に集って、作品についてあれやこれやと討論する。スタッフ個々の人生観をぶつけて、作品をより良く深みのあるものにしようとする。世間での風潮と、それに対する違和感が、ピクサー作品の脚本の原動力となっている。だからこそありきたりな結末に留まらず、新しい価値観を作品を通して導いていく。基本的には人権尊重がテーマ。如何に自分自身を愛せるか? 最近のニュースでは、ピクサーもジェンダー問題に関しては及び腰らしいが、作品を通して社会に啓蒙していこうとするスタイルは、とてもカッコいい。
そういえばかつて自分も夢多き青年時代だった。無防備に夢を目指すことは、他人から足元を掬われる原因にもなる。お人好しはほどほどに。社交の場では緊張感を持つ。青年よ大志を抱くのもよろしいが、現実との兼ね合いの見切りも大事。
22番が、マザーテレサやリンカーンの教えを聞いても響くものがないように、なにも賢者になることが人生の意味とは限らない。歴史的な軌跡を残した人物は、たいてい不幸な人生を辿っている。歴史に名を残すことが、人生の意味なのか? 忙しい世の中だからこそ、「自分自身の幸せ」について、足を止めてじっくり考えてみる必要はありそうだ。
22番が「あなたの人生、こんなものなの?」と、ジョーの人生を振り返っていく。侘しくひとりでディナーを食べたり、テレビを観ていたりする。とてもつまらなそうに日々を送っている。ジョーは今ある自分の姿に不満を抱いている。ここではないどこかを夢見ている。果たしてジョーは、念願のピアニストになれるチャンスを掴む。さあこれからどうなると思うと、ただ演奏のために明日も通勤すればいいとなる。仕事が教師から音楽家に変わったとしても、日々の生活は続いていく。単純に通勤場所と仕事内容が変わっただけ。ジョーにとってピアニストになることは、本当に幸せな人生に変わっていくことなのだろうか。確かに好きなことで生活していけたらどんなに幸せだろう。でも必ずつきまとうのは、日々の生活。ジョーは大志を抱くことで現実逃避していた。
以前自分も、憧れの街に住んだことがある。最初は嬉しくて有頂天で生活してる。やがてその熱も冷めてくる。人が憧れる街というのは、人が大勢集まる場所でもある。夜中まで賑やかだったり、治安が悪かったり、物価が高かったりと不便さが気になってくる。夢は夢のまま距離があったほうがいい。憧れの街も生活の一部となるとその価値は薄まる。もっと住みやすい場所へと、静かな街に引っ越すことにした。夢も叶ってしまえば、生活の一部で特別なものではなくなる。ジョーが退屈に過ごしているニューヨークの街が、とても美しく表現されているところに、文学とは違った芸術的伏線を感じる。
『ソウルフル・ワールド』のテーマはマインドフルネス。それは過去でも未来でもなく、今を見つめること。自分の力ではどうしようもない問題に心悩ませるより、今ここにある幸せを楽しんだほうが、人生が彩い有意義なものとなる。未来はその「今」がたくさん連なって出来上がっていくもの。我々は自分で意識して今に向き合い、生きていく必要がある。世界は幸せに満ちている。陽光を浴びたり、風を感じたり、木の葉がひらひら落ちてきたり、ありきたりすぎて忘れてしまうほど。
劇伴の棲み分けも楽しい。音楽映画らしい遊び心。地上の世界ではジャズがかかって、魂の世界では電子音楽が流れている。地上の表現はアナログ的な表現を強調し、魂の世界はハイテクIT社会のよう。
地上にいる人たちが、芸術やスポーツなので過集中して我を忘れた時は、「ゾーン」に到達する。生きているままで魂の世界へ現れる。才能ある人たちは、この世とあの世を行き来する。ピカソのキュビズムも、彼が編み出した技法ではなく、彼がゾーンに達して見てきたものをそのまま描いたに過ぎないかのよう。才能多き人たちは、時として世界の語り部となる。
もし今ある自分の世界を愛せないなら、自分自身を嫌っているだけの可能性が高い。自分の力ではどうにもならないような究極な不幸の境遇でなければ、なんらかの幸せの糸口はみつけられる。今手が届かない事象で憂いている暇はない。今日食べたミカンが甘くて美味しかったことのほうが、どこぞの国の難しい話よりもずっと重要だ。今しかできないことを後回しにしない。その年齢でしかできないこともある。「いつかきっと」と思っていると、「いつか」はずっと「いつか」のまま歳をとる。後回しにしない決断。それがいちばんの幸せへの近道。
世界のアニメ界のトップの場に立てた、それこそ夢を叶えたピクサーのスタッフたちだからこそ実感していることなのだろう。夢が叶っても「なんだ、こんなものか」と。とどのつまり、今そこにある世界と自分を好きになろうよということなのだろう。
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