『ハイキュー‼︎』 勝ち負けよりも大事なこと
アニメ『ハイキュー‼︎』の存在を初めて意識したのは、くら寿司で食事していたとき。くら寿司と『ハイキュー‼︎』とのコラボ企画で、5皿注文するとゲームに参加できて、当たれば景品がもらえるというもの。ゲームの映像は、コートの向こうにいる登場人物の誰かが、手前に立っているペットボトルを、サーブで倒すことができるかのチャレンジ場面。それがアニメ版のアイキャッチの映像なのだと、のちに知ることとなる。キャラクターによってサーブの打ち方が違う。その結果に対してのリアクションもそれぞれ個性的。本編を知っている人なら、きっとクスッと笑えるのだろう。このアイキャッチを観ただけでも、この登場人物たちのドラマに興味が湧く。その時、くら寿司でゲットしたグッズを、帰りの途中でなくしてしまった。あの時いったいどのキャラクターのグッズを貰ったのだろう。今ではもう、すべてが藪の中。
子どもに聞いてみると『ハイキュー‼︎』は、すごい人気らしい。バレー部の友だちはもちろん観ているし、作品に影響されてバレー部入部希望者も急増しているらしい。そしてこの2月に公開された映画版は、本年度いちばんになりそうなくらいに大ヒットしている。それこそ日本映画で話題になっている『ゴジラ−1.0』よりも大入りとのこと。原作もアニメ版も知らなかった自分としては、何が起こっているのかさっぱりわからない。映画版はアニメ版の続きの最終シーズン一作目とのこと。そんなに人気があるのなら、きっと面白いのだろう。でも映画まで観に行くことはないと思っていた。今からアニメ版を観ても、公開中には到底間に合いそうもない。それがこの短期間で、映画館まで足を運んで、感涙してしまうところまでいくなんて、人生何が起こるか分からない。実際アニメを観ていると、バレーボールがこんなにもカッコいいスポーツなのだと、あらためて実感させられる。今では子どもたちより『ハイキュー‼︎』のファンになってしまっている。
日本で人気のアニメ映画を映画館で観るのは、洋画を観るより遥かに簡単だった。シネコンの上映回数も多く、自分都合の時間帯で気軽に映画が観に行ける。自分が『ハイキュー‼︎』の映画を観に行ったのは、劇場公開から3ヶ月経ったあと。それでも1日4回上映してる。以前は洋画作品もこれくらい鑑賞が便利だった。洋画の不人気をつくづく感じさせられる。
シーズン4まであるアニメ版『ハイキュー‼︎』。当初は、先は長くてめんどくさかった。あきらめていた道のり。先に家族が『ハイキュー‼︎』にハマりだして勧めてきた。とにかく毎回元気になるアニメだとのこと。この不景気で、すっかり自分も落ち込んでいる。とりあえず1話だけ観てみることにした。10年前につくられたファーストシーズンは、テレビアニメとは思えないくらいのクオリティの高さ。アニメでしかできないような、見たことのない凝ったカメラワークで、バレーボールの試合場面が描かれる。映像だけで圧倒されてしまう。試合場面のアクション描写だけでも、練りに練られている。
最近、怖いアニメしか観ていなかったので、バイオレンス描写皆無で、誰も死なないアニメというのが新鮮だった。登場人物たちも良いヤツしか出てこない。日本のアニメは世界でもファンが多いが、バイオレンス描写や性描写が多いため、テレビでの放送ができないらしい。日本アニメは、いまいち世界に売り込みにくいところがある。コロナ禍以降の配信サブスクの浸透で、過激な描写でも一般的に鑑賞できる環境ができてきた。それは日本アニメの追い風となった。
でも、なんで日本のアニメはこうも暴力的なのだろう。おとなしい日本人の心の奥底に蓋をしたドロドロとした怒りが、アニメという形で具現化されているのか。日本人は日々、みんな我慢しながら怒っている。それをアニメ作品で昇華させているのか。表面的には優しくて、内面は凶暴な日本人。
『ハイキュー‼︎』の制作スタジオがProduction I.Gというのが意外だった。自分のような中高年世代からすると、Production I.Gといえば『攻殻機動隊』のイメージが強い。それこそバイオレンスとエログロ描写てんこ盛りの世界。子どもと一緒に観れないアニメ。ジャパニメーションという、大人向けアニメが誕生する土台をつくったのがProduction I.Gの『攻殻機動隊』と言っても過言ではない。
押井守監督の『攻殻機動隊』の世界的ヒットで、Production I.GとNetflixが、いち早く提携したのは有名な話。2010年代のその頃から、日本のテレビアニメーションも、製作費のかかった良質な作品が増えていった。作品づくりには制作者の努力は必要不可欠。しかしどんなに努力と工夫を重ねても、先立つものがなければ限界がある。努力の上に潤沢な資金が加われば、数十年観続けられるような名作も生まれてくる。作品づくりが、長い目で考えられるようになってきた。『ハイキュー‼︎』も、今年でアニメ化10周年とのこと。
連載が10年続こうとも、作品の舞台となっている年月は数ヶ月の出来事。シーズン3は、10話まるまる使って、ひとつの試合を中継している。映画版は、試合の様子をほぼリアルタイムで、回想場面を交えながら描写している。日々の練習風景が、これだけ面白く描かれているのも興味深い。数ヶ月だけの出来事を丁寧に描くつくり方は、同じ『少年ジャンプ』連載の過去作『スラムダンク』からの踏襲。無我夢中の10代の儚いひとときが、あたかも永遠のように続いていく。
『ハイキュー‼︎』が今までのスポーツものと大きく違うのは、人と人とのコミュニケーションがテーマだということ。この作品には、基本的には嫌なヤツが出てこない。いろんな人がいるけれど、目指すところはみな同じ。ならばどうやってうまくやっていくかが大事になってくる。『ハイキュー‼︎』が、子どもや若い人だけの人気ではなく、大人たちも巻き込んでいる魅力はここにある。『ハイキュー‼︎』の登場人物たちは、精神的に成熟している人物が多い。「自分が自分が」と人を蹴落としたり、我が強い人物はほとんど登場しない。「チームメイトのあいつがエースなら、どれだけあいつが敵の脅威になるか、俺たちが引き立て役になって演出してやろう」と、身を引いた仲間たちが作戦会議したりする。エースになる者も、自分ひとりの力でエースになっていないことを充分把握している。個人プレイの話ではなく、いかに円滑にチームプレイを進めていくかのシミュレーション。これは社会人になっても、組織の上手な運営の仕方の参考になる。
韓国などで職業選択の際に使用されている、16パターンに性格診断するMBTI診断をやってみると、自分は提唱者にあたる。この診断テストは、占いなどと違ってかなり信憑性が高い。もちろん診断するときの被験者の体調や心理状態によって、微妙に結果は変わってくる。自分がそのとき該当した提唱者に部類する『ハイキュー‼︎』のキャラクターは菅原先輩。
菅原先輩は目立つ存在ではないが、その人がいるだけで場の雰囲気を変えてしまう。彼がチームメイトに声をかけた瞬間、張り詰めた空気が一変していく。似たような思考を持つ架空のキャラクターが、その性格を活かすには、どう言動したら良いかの手本を示してくれている。自分も菅原先輩を見習って、良き「さわかやかくん」を目指していこう。『ハイキュー‼︎』は、大人が観ても勉強になることが多い。
20年ぐらいからアニメ作品といえば「セカイ系」というものが主流だった。自分や自分のパートナーだけの狭い人間関係が、世界存亡の危機と繋がっているような種類の作品。要するに自分中心だけの世界観。自分だけが特別で、周りの人たちに大切な存在だとチヤホヤされたい願望。他人の協調するのではなく、世界は自分のためだけに存在している。『エヴァンゲリオン』はその代表作。あとに続く新海誠監督や細田守監督の作品もその部類。宮﨑駿監督の『君たちはどう生きるか』も、どんなに素晴らしくても、作品の主人公の思考は、自分のことを考えるだけで精一杯。それらの作品と、今の若い子たちに支持されている『ハイキュー‼︎』のようなアニメと比べると、後者からは精神的な成熟を感じさせる。
自分のことしか見えない世界観は、5歳児の感覚。子どもの感性のまま大人になってしまったクリエーターたち。彼らの純真無垢な感性で紡ぐ映像だからこその素晴らしさもある。でも今の人たちのいちばんの関心は、大勢の中で自分はどう振るまって生きていこうかということ。切実で現実的。ひとときのアニメファンの客層が、おじさんばかりだったのに比べ、今のメインのファン層は10〜20代の女性に変わってきたのも大きい。
『ハイキュー‼︎』では、勝負に負けていくチームにも寄り添って描かれていく。勝ち進む主人公たちから、いつの間にか負けている相手チームに視点が移っている。「ああ、このまま負けるんだ。練習不足は認めるけど、こんなに悔しいんだ」 きっと本人は一生忘れないであろう「負けることの魅力」にも寄り添っていく。運動部だった人の多くが経験する敗北の体験。これからそんな経験をする若い人たちは、世界を知っていくきっかけになるだろうし、かつて若者だった大人も、あの頃の気持ちをフラッシュバックのように追体験できる。10代の頃の同じような熱量は、その時期だけの特有のもの。
今までつくられてきた作品の価値観や、世間一般の考え方は、勝ち進むことを良しとしてきた。ただ、誰かが勝つということは、その他大勢を打ち負かしていくことを意味する。ほんの一握りの勝ち組に属することをすべてとするならば、負けたら人生終わりということになる。なんて器量の狭い価値観だろう。そして現代人は、自分が一握りの成功者になれる可能性よりも、敗北者にされてしまうかもしれないことの方が多いことを知っている。一攫千金の夢を描くリスクより、堅実な生き方を模索する方が生きやすい。
『ハイキュー‼︎』の登場人物たちも、もちろん勝ち進むために頑張っている。だけどそればかりではない。練習合同合宿の場面では、競合チームの選手が手の内を明かして、技を教えてくれたりする。強い相手と戦った方が楽しいと。『ハイキュー‼︎』に出てくる仲間たちにとっては、プレイが楽しいということが最優先事項。動機は純粋。
アニメの演出意図も、楽しいバレーボールの再現に徹している。毎回試合の場面ばかりなのに、いつも斬新なカメラワークに驚かされる。これもプレイの楽しさを伝えるための臨場感の演出。選手目線のカメラワークは、あたかも自分もコートに入って、ボールを追いかけているような錯覚に陥る。レシーブしたときの腕の痛みも思い出す。息が上がって、俯いたときの汗の滴り。疲労で足がもたついて、思い通りに走れないもどかしさ。スポーツの既視感。アニメの登場人物たちのひとりになったようにも思えてしまう。コートの中だけの狭い空間だけのストーリーなのに、スケールのデカい話に感じてくる。試合の場面では、イマジナリーラインが吹っ飛んでるはずなのに、観てる方が混乱しない工夫を凝らした演出。
僕と私だけのセカイ系が、たとえ人類存亡の危機と繋がっていようとも、スケールが小さく感じるのは、そこに血の通った人間が登場しないから。人に興味のない物語が、どんなに頑張ってもスケール感は描けない。人と人とがぶつかりあってできるドラマは、自然とスケール感が広がっていく。
そしてなにより、主人公の日向翔陽くんの性格の良さが最大の魅力。人懐っこくて、誰にでも声をかけてくる。なにごともポジティブに捉えて、前へ進んでいく。細かいことは気にしない。ひと昔前の理想の主人公像は、頭がいいことを求められた。日向は、いい意味でおバカキャラ。ものごとを成し遂げるのは、前向きなおバカさんであることが重要。何かをするときに、小難しいことが頭をよぎったら、いちどリセットして真っ白にするのも大切。日向を見習って、ポジティブシンキングで、飛んで行けたらなによりだ。
暗い世の中だからこそ、『ハイキュー‼︎』のような無条件で元気になれる作品は、かなり貴重だと思う。
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