『ケナは韓国が嫌いで』 幸せの青い鳥はどこ?
日本と韓国は似ているところが多い。反目しているような印象は、歴史とか政治とか、それに便乗したレイシストの影響が大きい。どちらの国でも若い人たちの方がお互いのカルチャーにリスペクトがあり、影響し合いながら上手に楽しんでいる。東アジア人同士、遺伝子だって近い。それでも似ているようでいて異なるところもたくさんある。韓国では日本をモデルにして、追いつけ追い越せの勢いで経済を伸ばしてきた。韓国は日本を自国より少し進んでいる国のように捉えてくれていたようだけど、この20年で状況は逆転してしまったように思える。
それは国をあげて映画や音楽の産業を伸ばしたことも大きい。それこそその成果としては、ポン•ジュノ監督の『パラサイト』が、韓国語で制作されているにも関わらずアメリカのアカデミー賞を受賞したり、BTSが世界的にヒットしたり、配信では『イカゲーム』の大ヒットなども記憶に新しい。とにかく爆発的ヒットの代表作をどんどん生み出している。日本はもともと世界でもサブカルチャー産業は強かったけれど、ここまで世界を一世風靡するような作品は誕生していない。それに韓国の大ヒット算出は計算して成し遂げた能動的なもの、日本のサブカルチャーは、頑張っていれば海外の誰かが見つけてくれて評価してくれると、他力本願に期待しているような受動的なもの。
韓国と日本は、サブカルチャー状況だけでなく、社会状況も似ている。あまりに上昇志向が行きすぎたために、韓国の社会問題として、激しい格差社会となってしまった。見栄や肩書きが価値基準となり、高学歴と高収入が問われる世の中となる。でもこれは20年くらい前には日本もほとんどの人がこれと同じ価値観だった。今の日本ではミニマリズムや断捨離、古民家ブームなど、いかにお金をかけずに幸福感を探究していくかにセンスを問われるようになってきた。要するに物質主義はダサいということ。
韓国には「スプーン階級論」というものがある。「金のスプーン」が超富裕層を揶揄する言葉で、「銀のスプーン」「銅のスプーン」と順位が下がってくるにつれて、その家の収入も下がってくる。映画『ケナは韓国が嫌いで』の主人公のケナの家は、最下層の貧困状態にあたる「土のスプーン」にあたる。日本でいう「親ガチャ」の概念に近い。
『ケナは韓国が嫌いで』というこの映画のタイトルがものすごく興味をそそる。韓国社会の生きづらさに正面からメスを入れる。なんでもこの映画のチャン•ゴンジェ監督は、「韓国の是枝裕和」と呼ばれているとか。日本人としては、自国の監督を冠にしてもらえるのは、なんだか誇らしい。案外自国の良さは住んでいる人にはわからないもの。韓国の日本へのリスペクトを感じる。「韓国の是枝裕和」と、キャッチコピーの通り、チャン•ゴンジェ監督の作風は、是枝裕和監督に影響された淡々とした社会風刺の視点がある。誠実に社会問題と向き合っていく。この映画の主人公ケナの視点に立って、社会の生きづらさにやるせない気分にさせてくれる。
ケナは貧しい家に育ちながら、大手企業で働いている。同僚の恋人とは、もうすぐ結婚の秒読み段階に来ている。側から見れば順風満帆の成り上がりの人生。よく頑張ったと他人は羨むことだろう。でもケナは違和感を覚えてしまった。勤めている会社のナアナアな関連会社とのやりとり、どう足掻いても埋めることのできない恋人との育ちの違い。そこにいるだけでアウェイな感じ。同僚や上司、恋人からすれば、「ケナはどうして怒っているのだろう?」という感じ。でもケナからすれば、そこにいるだけで自分の育ちの貧しさを責められて、見下されているように思えてしまう。被害妄想と言われてしまうと、ケナの孤独感や疎外感はいっそう深まっていく。もうここにはいられない。
周りからすれば、ケナはいい会社に勤めて高給も取っている。充分成功しているようにしか見えない。それでもケナの母は、「うちにもっとお金があれば、塾に通わせられた。もっといい大学にも行かせられたのに」と嘆きの恨み節を語る。なんとなく自分は失敗しているのではと、自己肯定感はどんどん下がっていく。そもそもこの母親の価値観からズレているのは、そこの社会に属していない日本人だからこそ、客観的に気付けるところ。
塾に行ったからといって、必ずしも成績が良くなるとは限らない。塾に行ったから、いい大学に行けるとも思えない。いい大学に行く子は、もともと勉強が好きだったり得意だったりする。塾に行かないでいい大学に受かる人なんて大勢いる。「塾へ行かなければ、進学できない」という信仰は、塾を経営する会社の宣伝の売り文句を鵜呑みにしてしまっているだけのこと。塾へ通っても、勉強をしない子はまったくしない。それこそ塾代をドブに捨てているようなもの。「塾へ行って、ここの苦手ポイントをなんとかする」みたいな具体的な戦略がなければ、塾へ通ってもあまり役に立つとは思えない。みんながやっているからやらなければならない。同調圧力。それこそ、「塾へ通わせる」という、やってる感で満足しているだけになる。
しかし、たとえそういったズレたポイントで散財したとしても、本人が満足ならば、それはそれで正しいお金の使い方なのだろう。念願のいい大学に受かって、大手企業に就職できれば、なにもかも割り切れるはず。金のスプーンに成り上がれることは、人生最大の成功。ケナはそれに違和感を覚えたけれど、成り上がりの人生に誇りを持つ人だっている。金持ちになって、やっと抜け出せたと。
そもそも大手企業に入社できたら幸せなのか。大手企業でも中身はブラックの企業なんてたくさんある。表向きは社員のためと、たくさんの制度をつくっているが、内情は社員から搾取するシステムが上手にできているような企業もある。そんな会社に入ってしまったら、そこから抜け出せなくなる。制度ブラック企業なんて言葉もある。
日本でも近年は格差がどんどん進んできている。貧困を研究取材した本を読んだことがある。一番辛そうなところは、シングルマザー家庭や、昇給や昇進の人参をぶら下げられて働く中間層の人たち。借金をして働きながら通学する苦学生もきつい。むしろ生活保護受給者たちが集まる貧民街の人たちの方が、生活は貧しいけれど、幸せそうに暮らしているように見えるという。しがらみから逃れて、自分の身の丈に合った生活をしている方が気楽なのかも知れない。貧しさを認めて受け入れた方が幸せなんて、なんとも皮肉な話。
そういえば昔の日本がつくった身分制度の「士農工商症」というのがあるが、その身分制度の最下位に「えたひにん」というのがある。これは今では充分差別用語となっている。当時のメジャリティにあたる「士農工商」の人々の暮らしは、中間層にも関わらず苦しいものだった。時の為政者が、メジャリティより下のヒエラルキーをつくることで、「士農工商」の人たちに「まだ下がいる」と安心させ、不満が上がってこないようにするものだったとか。差別対象の最下層の人たちの方が、意外と生活が安定していたとの説もある。シビリアンコントロールがうまくいった例だろう。だから現代でも、正社員だから安泰と語る人は信用できない。正社員とひとことで言っても、会社によっていろんな待遇があるのも事実。これをしたから安心ということはどこにもない。もうそうなったら、とりあえずやって試してみる、飛び込んでみなければ自分に合っているかどうかわからない。行動してみて、違和感があるところを見つけたら補正しながらアップデートし続けるしかない。自分の人生は自分自身で考えてカスタムメイドしていく。一般論はあくまで参考、自分で考える。それを面倒だからと怠ってしまうと、社会に踊らされる。しなくていい苦労はそこにある。
映画を観ていればわかるのだが、ケナは相当な才女ということ。優秀な成績を取り、自分で考えることができる。考えることができるからこそ、ハマってしまう深い沼。もしかしたらケナは優しすぎるのかもしれない。自分の出自がどうであろうと、単純に割り切ることはできなかった。自分の家族を否定することにもなってしまうから。成り上がれる者には、サイコパスなところも必要。結局、自身の優しさから、社会に傷つけられて、そこで疲れ切ってしまうこととなる。ケナは才女だからこそ、その魅力でどこへ行ってもエリートの男性に身染められる。でも毎回同じ違和感にぶつかってしまう。どこにも居場所がなくなってしまう。
日本映画の名作『男はつらいよ』シリーズの寅さんも、俗世間の生活ができなくて、旅をしながら生きていた。寅さんは慣例的な社会性が生きづらかった。メジャリティが属す社会に馴染めないのは、寅さんもケナも似ている。ただ、ケナはその俗世間のルールに従おうと努力した。そこに大きなやるせなさがある。
ケナと一緒になりたいという富裕層の男性はたくさんいる。でもケナはそんな玉の輿に乗ることに躊躇し続ける。その流れに乗ってしまっても、それなりに幸せになれるだろう。でもやっぱり選べない。ケナが海外進出してそこで親しくなった友人の男性の方が、損得勘定なく楽しくやっていける。ここでまた、結婚することがはたして幸せなのかという問いにもなってくる。
ケナの妹は、ケナほどの才女でなかったのか、上昇気性は皆無。パッとしないけど善人そうなボーイフレンドとずっと仲良くしている。それこそ一生「土のスプーン」層にいることで構わないと思っている。それもある意味で生きる覚悟。他人がどう言おうと、自分の幸せを見つけていく。ここではないどこかを探すのも勇気がいるし、ここで生きていくことに腹を据えることも勇気が必要。
人が人生を歩む上で、自身で考えて選んだ道に、はっきりとした間違いはない。それこそ犯罪や他人を傷つけたり、倫理的におかしな行為でなければ、たいていのことには次の道が見えてくる。今いる場所にもし違和感を感じたら、とりあえずそこから距離をとってみる。違った風景が見えてきたら儲けもの。そこから見える景色から、次に進む道を探せばいい。
劇中で『さむがりやのペンギン』という絵本の引用がある。なんでも近年韓国で話題になった実在の絵本らしい。寒がりやのペンギンが、暖かい場所を求めて旅立つけれど、数々の困難にぶつかり、旅先の人たちの親切に触れていく物語。ケナはそこから逃げたようにとる人もいるかもしれない。けれどもケナは、メジャリティが選ばなかった困難な道を選んでいる。まさに誰よりも最初に海に飛び込んだ、勇敢なファーストペンギンでもある。違和感を感じたら動き出そう。そんな勇気をもらえる映画なのかもしれない。チャンスがあるなら、ここではないどこかの風景も見てみてみたい。自分探しの旅は辛いけど、結局人生なんて最期の瞬間まで自分探しを続けている旅のようなものなのだろう。
この映画のケナの喫煙シーンがどれも面白い。現代の日本では、作中の喫煙シーンはタブーのようになっている。でもこの映画の喫煙シーンはとても重要。ケナがタバコを吸っているときだけは、自分に素直になれているのかもしれない。それもまた切ない。
こういった自国の抱えている問題を世界標準のエンターテイメント作品でつくっていける韓国に、まだまだ伸びしろを感じてしまう。映画は社会を変えることはできないけれど、社会が変わるきっかけをくれたりはする。
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