*

『カラマーゾフの兄弟(1969年)』 みんな変でみんないい

公開日: : ドラマ, 映画:カ行,

いまTBSで放送中の連続ドラマ『俺の家の話』の元ネタが、ドストエフスキーの小説『カラマーゾフの兄弟』なのではないかとSNSで話題になった。『カラマーゾフの兄弟』ってそんな話だったっけ? 日本のドラマと、ロシアの古典小説『カラマーゾフの兄弟』がつながらない。たしかに家族関係はモチーフにしているかもしれないが、内容やテーマは別物だと思う。

小説『カラマーゾフの兄弟』は難解で、とくに前半は気分が悪くなうような心理描写のオンパレード。とても読みづらい。小説を再読する勇気がないので、映画版を観てみた。何度も映像化されているこの小説。今回は1969年のロシア版をセレクトした。

ウィキペディアで調べてみると、2013年に日本で連続テレビドラマ化がされているのに驚いた。ドラマ化にあたって「宗教色や革命思想については変更・割愛されている」と書いてある。それもう『カラマーゾフの兄弟』じゃないじゃん! 原作というよりは、「インスパイア・フロム」とうたった方がいい。マイルドにローカライズされてしまうのは感心できない。オリジナルのイメージを誤解させてしまうのは、作り手や視聴者、関わるすべての人にマイナスになる危険性がある。オリジナルへの敬意はいかに。同タイトルでも、それはそれこれはこれと割り切れば楽しめるかも。いま日本の作り手が自国の観客をどう思っているか、逆マーケティングする羅針盤として捉えた方がいい。

1969年のロシア制作の『カラマーゾフの兄弟』は、3部構成。こりゃあ観るのが大変だと覚悟していたら、1本の上映時間が1時間半にも満たない。小説を読むよりなんと観やすいことか。膨大なページ数に感じた原作小説も、短めの3作に再構成してもらったことで、ドストエフスキーの意図が理解しやすくなった。

この小説の難解さは、前半でカラマーゾフ家の精神疾患ぶりを丁寧に紹介しているところにある。映画版は第一部でその部分を駆け足で描いている。映像作品という、時間を使った芸術表現によって、なんとなくスラスラと流れていく。原作を読み込んでいって、作品世界、登場人物の陰鬱とした心理に深入りしなくて済むのがとてもラク。

登場人物たちの精神疾患の原因はみな違う。信仰心だったり、恋愛の嫉妬だったり、父子の確執や自己承認欲、貧しさからくる自己卑下、マウンティング……。狂う理由はさまざま。みんな狂ってみんないい、人間だもの。

悩みを抱えるという行為は、人間独特のもの。頭が良ければ良いほど、どうでもいいことで悩んでいたりする。この物語に登場する人たちは、頭が悪いから自暴自棄になるのではない。頭が良すぎて、気にしなくていいことまで気にして苦しんでいる。精神疾患に陥っていく様を、読者は登場人物たちと一緒に追体験する。

でもこの小説は、ジャンルとしてはサスペンス。登場人物たちの各々の精神疾患が作用して、ある犯罪へ問題が表出していく。誰もが正気じゃないので、誰が犯人でもおかしくない。登場人物の誰も信用できない。精神疾患の症例をうまく利用したサスペンス。

物語の前半で、登場人物たちの鬱々とした思いを丁寧に触れているのは、ドストエフスキーの悪趣味だけじゃない。物語に重要なサスペンスのトリックの要素。だからこそ読者にとって苦しい描写が延々続く。この読者に意地悪な構想が浮かんだとき、ドストエフスキーはほくそ笑んだのではないだろうか。

『カラマーゾフの兄弟』は、日本とは文化が違うロシアが舞台で、時代設定も大昔の古典だし、いっけん感情移入しづらい作品に思えてしまう。この作品が誕生したときのロシアの社会状況はどんなものだったのだろうか。それを知ったら、この作品がもっと楽しめるだろう。

俗っぽいサスペンス小説の趣をとりながら、登場人物たちの悩みの理由は、切実な社会問題だったりする。社会主義で保守的なロシアで、苦悩するカラマーゾフ家の言葉を借りて社会批判をしている。勇気のある気骨ある作品でもある。当時の読者の気持ちを代弁する、ガス抜き的な作品だったのかもしれない。

カラマーゾフ家の末っ子・アリョーシャは修道僧。自分の師匠が亡くなったとき、彼は聖人だから亡骸も腐るはずはないと盲信する。日日異臭を放ち出す師匠の亡骸に衝撃を受けるアリョーシャ。世界と自分を感じる場面がある。これはさすがに映像で表現するのは難しい。劇中ではかなり淡白な表現。そこはこの作品の根幹になるような重要な場面。小説でもここの意図は、現代の日本人にはダイレクトに伝わりにくい。信心と盲信の違いはなんぞや? ドストエフスキーは問いている。

現代社会でこそ、信仰心に自分のすべてを託してはいけないと、多くの人が理解している。ご利益信仰の危険性。信仰で安らぎを求めるのは大事なこと。でも、それを糧にして自分自身の行動も伴わなければ人生は開けてこない。ある意味、信仰心と人生は別物と割り切っていなければ、足元をすくわれてしまう。他力本願ではダメ。信仰心の悩みも、人間の知性ならではの苦しみ。

亡くなった人が永遠に腐らないなんてファンタジーでしかない。これが昔の信仰だとすると、かなり危うい。作品はその信仰哲学に、さりげない疑問で切り込んでいる。

人間、賢くなりすぎると、悩まなくていいことで悩んで眠れなくなってしまう。逆に、何某かを成し遂げる人は、あまり考えずに行動している人が多い。おバカさんと呼ばれている人ほど大成している人が多い。もちろん、おバカなだけだと詐欺に合う。考えるときと考えないときのバランス感覚が必要。

カラマーゾフ家は、なにごとも生真面目に重く考えすぎていたからこそ衰退していく。作品は、頭でっかちな人間を批判している。しかし現代は価値観がまた変わってきた。この古典を現代に活かすとするならば、張り詰めず緩すぎないことを教訓にしたほうがよさそうだ。衰退していくカラマーゾフ家の姿は、現代でいうなら、陰謀論にハマる心理に近いのかもしれない。

小説の『カラマーゾフの兄弟』が発表されたのは1880年。140年前から読み継がれるこの書物。現代までずっと残るということに大きな意味がある。考えるけど考えない。ものごとにシロクロつけない。グレーゾーンで生きていく。これが現代社会を渡り歩くリテラシーなのだろう。

関連記事

no image

『マルモのおきて』育児は楽しい事ばかりじゃない

  先日も新作スペシャル版が放送されていた 『マルモのおきて』。 芦田愛菜ち

記事を読む

『ハリー・ポッター』貧困と差別社会を生き抜いて

映画版『ハリー・ポッター』シリーズが日テレの金曜の夜の枠で連続放送されるのがすっかり恒例にな

記事を読む

『火垂るの墓』 戦時中の市井の人々の生活とは

昨日、集団的自衛権の行使が容認されたとのこと。 これから日本がどうなっていくのか見当も

記事を読む

『STAND BY ME ドラえもん』 大人は感動、子どもには不要な哀しみ?

映画『STAND BY ME ドラえもん』を 5歳になる娘と一緒に観に行きました。

記事を読む

no image

宿命も、運命も、優しく包み込む『夕凪の街 桜の国』

  広島の原爆がテーマのマンガ。 こうの史代氏著『夕凪の街 桜の国』。 戦争

記事を読む

no image

『坂の上の雲』呪われたドラマ化

  今なお根強い人気がある司馬遼太郎氏著の『坂の上の雲』。秋山好古と真之兄弟と正岡子

記事を読む

『崖の上のポニョ』 子ども目線は逆境を超える

日中二歳の息子の子守りをすることになった。 『風立ちぬ』もBlu-rayになることだし

記事を読む

『ツイン・ピークス』 あの現象はなんだったの?

アメリカのテレビドラマ『ツイン・ピークス』が 25年ぶりに続編がつくられるそうです。

記事を読む

no image

太宰治が放つ、なりすましブログのさきがけ『女生徒』

  第二次大戦前に書かれたこの小説。 太宰治が、女の子が好きで好きで、 もう

記事を読む

no image

男は泣き、女は勇気をもらう『ジョゼと虎と魚たち』

  この映画『ジョゼと虎と魚たち』。 公開当時、ミニシアター渋谷シネクイントに

記事を読む

『ケイコ 目を澄ませて』 死を意識してこそ生きていける

『ケイコ 目を澄ませて』はちょっとすごい映画だった。 最

『SHOGUN 将軍』 アイデンティティを超えていけ

それとなしにチラッと観てしまったドラマ『将軍』。思いのほか面白

『アメリカン・フィクション』 高尚に生きたいだけなのに

日本では劇場公開されず、いきなりアマプラ配信となった『アメリカ

『不適切にもほどがある!』 断罪しちゃダメですか?

クドカンこと宮藤官九郎さん脚本によるドラマ『不適切にもほどがあ

『デューン 砂の惑星 PART2』 お山の大将になりたい!

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、ティモシー・シャラメ主演の『デューン

→もっと見る

PAGE TOP ↑