『グッド・ドクター』明るい未来は、多様性を受け入れること
コロナ禍において、あらゆる産業がストップした。エンターテイメント業界はいちばん最初に被害を受けた。ドラマや映画の撮影もストップして、新作がリリースに間に合わなくなってしまった。放送予定の穴を埋めるために、放送局では、過去に評判の良かったドラマを再放送し始めた。
中には『特別編』と冠を付けた作品もある。なんでも、ただ再放送したのではスポンサーが付かないが、『特別編』とタイトルにつけるだけで、新作扱いになるという大人の事情もあるらしい。つまらない理由だ。
近年において、エンターテイメント作品は作られ過ぎだと感じている。工場で量産されるが如く、毎週新しいエンタメ作品がリリースされる。ルーティンワークで製造される作品群には熱意はない。仕事として流行を製造発信しているようなもの。
原作付きの映像作品においても、作品製作の動機が「その作品が好きだから」という敬意からくるものではなく、「売れた作品を映像化すれば話題になる」という商魂だけが見えてしまう。まったくえげつない。もっと一つひとつの作品と丁寧に向き合って企画してほしいものだ。
名作と呼ばれる作品はそうそう簡単には生まれない。今回はコロナの影響で、テレビ局も過去作品の再放送に踏み切ったのだろうが、これはこれで悪くない企画だと思う。
垂れ流しの気骨のない作品を製作するより、良い作品を何度も観てもらう。視聴者も、「あの作品良いよと」という薦められて気になっていた作品を、再放送をきっかけに観ることができる。すでに発表されている作品なので、レンタルや配信に観客を誘導する宣伝にもなる。この方法は、エンタメ経済の新しい流れになるだろう。
このコロナ禍で、忘れかけていた名作に再び出会えるチャンスができたのは不幸中の幸いだ。闇雲に新作を作ればいいというものではない。この数ヶ月で、過去作品の再放送や特別編で、高視聴率をとった作品も多い。これからも過去作品のラインナップが増えていく。とても楽しみだ。
そんな再放送ブームの切り込み隊長的な存在の『グッド・ドクター』。発達障害を抱えた主人公が、どうやって社会に溶け込んでいくかを描いている。以前から人から勧められていた作品だ。
そもそも原作は韓流ドラマ。のちにアメリカでもリメイクされ長いシリーズとなった。日本では山崎賢人さんと上野樹里さん主演でリメイクされた。
正直ここまでリメイクラッシュになる作品なのだから、オリジナルの韓流版を観てみたい。もっとも最新の日本版が再放送となっては、飛びつかないわけにはいかない。日本の民放のドラマは久しぶりにゆっくり観る。
山崎賢人さん演じる湊は、天才的な知識と直感力を持っていながら、自閉症でコミュニケーションが不得手な若手医師。「先生、もうすぐ退院できますか?」という患者の問いに、「あなたは退院できません」とズバッと言ってしまっい、患者を困惑させてしまう。湊からしてみれば、実際に退院できないのだから、そのまま伝えて何がいけないのかがわからない。KYだけど、理屈は通っている。この湊の正直すぎる感覚と、病院という典型的な縦割り社会の表裏の世界での対比が、ドラマの見どころとなっている。
ドラマは、毎回ミイラのように干からびてしまうのではないのかと思わせるくらい、泣かせるエピソードの数々。泣き過ぎて頭が痛くなってしまう。小児科が舞台なので、我が家の小学生の子どもたちも一緒に観ている。
劇作には「泣きの間」という演出がある。観客が感情移入して泣けるように、あえて展開を遅くして間をとる。ミュージカル映画などでは、曲を歌い上げた後に、すこし間をとったりもするのも同じ演出法。観客に心の中でも拍手できるような間をとると、気持ちよくスッと入ってくる。もちろんリアリズムはそこにはない。
テレビドラマは、とくにこの「泣きの間」が多用される。この現実には不自然な間の取り方が、子どもたちには違和感にとれたようだ。「なんでこの人、すぐに返事しないの?」とか、ドラマを観ながら聞いてくる。それにいちいち演出法のウンチクを述べるのも野暮なこと。フィクションとは現実の模倣であって、それとは異なるものだとつくづく実感した。
正直すぎる湊の言葉は、初めのうちは同僚たちから反感を買う。でもだんだんと湊の優れた才能を認め始める、最初の敵を仲間にしていくロールプレイングのような楽しさ。
天才という能力は、障害とセット。ただ誤解されがちなのは、障害がある人は必ずしも天才とは限らないということ。もしかしたら、当人が「障害」と感じていることが、社会にとって必要な「能力」であることもないではない。
不寛容な世の中では、新しい才能をみすみす見過ごす。目先の優劣を問い始めたら、その社会は衰退へと向かう。その人が経済活動をしていなくとも、その人がそこに居るとうことだけで意味がある。そんな社会が、明るい未来を築いていくのではないだろうか。
なんらかの発達障害を持つ人の割合は、10年前では20人に1人と言われ、ここ最近では10人に1人、8人に1人と言われ始めた。そうなるともう障害ではなくただの個性だ。同じ障害といえども、程度の差は大きいし、その症状の個性はさまざまだ。
このドラマの小児科のように、慣例に捉われない感性を受け入れていくことで、すべてがハッピーになっていくのなら、それに取り組まない手はない。不寛容は幸せの敵なのだ。日々問いかけながら生きていく。ともすると忙しさに流されて、物事を断裁してしいがちな現代人。とくに意識していかなければならない。
実際にはドラマで描かれるような、医師がこんなに丁寧に患者と向き合う余裕などない。リアリティーはないが、そこには理想がある。ドラマ鑑賞を通して、より良い社会のあり方を考えていくきっかけにすればいい。
面白い作品というのは、たいてい社会派だ。フィクションと現実をつなげていくのは、我々観客の想像力に委ねられてらいる。そうなると、たかがエンタメされどエンタメと、バカにはできない。ひとつの作品が社会を変えていく力は、充分備えているものだ。
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