『葬送のフリーレン』 もしも永遠に若かったら
子どもが通っている絵画教室で、『葬送のフリーレン』の模写をしている子がいた。子どもたちの間ではいま、こんな作品が流行っているのかと軽く捉えていた。ロールプレイングゲームのようなファンタジー作品。アニメ版が製作されるということで話題になって、あああのときのあのマンガねと思い出した。
せっかく絵画教室に通うからには、アニメやマンガの模写はしない方がいい。常日頃、自分は子どもに言っていた。アニメやマンガのような、あらかじめ他の誰かがデザインして決めた線をなぞっていくのでは、画力が伸びない。もちろん上手い人の絵を模写すれば、描き方がわかって実力になる。まったく無意味ではない。でもそれは独学でもできる。先生につくからには、現実のものを描いてアドバイスを貰った方が、断然おトクな感じがする。習い事の貧乏性。そんなこともあって『葬送のフリーレン』は、「アニメの模写は勿体無い」の代名詞となってしまっていた。
『葬送のフリーレン』のアニメ放送権を持った日テレは、これでもかと『フリーレン』を推してくる。『金曜ロードショー』枠で、最初の数話を一挙放送して、映画のような別編集版も製作された。深夜のアニメ枠放送でなかったため、作品の認知度がとんでもなくアップする。あらかじめ自信たっぷりの王道路線。
SNSで、『葬送のフリーレン』と『水戸黄門』が似ているという意見を聞いた。『水戸黄門』は、殿様が二人の若い家来を引き連れて、日本全国を行脚する時代劇。行く先々の村々で、トラブルに遭遇しては解決し、村人たちに感謝されながらまた旅にでる。毎回一本完結の勧善懲悪。物語の時間配分も毎回同じで、この時間帯にはこんな展開になると、先を読める安心感がある。『葬送のフリーレン』はむしろ勧善懲悪の逆手をとった作品。ちょっとピンと来なかった。レジェンドが若者二人を引き連れて旅をする。行く先々の村の困りごとを解決しながら、旅を続ける姿は確かに同じ。質は違えど、ちょっとジーンとするエピソードのも似ている。すぐさま『水戸黄門』と『葬送のフリーレン』の類似性に気づく人のカンの鋭さよ。
みんながそんなに騒ぐなら『葬送のフリーレン』を観てみようと、第一話の配信ボタンを押してみた。ひとつの冒険が終り、主人公たち勇者一行が、街に凱旋する姿から物語は始まる。自分は映画の『ロード・オブ・ザ・リング』の大ファン。あの映画のような冒険の最終章から物語が始まる。頭の凝り固まった自分は、『葬送のフリーレン』が違和感でいっぱい。こちとら冒険が観たい。派手好みの観客の欲求を見事に挫いてくる。
主人公のフリーレンもとても冷めている。むしろ回想シーンに出てくる、魔法の箱(ミミックというらしい)に食われて、ジタバタしている姿をエピソードとして観てみたい。第一話の最後でやっとフリーレンが再び旅に出る。静かな冒険の始まり。正直5話ぐらいまで、作品の魅力のポイントがわからずにいた。どうやら自分は疲れて、感覚が鈍っていたようだ。フリーレンの旅の仲間が揃ったところでやっと気がつく。このアニメ、めちゃくちゃ面白い。
主人公たち旅の一行が、ひじょうに冷めている。今の若い人の早いうちから大人になってしまっている姿と被る。登場人物たちは、その人生の中で幾度も死地を乗り越えている。承認欲求もなく、生きるために命懸けの旅をしている。感情が薄いというのは、ある意味生きやすさでもある。それは登場人物たちが身につけた処世術。この静かな人たちの関係やおしゃべりが楽しい。
ファンタジーものというと、その世界観や異生物との戦いで、派手な展開が予想される。それが作品の見せ場でもある。でも、そのバトルの合間での、登場人物たちの日常描写が、かなり面白かったりもする。『ドラゴンボール』も『鬼滅の刃』も、バトルがない場面もかなり面白い。もっとそっちが観たいとも思ってしまう。もちろん大好きな『ロード・オブ・ザ・リング』でさえも、戦いの合間の登場人物たちのおしゃべりの場面は、最大の見どころ。
通常、エンターテイメント作品の目玉は、派手なアクションのバトルシーンに尽きる。『葬送のフリーレン』は、そのエンタメ作品の法則の逆を行く。バトルシーンに重きを置かずに、静かな日常描写にスポットを当てていく。地味なエピソードが多くなるので、作者たちはアイデアをだすのも大変だ。静けさを面白く見せるのは、とても難しい。
主人公のフリーレンはエルフ族の魔法使い。『ロード・オブ・ザ・リング』にも登場したエルフ族はとても長寿で、感情に流されにくい高貴な種族。人間からすれば、1ランク上の神様みたいな存在。エルフは歳をとるのが遅いので、フリーレンも子どものままの容姿で、顔だけが大人。見た目が子どもだから、周りも子どものように扱うし、フリーレン自身も子どもっぽい性格。
自分は昔から実年齢より若く見られる。それでも最近は加齢が隠せない。永遠の青年のフリをするのも無理がある。中身は厨二病のままなのに、容姿は確実に歳を取っていく。周りも年相応のおじさんの態度を求めてくる。おじさんはおじさんらしく振る舞わなければならない。もしも容姿が永遠に若いままなら、いつまでも子どものままでいたい。誰しも歳を重ねたら、自然と大人になれるものではない。容姿にそぐう態度を取らないと、周りに不信がられてしまう。仕方なく大人のフリをしている。年齢と共に人生経験が豊富になって、人格が磨かれているなんて思うなよ。そんな都合のいいことはない。こちとら永遠に未熟者。かいかぶらないで欲しい。
フリーレンは学者タイプの人。自分の好きなもの以外には興味を示さない。彼女は魔法の研究にだけに生きがいを感じている。他人のことなど興味がない。孤独は苦ではないので、ずっとひとりで生きてきた。これからもひとりで生きていくつもりだった。極端に頭のいい人が、人並みのことができなくて困ることがある。フリーレンの朝寝坊や片付けができにところも、実際の天才とよく似ている。
数十年前に冒険の旅をした仲間たちが、老いによって亡くなっていく。フリーレンは、失ってみて初めて、その存在が自分にとって大切なものだったと気づく。他人の気持ちに疎いところも、実際に天才と呼ばれる人と似ている。今までのフリーレンは、寿命の違いですぐに別れが来るからと割り切って、他人と距離をとって生きてきた。過去のフリーレンの態度は、主人公にはなれない脇役キャラの人生観。どう対応していいか難しい天然キャラ。人生はやり直しはできる。今度の旅は、彼女が主人公になる物語。でもフリーレンの長寿からすると、同じメンバーで再び旅をするには決断が遅過ぎた。以前の旅の仲間の次の世代と冒険のやり直し。
失った悲しみと向き合い、癒していくグリーフケアがこのアニメのテーマ。作家養成学校で、シナリオで回想場面を多用するのは好ましくないと教わった。回想場面が挿入されることで、現実の場面のスピード感を失ってしまう。観客をダレさせてしまう恐れがある。でもこのアニメでの回想場面はとても重要。失った人たちとの思い出を、丁寧にひとつひとつ振り返って、記憶の中のあのときの他者の気持ちを確かめていく必要がある。物語を通して、悲しみを治癒していく様子を描いていく。あのときあの人はああ言った。もしあの人ならこんなことをしただろう。だから今度は私はこうして生きていく。
10年くらい前までは、アニメで死生観や風刺を題材に扱うことは、企画の段階で通りにくかった。子どもに暗いものを見せるなということらしい。ただその頃の日本のサブカルチャーは、なんとかして不景気な現実から目を反らせようとしていた時代でもある。実際に観客が観たいものと、メディアが持っていきたい方向との乖離がある。いま、『葬送』とタイトルにつくアニメが流行っているのが、観客の求めているものの現れ。
『葬送のフリーレン』の原作が気になる。アニメでは登場人物たちが無表情だったのに、原作では表情豊か。アニメではそのぶん細かい動きの演出にこだわっている。上着を着る仕草や、武器の握り方や重量感。アニメでは難しい日常的な人間の動きで、登場人物たちの性格を表現している。
そして原作の絵がめちゃくちゃ上手い。土台にあるのはアニメ的な絵ではなく、ちゃんと解剖学から学んでいるデッサンの絵。そこに今のアニメ風の顔を描いている。絵画を基礎から学んでいる人にすれば、アニメ風の絵などすぐ合わせられる。作画担当のアベツカサさん、恐るべし。原作担当の山田鐘人さんも、きっと学者みたいな人なのだろう。作品自体に考古学的なものを感じる。二人の作者から感じるのは、育ちの良さ。本人の努力もそうだが、きちんと美術の勉強をさせてもらえる家庭環境や、本をたくさん読めたであろう成育の良環境、実家の太さは感じずにはいられない。
第一次世界大戦の出征の経験が多いに影響しているトールキンの『指輪物語』こと『ロード・オブ・ザ・リング』。シングルマザーの貧困の中に書き綴られローリングの『ハリー・ポッター』。それらは不幸の最底辺から生み出された、天才作家たちの悲鳴でもある。でも『葬送のフリーレン』は、育ちの良さからくる、さらなる上品さが見えてくる。これからの新しいファンタジー。
フリーレンが無宗教で無神論者なのも興味深い。安易に信仰を否定するのは簡単なこと。こと近年の日本での宗教のイメージは劣悪。でもフリーレンの無信仰は、そんな冷笑的な否定ではない。長く生きてきたからこその、神の不在の実感。それはすがるもののない本当の孤独。彼女の「女神さまなんていない」と言う言葉は、涙が出るほど寂しい。そこでいつの時代の仲間たちも同じこと語る。「天国が存在するかどうかはわからない。でも天国があった方が都合がいい。頑張って生きていけるから」
自分なりの信仰心を持って生きていく。悪者に利用されないように、ガードは固くしていかなければならない。世知辛いが仕方ない。現代の「信仰心」は、「信念」と言った方が近い。自分が納得して生きていけるかどうか。長過ぎる人生と向き合いながら静かに進むフリーレンの旅。忙しすぎて自分の人生に向き合うことができなかった日本人だからこそ、こんな静かなファンタジーが生まれてきたのかもしれない。
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