ディズニーアニメの最新作『ベイマックス』が
予告編とあまりに内容が違うと話題になっている。

日本版の予告編は、
お涙頂戴の感動作のように宣伝されているのだが、
オリジナルのアメリカ版はヒーローものっぽい演出。
内容もオリジナル予告編のものらしい。
原作はマーベルコミックらしいし。

日本はとかく「泣ける=名作」と
勘違いしている傾向がある。

今年の『STAND BY ME ドラえもん』みたいに
「ドラ泣き」とかいってヒットするのは日本だけ。
こんな暗くセンチメンタルな内容では、
世界標準では通用しない。
(これはこれで好きだけど)

『アナと雪の女王』だって、日本版ポスターは
登場人物達が神妙な表情をしている。
本編は明るいので、ここでも違和感を感じずにいられない。

深刻だったり、お涙頂戴でなければ
不真面目な作品と勘違いされてしまうくらい
日本人は娯楽を見る目が乏しい。

ピクサー&ディズニーの
『カールじいさんの空飛ぶ家』も然り。

冒頭、カールじいさんの生い立ちが、
めくるめく早さで紹介される。

奥さんと結婚し、子どもができなかったが
仲良く暮らし、やがて妻に先立たれる。
とても悲しいオープニング。

日本の宣伝では、
「この妻を亡くした悲しいおじいさん」を
全面的にフィーチャーしている。

しかしこれはキャラクター紹介に過ぎないのだ。

カールじいさんは偏屈者だ。
偏屈な主人公が突然登場しても、
観客はこの人を好きになってはくれない。

偏屈になるには理由がある。
人生の殆ど一緒に過ごした妻を亡くしたばかりと知れば、
もうカールじいさんがどんなに偏屈でも感情移入できる。

でも偏屈じいさんが偏屈なままでは物語は始まらない。
いつまでも悲しみに耽ってばかりはいけないのです。

カールじいさんは旅に出ます。
若いときに妻と約束していた旅。

もう誰とも親しくなるまいと
心を閉ざしたにもかかわらず、
ボーイスカウトの少年と出会ってしまいます。

日本版予告編にある自己憐憫真っただ中の
人間のままでは物語は始まらない。

人間が成長するのに年齢なんて関係ない。
おじいさんだって成長していく。

そして笑いの中にこそ人生が存在していくのです。

日本の制作者側も観客側も、
いつまでたってもお涙頂戴から抜け出せずにいる。
この感性は昭和の貧しい時代のまま。

人生にとって必要なのは、涙よりも笑いのはず。
笑うことは不真面目とか思ってる人もいまだにいるらしい。

ホントはなんにも考えてないくせに、
とりあえず神妙な顔をつくって、
まじめぶってるとしか思えない。

本気でいろいろ考えてたら、
面白くなることばかり考えて、
ユーモアいっぱいの頭ん中になってしまうけどな。

「笑う門には福来る」って、日本の言葉だよね?

みんな笑いの重要性を忘れちゃってるのかしら?