『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』 変遷するヒーロー像
コロナ禍の影響で、劇場公開の延期を何度も重ね、当初の公開日から1年半遅れて公開された007シリーズ最新作『ノー・タイム・トゥ・ダイ』。ダニエル・クレイグ主演のジェームズ・ボンドシリーズは、本作が完結編。ダニエル・クレイグは、前作の『スペクター』の頃から、ジェイムズ・ボンド役を降りたいような発言をしていた。『スペクター』がクレイグ版ボンドの最終作になるのではと思っていたし、このままずっと完結編を迎えないまま自然消滅してしまうのも007らしい。きっちり完結するジェームズ・ボンドの映画は、本作が初めてかも知れない。思えばダニエル・クレイグ版の007は、今までのシリーズのイメージをいい意味で覆し続けていた。
この完結編は、当初ダニー・ボイルが監督する予定だった。前2作は、アカデミー賞監督のサム・メンデスが演出したのもあって、次に抜擢される監督もさぞ重荷だったろう。結局監督は日系3世のキャリー・ジョージ・フクナガがメガホンをとった。日系の監督さんだから、悪役のサフィンは日本びいきなのか。
ダニエル・クレイグがジェームズ・ボンドになって、早15年。ここ数年で長寿シリーズものの完結が重なった。ひとつの時代の終焉を感じる。ダニエル・クレイグが新ボンド役になったとき、激しいバッシングがあった。そもそもイアン・フレミングのボンドの描写は長身で黒髪、灰色の目だった。ダニエル・クレイグは長身でもなければ金髪だし、瞳はブルー。今までのジェームズ・ボンドのイメージを覆していた。ブルー・アイズのジェームズ・ボンドであることを逆手にとって、この完結編では、彼の重要な特徴として強調しているのも小気味いい。
メディアがクレイグのボンド起用に懸念を抱いていたころ、自分はこの新生ボンドに密かに期待していた。なによりそのダニエル・クレイグのブルー・アイズ=哀しい目がいい。悲惨な運命を背負った孤独な殺し屋。表舞台は華やかだけど、けっして本人は満たされることはない。心はとっくに壊れているけど、平静を保とうとしている男のロマン。
15年前ですでにジェームズ・ボンドのイメージは時代遅れな印象だった。『オースティン・パワーズ』などで、スパイ映画は充分おちょくりの対象になっていた。世界の危機に飛び込む命知らず。汗ひとつかかずに人を殺して、いく先々で女をつくり、高級スーツを身にまとい、ゴージャスなホテル暮らし……。なんとも拝金主義の意識高め。かえってダサい。1960年代のスマートで冷徹なスパイ映画のヒーロー像は、すでにギャグ的存在になっていた。
ダニエル・クレイグ版のボンドは、その矛盾点を現代に寄り添えないかと工夫されている。ジェームズ・ボンドという荒唐無稽な存在を、リアルな中年男性像にしようと作り込まれている。おじさんファッションを楽しむ映画でもある。
かつて高度成長期時代、この007シリーズは始まった。自分が子供時代は、007映画は親が好んで見ていた。なんとなく刷り込まれて、シリーズ新作が公開されると映画館に足を運んでいた。ダニエル・クレイグは自分と同世代のボンド。次のボンドは、きっと自分より年下の俳優がキャスティングされるだろう。ボンドは年上のおじさんの物語だと思っていたので、なんだか不思議。
シリーズが始まった60年前は、大人になったら会社勤めをして結婚して、小さな家を持って、子どもの成長を見守るのが人生のほとんどの選択肢だった。そんな人生のステレオタイプが主流だったからこそ、ジェームズ・ボンドの刹那的な生き方に観客は憧れた。良いか悪いか、現実的かそうでないかよりも、ここではないどこかへの夢は膨らんだ。
21世紀を迎えて時代は変わった。結婚だけが人生ではないし、恋愛も男女間だけのものではなくなった。かつてのステレオタイプも幻想になった。多様性のある社会。ダニエル・クレイグのボンドは、イアン・フレミングの要素を借りた、現代人向けの新しいスパイ映画。今回の『ノー・タイム・トゥ・ダイ』も、いい意味で、今までのボンド像を崩してくれている。今の時代の完結編らしい完結編。
昔の007映画は、ホモソーシャル丸出しの世界観。女性は商品のような扱いだし、女性もそんなものかと記号的に受け入れられている。でも、2021年のボンド映画は、ジェンダーや人種、ジェネレーションの多様性を認めたスパイ映画。とくに女性キャラクターの活躍が目覚ましい。ダニエル・クレイグ版ボンドが、女性にも人気があるのは頷ける。
ラシャーナ・リンチの新人00は、黒人女性で銃さばきが様になってカッコいい。アナ・デ・アルマスの女スパイはめちゃめちゃチャーミング。レア・セドゥは2作連続のボンドガール。行きずりの女たちが出入りするのがジェームズ・ボンドの世界。その前例にない2度目のボンドガールに意味がある。
アナ・デ・アルマスもレア・セドゥも、セクシーな大人の女性の魅力がある。でもどこか彼女たちの存在はアニメっぽい。オタクのおじさんの心をくすぐるキャスティング。よく分かってらっしゃる。ちなみにベン・ウィショー演じるQは、BGLTQの匂いもちらつかせる。現代の007映画は、ジェンダーフリーが進んだ世界観。
レア・セドゥのマドレーヌが、前作よりも更に重要なキャラクターになるところがいい。ボンド映画に登場する女性は、その場限りの女ばかりだった。ジェームズ・ボンドと軽く関わったり綾瀬を重ねても、いずれは去っていく。ダニエル・クレイグのボンドは、やはりその凝り固まったイメージを破壊する。そもそも普通の生活ができそうもないジェームズ・ボンドが、世帯じみた人生を試みる。ジェームズ・ボンドらしからぬ展開に、クスクス笑えてしまう。そのコメディセンスに、演出の余裕を感じる。
世界的に格差が進んだ現代では、家族を持つことすらファンタジー。いつもジェームズ・ボンドは、一般庶民の観客にはできないことをやってくれる。新規探索型の短命タイプ。どうせ命懸けの仕事をしてるんだから、贅を尽くして生きてやる。臆病な観客の我々にはとてもできない、太く短く生きることへの憧れ。映画観賞後は、なぜか背筋がピンとなって、オーダーメイド・スーツが欲しくなる。そんなボンドを踏襲しつつ、なんだか違った気分が映画観賞後に漂ってくる。
賛否両論のこの映画『ノー・タイム・トゥ・ダイ』。自分は超納得の結末だった。すっかり過去のダニエル版ボンド映画すべての作品への評価も上がってしまった。
ダニエル・クレイグのジェームズ・ボンドはこれで終わり。きっと近いうちに新しいボンドが登場するだろう。今度はどんな切り口のジェームズ・ボンドになるか。いつもいい意味で期待を裏切ったダニエル・クレイグ版ボンド。さて次のミッションはどうする? 映画のエンドロール恒例の最後の決め台詞に期待したい。
JAMES BOND WILL RETURN!
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