『アフリカン・カンフー・ナチス』 世界を股にかけた厨二病
2025年の今年は第二次世界大戦から終戦80周年で節目の年。それもあってか終戦記念日の8月近くには、テレビやラジオで戦争にまつわる特集番組が多くなった。一年に一度くらいは真摯に戦争と平和について考えるのは悪いことではない。ふと振り返ってみて、10年前の終戦70周年のときを思い出してみる。確かびっくりするくらい、戦争について誰も口にしていなかったような気がする。テレビやラジオなどのメディアも、まるで触れてはならないことのように戦争について語らなかったような気がする。戦争という重い現実に触れないでおく。つらく厳しいことには蓋をする。そんな世間の空気感があった。まさに日本は失われた30年真っ只中。メディアは無理にでも明るい話題しか扱わない。
それに比べて今年の終戦80周年に関するメディアの態度の違いはどうしたことだろう。10年前と今とで何か大きく価値観が変化している。それは日々絶えず続く世界での戦争や紛争のニュースの影響もある。日本の政治が10年前と違うというのは大きい。それにしてもこうも雰囲気が違うものか。毎日テレビでは悲しい戦争体験の特集番組が流れている。10年前は戦争について語らないメディアにイラついていた。いざ戦争の話ばかりをずっとされてしまうと、あまのじゃくな自分は、それはそれで危機感を覚えてしまう。
スタジオジブリの戦争映画『火垂るの墓』が、久しぶりに「金曜ロードショー」枠で放送された。自分のSNSは、連日『火垂るの墓』へのリアクションでいっぱいになる。『火垂るの墓』は、自分も2回くらい観ている。一度観たらなリピートできないくらい辛く悲しい映画。すべて内容を覚えているトラウマアニメ。『火垂るの墓』は、1度は観た方がいいけど、2度とは観たくない映画でもある。「観たくない」というか、「辛くて2度は観れない映画」と言った方が正しい。
終戦の夏なので、戦争にまつわる映画を観ようとは思っていた。ここまで毎日メディアで神妙な面持ちにさせられるコンテンツを浴びていると、なんだかガス抜きを求めてしまう。そんな今こそ『アフリカン・カンフー・ナチス』を観なければならないと感じた。タイトルだけで興味を惹く。くだらないB級C級の映画なのは観る前から想像できる。『アフリカン・カンフー・ナチス』は、なんでもパート2までつくられているとか。ガーナ共和国制作作品というのも訳がわからない。ちょっと怖いのでYouTubeで予告編だけ観てみる。大丈夫、きっとこちらの期待を裏切らない。そんな予感がした。
『アフリカン・カンフー・ナチス』は、第二次大戦で、もしヒトラーと東條英機が生き残って、ガーナに亡命していたらという、もうどうにでもなってくれという設定。ヒトラーと東條英機は、ガーナで新しい独裁国家を築こうとする。ガーナ人でヒトラーに忠誠を誓えば、選ばれた民のガーナアーリア人として、白人になれる。その白人というのもただ顔にパウダーを振っただけのもの。ふざけすぎてて怖い。いろんな人に怒られそう。
日本では渋谷の映画館「イメージフォーラム」で公開されていた。関東の他の劇場では、「池袋シネマロサ」や「あつぎのえいがかんkiki」など名画座での公開。どこも好きな映画館。『アフリカン・カンフー・ナチス』は、日本ではミニシアターでひっそり公開されていたのだろう。むしろよくも公開できたものだ。調べるとこの映画、当初は配信スルーで、「Amazonプライムビデオ」だけで日本公開していた。当然の対応。それがあとから劇場公開となっている。きっとネットで話題になったのだろう。自分は知らなかったので、ほんとうにささやかに知る人ぞ知るトンデモ映画に違いない。
この映画、タイトルだけで半分以上は成功している。プロットもあるようでいてないようなもの。勢いだけで映画がつくられている。酔っ払った仲間うちで、「こんな映画あったらウケる」みたいなことを言って、インチキな構想を練って笑う。酔いが醒めたら、そんなくだらないことでよく笑えたものだと、自分自身に呆れて笑えてきてしまう。そんなことはよくあること。監督のセバスチャン・スタインを調べてみると、本当に酔った勢いで浮かんだタイトルを、そのまま映画にしてやろうと思ったらしい。人は理性というブレーキで、一線を越えまいと引きとどまるもの。セバスチャン・スタイン監督にはその理性のブレーキがない。制御不能の悪ふざけ。
セバスチャン・スタイン監督は、映画本編でヒトラーを演じている。もう悪ノリもいいところ。なんでも母国ドイツでは、ヒトラーのコスプレをしてDJをするパフォーマンスをしていたら、ネオナチに目をつけられたとか。そして日本へワーキングホリデーで滞在する。Youは何しに日本へ。急に身近になってくる。自身がドイツ人で、日本に住んでいた経歴もあるからヒトラーと東條英機なのか。セバスチャン・スタイン監督は日本で映像関係の仕事に就く。かなりサブカルに詳しいのは想像がつく。日本をワーキングホリデーの地に選んだのも、きっと日本のアニメが好きだったからではないだろうか。
そういえば自分の周りのクリエーターも、バックパッカーの人が多い。自分は、旅はしたいけれど怖がりなので、バックパッカーができる人の度胸が羨ましい。ある意味自分にはその「えいやっ」と崖から飛び降りる勇気がないから、鳴かず飛ばずなの人生なのだろう。セバスチャン・スタイン監督のドイツから日本からなぜかガーナへ飛んで、くだらない映画をつくる行動力は、失笑どころか憧れまで感じてしまう。ここまでサブカルオタのバカ(褒め言葉)なら、むかうところ敵なし。
映画が始まる。もしかしたらガーナ映画は初めて観るかも。語られるセリフはぜんぶ英語。字幕がなぜか関西弁。これはガーナ訛りの英語を茶化しているのだろうか。ちょっ待てよ。これは吹き替え版はどうなっているのかと、音声を切り替える。やっぱりみんな関西弁を喋ってる。しかもセバスチャン・スタイン監督自ら演じるヒトラーは、ドイツ語訛りの日本語。これは吹き替え版で観るしかない。主人公アデーの声優さん、聞いたことある声だと思ったら水島裕さんだった。急に大御所声優さんの配役。
水島裕さんといえば、自分のような初老世代からすると『燃えよデブゴン』シリーズのサモ・ハン・キンポーの声優さんという印象。『スターウォーズ』の昔のシリーズで、主人公のルーク・スカイウォーカーの吹き替えは、水島裕さんの声がいちばん好きだった。吹き替え版の声優のキャスティングも、昔のサブカルを意識している。
『アフリカン・カンフー・ナチス』は、久々に観る低予算映画。それこそ『燃えよドラゴン』を始め、たくさんの映画のオマージュでいっぱい。オタク厨二病の脳内を可視化したら、そのままこんな感じということか。ヒトラーや東條英機が出てくるから、政治的な社会風刺の映画なのかと思いきや、単純に負の歴史をおちょくっているだけ。幼稚なまま勢いだけで突っ走る。制作がうまくいっていないのが、映像の端々から伝わってくる。役者もスタッフも、どんな映画がつくられているのかよくわかってない感じ。プロの役者と素人役者との演技の格差もすごい。吹き替え版では素人俳優のたどたどしい演技もそのまま再現している。どれだけ意地悪な感性が注げるかの駆け引き。ぜんぜん政治的な内容ではない。
この映画の続編では、まさかの主演が降板している。よほど辛い現場だったのだろう。それでもセバスチャン・スタイン監督は突っ走る。自ら再びヒトラーを演じきる。
映画を観ながら、「なんてくだらない映画なんだ」と思いながら、なぜか観続けてしまっている。上映時間が84分と短いのもいい。観客をギリギリ怒らせない時間配分。でもアクションシーンでは、どうなるのかとハラハラする場面もある。もしかしたら映画全編に漂う危うい感じで、ヒヤヒヤさせられてるだけなのかも。困ったことに、どんなにバカバカしい映画であっても、暴力描写があるとやっぱりひいてしまう。結局この映画を観た日は悪夢を見てしまった。たとえふざけまくった映画とはいえ、戦争を取り扱ってしまうと、やっぱり暗い気分になってしまう。それくらい戦争というものは、軽く触れられないものなのだろう。さて、自分は『アフリカン・カンフー・ナチス』のパート2を、いつか観るのだろうか。
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