『君の名前で僕を呼んで』 知性はやさしさにあらわれる
SF超大作『DUNE』の公開も間近なティモシー・シャラメの出世作『君の名前で僕を呼んで』。イタリアの片田舎でのLGBTQ恋愛映画。年齢差のあるカップルのひと夏の体験ものではあるが、扱っている恋愛が同性によるものなのが大きな特徴。ティモシー・シャラメ演じる主人公の少年エリオは、知的で裕福な家庭に育つ。考古学者の父と、マルチリンガルの母のもとで育ち、本人も音楽の才能に長けている。もうそれだけで王子感のファンタジー。それでもLGBTQに対する畏怖の念は現実的。
『君の名前で僕を呼んで』の脚本はジェームズ・アイボリー。1987年の監督作『モーリス』が思い浮かぶ。『モーリス』も同性愛の恋愛劇だった。『君の名前で僕を呼んで』の舞台になる年代も1980年代。エリオが着ているTシャツがトーキング・ヘッズだったりして、その時代を知っている身としては、不思議なパラドックス感覚が楽しめる。あの頃少年だった世代は、今では中高年になってる不思議。
1980年代はエイズが蔓延したり、同性愛に対する世の中の捉え方は差別的だった。多様性を認めようとする現代の流れからすると、排他的で野蛮な思想が、世の中の常識だった。
ハンサムで知的なエリオは、当然ながら女子にモテる。「もう少しで彼女とデキそうだったのに、次こそはうまくやろうと思う」なんて両親に軽く話す時点で、エリオの家はだいぶ開けている。この映画でみる若者の男女交際は、日常のあたりまえのこと。日本の閉鎖的な恋愛観とは根本的違う。当時の禁断の同性愛に比べると、男女間の恋愛のなんとハードルの低いことか。
マルチリンガルなエリオ一家は、相手に合わせて発する言語を変えている。家庭内の標準語は英語。エリオと恋に落ちる父親の仕事の助手オリバーとの会話も英語。イタリアの村で交わす言葉は、当然現地語のイタリア語。エリオのガールフレンドと交わすのはフランス語。エリオの母は、ドイツ語の詩の朗読も披露する。
映画の中での言語の使い分けは、それぞれの社会と合致する。家庭や恋愛相手と話す英語は、ドメスティックの象徴。村で話すイタリア語は社会性を表す。ガールフレンドと交わすフランス語は、ヘテロ・セクシャルのメタファー。
人はその場その場の社会に合わせて、自己表現を演じ分ける。家庭の私、会社の私、学校の私、友人の前での私……。ペルソナの仮面を無意識に使い分ける。それがこの映画の中では、言語の使い分けで分かりやすく表現している。
フランス語を話すガールフレンドとは、男女の一般的概念の恋愛が進んでいく。付き合いが深まる中で、エリオの中で違和感が生じ始める。今ならノンバイナリーという言葉が当てはまるが、1980年代では恐怖でしかない。自分は普通の恋愛ができない、異常なのではないだろうかと。
同性に恋愛感情を抱くというのは、これほど恐怖と隣り合わせなのかと、この映画を観て感じる。自分の気持ちに正直になりたい欲求と、それを口にしてしまったら、ひとたび異常者となってしまうかも知れない恐怖。
エリオはオリバーに恋心を抱いていく。当時の概念では、禁じられた想い。その様子をエリオの両親は、暖かく見守っている。とても新鮮。この両親には知性がある。知性はそもそも多様性を認めている。人はそれぞれ違って当たり前だと知っている。世間体の目ではなく、自分に正直に生きることへの大切さを父が息子に語る場面は感動的。
この映画の歳上の恋人オリバーのエリオに対する態度もカッコいい。禁断の恋心を伝えるエリオに、つねに優しい態度を示している。男女の恋愛でも、どちらかが優位に立とうとして威張っている構図はよく見かける。オリバーはエリオを見下すことは絶対にしない。いつも対等で、相手を尊重している。恋愛のあり方としてとても理想的。だからこそエリオはオリバーに「君の名前で僕を呼んで」と言った。対等だからこそ、自我を超えて精神的肉体的に混じり合えるのだと。
官能的な作品のほとんどが、暗く悲しい顛末を迎える。ひと夏の体験もので、ましてや同性愛の映画がハッピーエンドを迎える可能性は低い。そんな悲劇の予感を、イタリアの美しい風景や、音楽や芸術を嗜む知的な人々の姿を通して、悲しみの情感を濾過してくれる。
LGBTQに限らず、何かの障害者を描く作品の多くは、当事者が感情移入しにくいものが多い。作品は、扱う題材の「それ」を知っている人がシラけてしまうようでは仕方がない。当事者が描く「それ」には説得力がある。そして「それ」を知らない観客にとっては、見聞を広める機会を与える。取材力と真摯な姿勢が、作品に反映される。マイノリティの人が、かえって偏見の目に晒されないためにも、作品の真面目さが問われる。極端に言えば、誰だってどこかのマイノリティに必ず属する。世の中はまだまだ描くべき題材に溢れている。
坂本龍一さんのファンとしては、既存曲が劇伴に使用されていたのが嬉しい。知的だけれど神経質なピアノが、エリオの心情に合っている。
映画版『君の名前で僕を呼んで』は、原作の途中で終わってしまうらしい。時代が多様性に開いていこうとしているいま。現代社会の流れとともに、この映画の続編も制作されたなら、作品としてとても幸福なことだろう。ただのBLモノで楽しんだ観客もいてもいい。でもそれにしてはこの映画は胸がチクチクし過ぎる。深い闇と、それを浄化しようとする力が、この映画には潜んでいるみたいだ。
生きるには無知なる世間はあまりに厳しく、知性ある者は他者にやさしい。
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