『アバウト・タイム 愛おしい時間について』 普通に生きるという特殊能力

リチャード・カーティス監督の『アバウト・タイム』は、ときどき話題になる映画。2013年制作のこの映画、自分は観ていなかった。この映画が公開された12年前は、自分は育児真っ最中。勤めている会社もブラックで、自分の時間などとれるわけもない。映画を観るくらいだったら睡眠時間が欲しい。大好きな映画鑑賞すら、観る気力が無くなるくらいに疲れていた。3度の飯より映画好きだった自分が映画を観れない。それまでの人生は、映画を観れないことは死活問題とまで思っていた。でも実際に映画が観れなくなっても、命に別状はなかった。むしろ3度の飯を抜いた方が、健康を害してしまう。当たり前のことだけれど、それすらわからないくらい、映画という趣味に夢中になっていた。今では、睡眠時間確保が日々の生活の中での最優先事項となっている。そのために映画を観れなくなるのは致し方ない。生きていくにつれて、人生の優先順位がどんどん変化していく。
ラブコメ映画の『アバウト・タイム』。自分が男子だからか厨二病だからか、どうしてもこの手のジャンルの映画は後回しになってしまう。巨大ロボットが出てきたり、宇宙や異空間へ旅する話ばかりどうしても優先的に観てしまう。『アバウト・タイム』のような映画は、観たらぜったい面白いのはわかっている。いつかは観たい映画のリストにはあがっていた。こういったラブコメ映画を男子が観る理由としては、ヒロインが好みかどうかが最大の動機となる。主演のレイチェル・マグダアムスは魅力的すぎる。それだけでもチェックはされる。日本でのこの映画のビジュアルは、彼女の魅力頼りなのがわかる。この映画、普通のラブコメかと思っていたら、なんとタイムトラベルものとのこと。SF好きの自分としては、とうとう知らん顔ではいられなくなってきた。男がラブコメを観る堂々たる理由ができた。
タイムトラベルものは、近年の日本作品では手垢のつきすぎるくらい何度も扱われた人気の題材。それがイギリス映画のラブコメ作品の題材になるとは、とても不思議な感覚。今の日本では、「またタイムトラベルものか」と、企画としては辟易してしまいがち。でもタイムトラベルものにはハズレが少ないのも事実。同じ時間を行ったり来たりすることで、いくらでも物語のアイデアが広がっていくのだから、時間旅行はものすごく映画的題材なのだろう。それこそ『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『ターミネーター』など、ハリウッド映画が全盛期時代の名作もあるし、『ドラえもん』だってタイムトラベルもの。日本産ではなく、イギリス生まれのタイムトラベルものの『アバウト・タイム』。どんな雰囲気なのか、とりあえず観てみよう。
『アバウト・タイム』の主人公のティムは、21歳の誕生日に、父親から一族の秘密を明かされる。一族の男はみな、タイムトラベル能力があるというのだ。この荒唐無稽な冒頭から映画は始まる。あまりに荒唐無稽な能力だから、誰にも話すわけにもいかない。ティムはひっそりとタイムトラベル能力を利用する。ことさらガールフレンドをつくらんがためにこの特殊能力を発揮する。何度も何度も同じことを繰り返し、自分の行動を理想の形へと整えていく。それが楽しい。誰もがあのときあんなことを言わなければ良かったのにという後悔はあるもの。そのすべてをその場で修正していく。そんな身近な事柄にタイムトラベル能力を使う映画は今までも数多にあった。この映画のいいところは、その特殊能力で世界を救うわけでもないし、大幅に人生を変えてしまうこともない。ほんのささやかな工夫みたいな使い方で時間旅行が扱われていく。
この映画を観ているとなんだか違和感がある。それはイギリスというお国柄の価値観なのか、それとも日本の文化だからなのか、もしかしたら自分だけの価値観の違いなのかと悩むところがある。この映画で描かれる恋愛の始まりのきっかけが、あまりにちょっとしたタイミングだけというところ。パートナー選びは、その後の人生に大きな影響を与えてしまう。慎重にならざるを得ない。こうも簡単にパートナーを決めてしまうものかと意外になった。そういえばアメリカに留学した人が、「向こうの人はあまりに簡単に付き合ったり別れたりするのでびっくりした」と言っていたのを思い出す。わからない相手だから、とりあえず付き合ってみてから判断するということなのだろうか。それでうまくいけばいいが、もし失敗したら痛手が大きすぎる。わからない相手だからこそ慎重になる。その利点としては、大きな怪我はしないで済むこと。でもその慎重さが行きすぎて、石橋を叩いても渡らないなんてこともありすぎる。そうなるとせっかくのチャンスも逃してしまう。慎重さと大胆さの塩梅が難しい。そんな失敗も、タイムトラベル能力で是非とも修正してみたいものだ。
ネタバレになってしまうが、この映画の面白いところは、主人公の性格や特殊能力にスポットがあまり当てられていないところ。主人公のティムが好きなレイチェル・マクアダムス演じるメアリーの方が主人公より魅力がある。タイムトラベル能力なんて吹っ飛んでしまうくらいの魅力。ビル・ナイが演じるティムのお父さんもめちゃくちゃカッコいい。そういえばティムのお父さんは50歳で仕事をリタイアして、悠々自適な生活を送っているという。経済的に許されるなら自分もしてみたい。この映画はティムの物語なので、お父さんの人生には深入りしないが、早期引退はタイムトラベル能力が絡んでいることはすぐ想像できる。
そういえばこの映画の公開時期に、監督のリチャード・カーティスは引退宣言をしたとか。でもこれはメディアの先走りが大きい。劇中のお父さんのように、早々に映画界から身を引いてしまうのではと、メディアやファンは早合点に騒いでしまった。もしかしたらリチャード・カーティス自身もタイムトラベル能力があるのではないかと疑ってしまう。でもそのリチャード・カーティス監督のインタビューのオリジナルのニュアンスは、メディアからの伝わり方とはだいぶ違っていた。リチャード・カーティスの意図は、単純に監督業より脚本家に専念したいというものだった。今までの彼のキャリアは、監督兼脚本家だった。監督業はあまりに時間がかかり、選択する作業が多すぎる。それより物語をつくる方に専念したいということらしい。完全引退宣言はしていない。この発言から10年以上経った今では、彼が引退などしていないことはキャリアが証明している。彼の代表作の『ラブ・アクチュアリー』の短編続編だってその後、監督しているくらい。これはセンセーショナルな言葉に、大袈裟に反応してはいけないという教訓。リチャード・カーティスは、最近ではダニー・ボイル監督の『イエスタデイ』の脚本を担当している。ビートルズが存在しない世界で、自分ひとりだけがビートルズを知っていたらの「もしも」のファンタジー。この不思議感覚は、『アバウト・タイム』にも通じるものがある。リチャード・カーティス節はいまだ健在している。
『アバウト・タイム』の主人公ティムは、タイムトラベル能力を使って、自分の人生を整えていく。自分の都合の良いように過去を差し替えるのが、今までのタイムトラベルもののテーマだった。『アバウト・タイム』では、そもそも何事もない日常をもう一度丁寧に生き直すために同じ時間を行き来する。誰しも日頃日常では、初めての一日を過ごしている。緊張や不安から、物事の真実を見失いがちになってしまう。あらかじめその一日を知っていれば、余裕を持って生きていける。そんなに緊張しないでもやっていけることがわかってくる。人間らしく生きることは、ユーモアのある人生であるかということがとても大事。ユーモアは人間だけが持つ感性。人は日々の忙しさでそれを見失いがち。それこそユーモアセンスのある人がコミュニティにひとりいるだけで、そのグループは明るくなったりする。明るい人には自然と人が集まってくる。ただその逆も然り。
ティムが丁寧に毎日をやり直しているうちに、いつしかタイムトラベル能力を使わずとも、人生を充実して生きていくことが出来ることに気づいてしまう。日々の仕事に追われてしかめっ面をしないこと。笑顔を欠かさないこと。主人公が持つ特殊能力から自ら徐々に離れていくという意外な展開。自分でユーモアのある生き方のコツを掴んでしまえば、もうタイムトラベル能力なんて不要となってくる。特殊能力がまるで自転車の補助輪みたいな扱われ方。タイムトラベル能力は、観客のほとんどが持っていない能力だけれど、自分の人生を整えていくことは、たとえその能力がなくともできそうな気がする。
ティムもメアリーもそもそもインテリで、弁護士や校閲士など誰でもすぐになれるような仕事に就いていない。エリートではあるけれど、あまりそれに引っ張られないように映画ではさらっと描いている。彼らの地盤が盤石なのも大事な要素。そもそもの育ちの良さが、人生はをさらに良い方へ向かわせる考え方へと進展していく。だからなのか、地頭が良い人は特殊能力に頼る必要がなくなってくる。フェアに生きる準備が整っていく。
『アバウト・タイム』は人生を語る映画なので、どうしても冠婚葬祭の場面が多くなってくる。実のところ冠婚葬祭をドラマで描くのは結構難しい。自分はかつてシナリオライター養成学校に通っていた。実習で短編を何本も書いていって、講師からどうやったらもっと面白くなるかを添削してもらうのが授業だった。学校からは決められた課題のもと、指定された枚数の短編ドラマを書かなければならない。完全にプロのライターになったときのためのシミュレーション。いかにその枷の中で作品に仕上げていけるか。プロというのは思いのたけをただ作品に打ち込めばいいものではない。事前に引き出しがなければ、突然の課題に対応できない。作品に無理に個性は出せない。クライアントの要望に寄せるのが精一杯。いつだって個性は後から付いてくる。
そんなシナリオライター養成学校の授業では、冠婚葬祭は難易度の高い重要課題。ご丁寧に結婚式と葬式はひとつずつ、別の課題として用意されている。結婚式や葬式はドラマチックなものだと思いがちだが、それは当事者の心の中が盛り上がっているだけで、その様子をただ描写するだけではドラマにはなっていかない。冠婚葬祭がそもそもドラマチックな現実だからこそ、フィクションになりづらい。
『アバウト・タイム』では、陳腐になりがちな冠婚葬祭描写を、音楽や映像のセンスで微笑ましく描いている。それだけも演出力の高さを感じさせる。「ニック・ケイヴをかけてくれ」と言うけれど、観客の我々はすでにその曲を聴いている。これもタイムトラベルを利用した、演出の妙。映画からは選曲にもセンスの良さが滲み出ている。
新しく誕生する人を迎えたり、去ってしまった人のグリーフケアなり、人生の出来事を通して、自分のステージがどんどん変わっていく。結婚したり子どもが生まれたりすることで、自分の死を実感したりもする。自分が知っている親や祖父母の年齢にどんどん近づいていく。
普通に生きるとひとことで言ってみても、案外これは難しい。ティムのお父さんは50歳で早々に仕事をリタイアして、人生をのんびり過ごしていた。いま自分もその年代になって、リタイアするほど余裕がないことに気付かされる。辞めれるものなら辞めてみたい。だけど経済中心の社会のシステムがなかなかそれを許してくれない。
自分は生活のために働かなければならないので働いている。世の中には、一生働きたいという人もいる。そんな人たちは定年制度を密かに恨んでいる。まだまだ働きたいとよく60歳を過ぎた人たちから話を聞く。なんでも自分の人生は仕事ばかりで、それ以外のことは何もしてこなかった。趣味もないらしい。定年になって、やることがなくなることが怖いらしい。ようは自分のことしか考えていない人生だったのかなと。そんなことを言う人たちが、必ずしも仕事ができるわけではないのも悲しいところ。彼ら彼女らが言う仕事は、昭和的な古いスタイルで、今の世に通じなかったりする。不本意ながら老害となってしまう。自分も働ける限りは働きたいとは思っていたが、そんな姿を目の当たりにすると、ある程度の年齢がきたら身を引くのも大事なことだと思わされてしまう。
『アバウト・タイム』のティムのように、日々の生活の中にユーモアを見つけていくことはどうやら自分にもできそうだ。リチャード・カーティス監督は、早々に監督業から退いて、脚本家業に専念している。より良い人生を目指すなら、あれもこれもではかえって辛くなってしまう。人生は取捨選択。何かを得るためには、何かを捨てなければならない。全部やりたいというのは、実は何も選んでいないことにもなる。
映画は混沌としたSFテイストから始まって、等身大の普遍的な視点に降りてくる。当たり前だけど、人生は死ぬまで続いていく。どうやらこの映画と自分との出会いが、自分の人生でいちばん忙しい時期でなかったことに意味がありそうだ。『about time』の意味の通り、やっと自分にも、人生の時間について考える余裕ができてきたのかもしれない。
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