*

『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』 言わぬが花というもので

公開日: : 最終更新日:2021/02/28 アニメ, 映画:カ行,

大好きな映画『この世界の片隅に』の長尺版『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』。オリジナルの『この世界の片隅に』がヒットした頃、片渕須直監督が、目標の成績を突破したら、原作から省略したエピソードを復活させた長尺版を製作するという発表をしていた。そのマニフェストが叶ったことになる。当初は2018年の冬公開予定が、一年後の2019年に延期された。「良質な作品になるならば、いくらでも待ちますよ」最近のファンはそう思うようになってきた。いちばん嫌なのは、焦って作られて、どうしようもない結果になってしまうこと。作品そのものに泥を塗られる方が迷惑だ。

自分は、こうの史代さんの原作も好き。普段マンガをほとんど読まないけれど、このマンガは映像化される前から読んでいた。かつて一度手放して、映画を観たあと再び買い直したくらい。原作を尊重したアニメ映画が、さらに原作に近くなることは喜ばしい。

映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』を観てみると、確かに原作で割愛された場面が蘇ってる。前作のオリジナル版と同じ場面でも、ちょっと長くなったりして視点を変えている。作り手の解釈がそれぞれ異なる。マンガ原作とオリジナル版、そしてこの長尺版の三作品は、同じ物語、同じ情報なのに、全く違ったテーマの作品に仕上がっている。三度食べて三度美味しい。

前作オリジナル版は、戦時中でもささやかな幸せを模索しながら生きていた、市井の人々の生活を紹介するような映画だった。戦争時代を舞台にした作品は、暗くて重くなってしまうのは当然だが、この映画は明るいコメディタッチ。明るく健気な登場人物たちが、戦争という暴力に、生活をめちゃくちゃに壊されていく。とても悲しい。戦争という野蛮な行為に怒りを抱く。

今回の新作『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』は、戦争映画というより恋愛映画にな近い。前作オリジナル版を知っていると、追加された場面に作家的意図を感じる。

アニメやマンガ作品は、登場人物のモノローグ(独白)が表現として多用される。登場人物の心情をご丁寧に独白説明して、観客にその人の行動を事前理解させてくれる。ちょっと言い訳がましくてうるさく感じてしまうこともある。そうなるとヨーロッパ映画みたいに、説明台詞がほとんどなくて、観客に誤解されて上等、「理解できない頭の悪いヤツが悪いんだ」ぐらいの高飛車な映画も恋しくなってしまう。万人が同じ作品解釈に陥ってしまうのもつまらない。

新作長尺版になって、主人公のすずさんの独白は、映画の中でも当然ある。前回ほとんどの場面に出ずっぱりだったすずさんが、今回の長尺版では登場しない第三者的な視点も加わる。

古今東西、物語の構造として、主人公に寄り添って物語は展開していく。作品世界は主人公を中心に回っている。主人公不在の場面では、第三者が主人公について語り合ってる。それが観客が混乱しないつくり。『男はつらいよ』で、寅さんが登場しない場面でも、おいちゃんやおばちゃん、さくらが「寅さん、今頃何してるんだろうね〜」「そろそろひょっこり帰ってくるんじゃないか」なんて感じの会話があると、観客は「この映画は、寅さんって人が主人公なんだな」と迷うことはない。そんな第三者的すずさんへの表現が増えたのが、作品をさらに成熟させている。

群像劇になると、作品の視点はあちこちに飛ぶので、この一人称的な表現は崩れていく。『(さらにいくつもの)』とタイトルについたので、群像劇っぽくなるのかと思いきや、映画の視点はすずさんの一人称からブレることはない。むしろすずさんを中心に、周囲の人たちとの交流する場面が増えたため、さらに主人公すずさんが際立っていく。

普段は大人しくて、ぼんやりしているような印象のすずさん。でもそれは単純にトロい訳でなく、頭の中でグルグルいろんなことを考えているから。だからときおり物凄く政治的な意見を言ったりする。聡明すぎて生きづらささえ感じてしまう。

すずさんが、周りとの会話にワンテンポ遅れている時、ダイアローグですずさんの頭の中の声を、観客だけが聞くことができる。これはすずさんが主人公の物語だからこそ、成立する演出。すずさんは寡黙だけど、頭の中では多弁。それは他の登場人物たちも同じこと。すずさん以外の人が黙っている時は、その人も何か考えている。私とあなたは同じ人間。

のんびりしているすずさんは、ときには足元を掬われて、周りから不本意な攻撃を受けることもある。そんなとき、相手の怒鳴り声のボリュームがさがっていくのを今回感じた。自分に向けられた、どうしようもない言葉は聞き流す。すずさんの処世術、心理的回避方法を感じた。彼女の強さは、日々のこんな工夫から成り立っている。

前回オリジナル版は、めくるめく情報量で駆け巡った2時間だった。今回、長尺版になって、会話の演出にも、すこし隙間が増えたように感じる。登場人物が喋らない時の心の声を想像する。でもヨーロッパ映画とちょっと違うのは、「誤解上等」の演出意図ではなく、「人それぞれ、いろいろ感じてくださいね」と、観客を信頼した優しい雰囲気がすること。観客を尊重して、登場人物たちに敬意を表している演出。架空の人物にだって人権はある。オリジナル版と長尺版、テーマこそ変われども、作品へのスピリットは1ミリもブレていない。どちらの作品が好きか、天秤にかけられない。

「心の中の秘密は、死んだらそのまま自分だけで消えていく。それはそれで贅沢なことだよ」なんてセリフが劇中にある。人生には本心を相手に伝えなければならない時はある。でも、言わぬが花ということもある。劇中のセリフは、自分の辛い思いを、心の奥に封じ込めなければならない悲しい響きがある。恋愛要素が多くなった長尺版では、自分の気持ちを相手に直接ぶつけるような無粋な人は登場しない。誰もが誰かを尊重している。嫉妬という単純な感情ではない。そしてそこに大きな重石として、戦争の存在がある。人は自然と自分の心を封じ込める。

登場する女性たちは、自分たちの身に降りかかる理不尽を、静かに受け入れている。でもそれは諦めだけではないようにも感じる。諦めた人が、あれほど他人に親切にはなれない。非人道的な戦時下に、人間性を見失わない登場人物たち。

映画を観たあと原作マンガを読むと、すずさんの性格が違ってみえてくる。これは演じてるのんさんの影響が強い。原作では、我慢強く耐え忍ぶすずさんの印象。映画版は、性格が明るくなって、同じ場面でもコメディ要素が増えてくる。まさにキャスティングの妙。

戦争という、個人の力では争うことのできないほどの脅威的な不幸。それでもユーモアや相手を思いやる気持ちのほうが勝る。声高ではないけれど、観客の心に訴えかけてくる。どんなに殺伐とした世の中でも、ささやかな幸せを見つけだすセンスだけは失ってはいけない。

原作にも長尺版にも割愛された、すずさんが「ある秘密」を夫の周作さんと語り合ったであろう場面。本作が悲惨な戦争場面を最小限に描かずにいたのと同じように、観客の想像力が試される割愛だ。その描かれなかった場面が、すずさん夫婦の、今後の関係の分岐点になることが伺える。作品は過度なドラマチックをとことん避ける。我々は、自分の感情までも扇動されたくない。悲しい物語に憑依的に泣かされるのは嫌だ。自然と涙が流れるのなら、不本意だけど、それはそれでいいのかもしれない。

ジェンダーの問題が問われ始めている現代社会。世界的に遅れをとっている日本だからこそ、この映画がいま制作されていることに、新しい意味がありそうだ。

関連記事

『ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 』  若手女流監督で人生の機微が!

言わずもがな子ども達に人気の『ドラえもん』映画作品。 『ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団

記事を読む

no image

『ムヒカ大統領』と『ダライ・ラマ14世』に聞く、経済よりも大事なこと。

最近SNSで拡散されているウルグアイのホセ・ムヒカ大統領のリオで行われた『環境の未来を決める会議』で

記事を読む

『ゴールデンカムイ』 集え、奇人たちの宴ッ‼︎

『ゴールデンカムイ』の記事を書く前に大きな問題があった。作中でアイヌ文化を紹介している『ゴー

記事を読む

『AKIRA』 ジャパニメーション黎明期

日本のアニメが凄いと世界に知らしめた エポックメーキング的作品『AKIRA』。 今更

記事を読む

no image

『花とアリス』男が描く少女マンガの世界

  岩井俊二監督作品『花とアリス』が アニメ化されるというニュースが来ましたね。

記事を読む

『嫌われ松子の一生』 道から逸れると人生終わり?

中島哲也監督の名作である。映画公開当時、とかく中島監督と主演の中谷美紀さんとが喧嘩しながら作

記事を読む

『カラマーゾフの兄弟(1969年)』 みんな変でみんないい

いまTBSで放送中の連続ドラマ『俺の家の話』の元ネタが、ドストエフスキーの小説『カラマーゾフ

記事を読む

『黒い雨』 エロスとタナトス、ガラパゴス

映画『黒い雨』。 夏休みになると読書感想文の候補作となる 井伏鱒二氏の原作を今村昌平監督

記事を読む

no image

『ベルサイユのばら』ロックスターとしての自覚

「あ〜い〜、それは〜つよく〜」 自分が幼稚園に入るか入らないかの頃、宝塚歌劇団による『ベルサイユの

記事を読む

『逃げるは恥だが役に立つ』 シアワセはめんどくさい?

「恋愛なんてめんどくさい」とは、最近よく聞く言葉。 日本は少子化が進むだけでなく、生涯

記事を読む

『ウェンズデー』  モノトーンの10代

気になっていたNetflixのドラマシリーズ『ウェンズデー』を

『坂の上の雲』 明治時代から昭和を読み解く

NHKドラマ『坂の上の雲』の再放送が始まった。海外のドラマだと

『ビートルジュース』 ゴシック少女リーパー(R(L)eaper)!

『ビートルジュース』の続編新作が36年ぶりに制作された。正直自

『ボーはおそれている』 被害者意識の加害者

なんじゃこりゃ、と鑑賞後になるトンデモ映画。前作『ミッドサマー

『夜明けのすべて』 嫌な奴の理由

三宅唱監督の『夜明けのすべて』が、自分のSNSのTLでよく話題

→もっと見る

PAGE TOP ↑