『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』 あらかじめ出会わない人たち

毎年年末になるとSNSでは、今年のマイ・ベスト10映画を多くの人が発表している。すでに観ている作品があれば、「その映画、自分も好き」と心の中でつぶやいている。未見の作品があれば、「今度その映画、観てみよう」と参考にしたりもする。この映画『ホールドオーバーズ』は、劇場公開時からずいぶん話題になっていた。スターがひとりも出てこない、派手な見せ場もないこの映画。予告編ではどんな映画かよくわからない。かなり地味な印象。ちょっと見過ごしてしまいそうな映画。通(つう)好みでもありながら、観てみるとなんのことはない、とんがったひねりなどなく、王道のオーソドックスなわかりやすい映画。この作品をマイ・フェイバリットに選ぶのは大人のセンスといったところ。
クリスマスから年始が舞台のこの映画。年末年始に観るにはピッタリという触れ込み。そうですか。長いものには巻かれたい自分は、その流れに迷わず乗ってみた。これが出会いというものだ。
2023年制作の『ホールドオーバーズ』。5.1チャンネル・サラウンド音声で配信されているけれど、ほとんどモノラルのような音。映像も現代の主流であるデジタルで撮影されてはいるものの、フィルムのタッチに調整されている。限りなくアナログに近い映像表現。制作年度を知らなければ、ずっと昔につくられた映画と勘違いしてしまう。ハイテクの箱の中で、あえてローテクの匂いを疑似的につくりだしている。ずいぶん手のかかった演出だ。
映画だけ観ていると、監督が若いのか年配なのかよくわからない。監督はアレクサンダー・ペイン。ジャック・ニコルソンの『アバウト・シュミット』や、『サイドウェイ』の監督さん。大ベテランではないか。この映画主演のポール・ジアマッティは『サイドウェイ』にも出演していた。
映画の舞台は1970年の年末。アメリカ、ボストンの寮制男子高校のクリスマス・ホリデーの時期。なんらかの理由で、実家へ帰ることができない学生たちと、問題ありの先生との共同生活。食堂のおばちゃんもまだ家へ帰らない。なんでもベトナム戦争へ出征した息子さんが戦死したばかりとか。休み期間に学校に残る連中は、みんな何某かの問題を抱えている。卑屈になった学生や先生、傷心のおばちゃんとで、ガヤガヤとクリスマスを迎えようとしている。どいつもこいつも感じの悪い奴ばかり。トラブルが起こるのは当然の成り行き。
この映画の面白いところは、物語が展開していくなか、登場人物たちがひとり減りふたり減っていくところ。登場人物がどんどん少なくなっていく。自分はこの映画、取り残された厄介者たちが、ドタバタ大騒ぎするものだとばかり思っていた。日本のマンガなどによくある展開は、主人公が道を進んでいく過程で、ひとりふたりと仲間が増えていくもの。それが近年の流行りの展開だと慣らされていた。徐々に登場人物が増えていけば、自ずとエピソードが膨らんでいく。『ホールドオーバーズ』はその逆の展開を行く。限定された登場人物の人生を深掘りしていく。スター俳優不在の映画だからこそ、誰が主人公がわからない。物語の先の展開も読めなくなる。現実の人生によく似ている。群像劇に見せかけて、数名の登場人物に、徐々に深くフォーカスしていくところが面白い。
この映画の登場人物たちは、それぞれ問題がある。普段自分の周りにいたら、自然と距離を取りたくなる連中ばかり。そんな問題アリな人たちが触れ合っていく。それだけでファンタジー。
SNSに載っていたお寺の前に貼ってある人生訓で印象深いものがある。「合わないなと思う人がいたら、ピントが合うまで距離をとりましょう。離れすぎて見えなくなることもある。それはそれでいいのです」
ひと昔前の価値観だと、どんなに苦手な相手でも、話していくことを大切とされていた。現代では、違和感を感じた人とはトラブルになる前に距離をとることの方が、処世術として最適とされている。合わない人に無理に合わせて、自分自身が疲弊してしまっては病気になる。分かり合えない人とは、いつまで経っても分かり合えない。忙しい日本社会では、煩わしい人間関係はそもそも作らない。いっけん冷たいようにも思えるが、実践してみると、かなり心の平穏が保たれる。自分に親切ではない人に親切にしてあげる必要はない。労力のいる人間関係は、人生の優先順位では、早々に切り捨ててしまっていい。前世代の人たちが、そもそも相性が悪い人たちとわざわざ交流していって、やっぱりトラブルになってしまう姿を見ると、なんてめんどくさくて勿体無いことをしているのかと思えてしまう。いや、彼ら彼女らはむしろそのトラブルを自らつくって楽しんでいるのかもしれない。そうなると自分とはかなり人生観が違うなぁと愕然としてしまう。
『ホールドオーバーズ』は、顔見知りだけれど知り合うはずもない人たちが出会っていく物語。第一印象が嫌な奴が、知り合ってみたら本当は良い奴だったなんてことは奇跡でしかない。現実にはほとんどあり得ないこと。初めましてのなんの先入観もない時点で、悪印象を抱かせる相手というのは、もうそれだけでなにか理由がある。理屈を越えて相性が悪いと言える。そんな相手とは、深く知り合うのはとても危険。お互い傷つく。
「一緒に酒を飲めば、みんな友だち」なんていうのは昭和的価値観。飲みニケーションなんて、仲のいい関係性がなければ成り立たない。会社の飲み会、学校や近所の寄り合いの場でのトラブルは容易に起こりやすい。たまたまその場所にいただけで、仲が良くて集まったコミュニティではないのだから当たり前。お互いが適切な距離感を模索し合わなければ、よく知らない他人同士がうまくやっていけることはない。
「人と人とわかりあうには、蔵にある酒を飲み干すだけの時間がかかる」 ローマ帝王で哲学者だったマルクス・アウレリウスの本に書いてあったような気がする。マルクス・アウレリウスは、映画『グラディエーター』で先代のローマ皇帝のモデルになった人物。栄華の絶頂のローマ帝国の酒蔵だから、相当な酒の量だろう。他人同士が距離を縮められるまでは、それほど時間がかかる。焦ることはないという意味。
『ホールドオーバーズ』で描かれる短い出会いは、そのまま一期一会のように終わっていく。寂しくもあるけれど、だからこそいちばん良い印象で終わっていける。人と人が出会ったり別れたりしているだけなのに、ファンタジーが展開していく。
他人同士がわかりあうのは面倒なこと。日常ではなるべく避けたい行為だからこそ、映画でその夢を実現させてくれる。これから自分も、まだまだ多くの人たちと出会っていくだろうけど、どれだけ親密な関係が築けるかはわからない。不安要素ばかりで殺伐とした世の中だからこそ、この古風な映画が、映画ファンには必要だったのかもしれない。
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