『グッバイ、レーニン!』 長いものには巻かれて逃げろ
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映画:カ行
東西ドイツが統合された1989年。自分は子ども時代にそのニュースを見た。のちに学校の世界史の教科書にもそのことが載った。教科書には歴史の情報が箇条書きで書いてある。それはフランス革命だろうが戦国時代だろうが、それこそ縄文時代だろうが、歴史の教科書の中のいち情報に過ぎない。
それら情報でしかない時代にも、普通の暮らしをしてる市井の人々は必ず存在する。それはみな血の通った人間たち。むしろそんな普遍的な生活をしている人たちが大多数で、歴史を実際に動かした人物は、少数派の時の為政者に過ぎない。歴史に残る動乱は、一般の人々の静かな暮らしを破壊した当時の大事件。
2004年に日本公開された映画『グッバイ、レーニン!』。このドイツ映画の予告編を観たとき興味を抱いた。未見のままずっと忘れていたが、友人からもこの映画の評判を聞いて、直感は間違いなかったと思った。
『グッバイ、レーニン!』の舞台は東西のドイツがまさに統一寸前の1989年。もともとひとつの国が二分化されてしまったドイツ。社会主義と資本主義のせめぎあい。旧ソ連の崩壊、ペレストロイカの影響で、東西ドイツの二分化が統一される歴史的な時期。
主人公の青年アレックスは社会主義を政策としている東ドイツに住んでいる。彼の母親は、強烈な保守的愛国者。禁欲的な社会主義に傾倒している。その母親が突然意識を失い、昏睡状態に陥ってしまう。母を失う覚悟をしたアレックス。その8ヶ月後、母は再び目を醒ます。その失われた8ヶ月の間に、東西のドイツは統一。ベルリンの壁は壊され、東ドイツに西側の資本主義的文化の波が一気に流れ込んできている。母が意識を失う前と後のドイツの風景があまりに違いすぎる。余命いくばくかの母を、ショック死させまいとアレックスは大きな嘘をつくことにする。せめて母親が見える世界では、統一前の東ドイツの社会のままでいさせてあげよう。彼女が愛した社会主義の世の中を保ってあげよう。
映画は歴史を映し出す鏡。歴史の教科書では、数行で語られてしまうだけの情報も、そこで生活している人たちの視点で空気感を伝えることは、映画というメディアのもっとも重要とするところ。あたかも現代の浦島太郎のようなファンタジックな物語を、いかに現実とリンクさせるか。大きく社会が動き出すとき、それに翻弄されるのは小さな個人ばかり。この映画のアイデアが浮かんだ時点で、この映画は大成功。歴史に翻弄される小さな家族の姿を、面白おかしくコメディとして描いている。重いテーマなのに明るい。予想していたより遥かに知的な映画で、最後まで夢中になった。
人が何かにのめり込むとき、それが字義通り純粋に楽しくて心酔しているとは限らない。自分の人生で向き合うべきものから逃げるために、他の何かで心を埋めていたりもする。それは仕事だったり宗教だったり、何かの研究だったり、アニメやアイドルかもしれない。ボランティアや慈善事業などの、他人の人生に介入する仕事に没頭し過ぎて、自分の人生をないがしろにしてしまっては本末転倒。アレックスの母親が生粋の社会主義者ではなかったことが、物語が進んでいくうちにだんだんわかってくる。
もしかしたらアレックスの母にとって、社会主義が崩壊して資本主義社会に変わることは、たいした問題ではないのかもしれない。これほど急に社会が変わっていたのかと呆れてしまう。人々はこの新しい文化を一瞬で受け入れる。便利なものは大歓迎。物事が決まるときの変化は早い。
アレックスの母への嘘は正しかったのだろうか。過去の時代に執着しているのは、母親ではなくアレックス自身なのではないだろうか。周りの登場人物たちが冷静で、主人公だけがズレている物語は残酷で面白い。自分が正しいと思い込んでいたことに違和感が生じ始める。その過ちに気づいて、軌道修正していくところに、物語のカタルシスがある。感覚のズレで、周囲と孤立してしまうことを悪としてはいけない。それに気づくこと。そしていまいちど立ち止まってやり直していくことの大切さ。
この映画の音楽を担当しているのはヤン・テルセン。フランス映画『アメリ』で有名な音楽家。映画『アメリ』と同じ楽曲を使っているところが、ただの流用とも言い難い。『アメリ』は、現実逃避のお節介な女性が主人公のファンタジックな映画。自分自身の人生に向き合うよりも、他人の人生に介入して、本来向き合わなければならないものから逃げている。ファンタジックな『アメリ』と、現実の歴史に基づいた『グッバイ、レーニン!』、自然と共通点が見えてくる。相手のためと言いながら、他者をコントロールしようとする行為。おせっかいで傲慢。
果たしてアレックスの母親は、どこまで息子の嘘に気づいていたのだろう。彼女から見た資本主義の世界はどんな景色だったのだろう。母は息子たちに「実は私は嘘をついていたの」と告白する。でもそれがそのまま本心だったとは思えない。彼女が最期まで自分の気持ちを心に秘めていたところに、イデオロギーに傾倒しただけの人ではないと、知性的な人として好感を抱かせる。
この映画で描かれる資本主義社会はとてもカラフル。日本に比べてドイツは、街がモノクロにみえるくらい地味。ベルリンの壁崩壊当時、このカラフルな文化は人々にとても魅力的だっただろう。でも今のベルリンが、カラフルに侵食されていないところをみると、あの熱狂は一時的なものだったのだと想像できる。
2021年の現在、世界的なコロナ禍で今までの常識が覆された。資本主義の穴や膿が浮き彫りになった。アフターコロナは、その前の世界にただ戻ればいいというものではなくなった。資本主義のあり方が今一度問われている。それは社会主義に戻ればいいという単純なものではなさそうだ。事実社会主義は失敗に終わった。今後は資本主義のアップデートが必要。それがただのバージョンアップですまなければ、新しいイデオロギーの誕生を余儀なくされる。
とかく人はイデオロギーに従って、個を失くしていく。そもそもイデオロギーは、個の希望の集まりで作り上げられるもの。出来上がったものに従っていくのでは思考放棄で反知性的。人先にありきのイデオロギー。大切なのは、多くの個人が幸せを感じられる社会。
このコロナ禍を人類が乗り越えた先、また別の『グッバイ、レーニン!』のような物語が生まれるかもしれない。アフターコロナは、世界が大きく変化して欲しい。第二第三の『グッバイ、レーニン!』のような物語が現実になることを期待している自分がいる。
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