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『マザー!』観客はそれほど高尚ではない?

公開日: : 最終更新日:2019/06/10 映画:マ行

ダーレン・アロノフスキー監督の『マザー!』が日本での劇場公開が中止になったのは、当時ちょっとした騒ぎになった。なんでも配給会社が「どう宣伝していいかわからない」とのことで匙を投げてしまったらしい。なんとも今の日本ビジネスを象徴する出来事だ。

映画に限らず、一つの作品に向き合うにはそれなりに時間や精神的な余裕は必要だ。めまぐるしい消費社会の現代では、芸術など無価値なものだ。分からないなら即カネにならない。ならば無用の長物。そんなところか。

天邪鬼な自分は、それほど難解な作品ならば逆に観てみたいと思った。案外それほど難しい作品ではないのだろうと予感した。自分の読解力を試してみたいという好奇心が疼く。

映画はホラーの表現を使って、妊婦が感じるパラノイアを映像表現している。ホルモンバランスが狂った妊娠期。マタニティブルー。妊婦は本人でも自分の感情がコントロールできなくて戸惑うものだ。日に日に変化していく自身の体、自分とは別の命が自身の体の中にいる。出産への不安もある。

仕事や世間の評価ばかりに興味が向いてしまって、まったく身ごもった自分へ興味のない夫や、無配慮な周囲の人々からの不信感から始まり、目に見えない家の霊の存在や、経済利益第一主義者の冷たい者たち、カルト狂信集団、戦争や紛争と、妊婦にとって不安要素が一気にイマジネーションとして炸裂していく。それらのどこまでが現実で、どこまでが妄想や幻覚なのかもわからない。その境界線は、劇中ではあえて描かない。

どんな紛争地帯でも、カルト集団のコロニー内にでも妊婦は存在する。本来子を産み育てるのには、静かで平和な場所と、暖かく見守る周囲の目が必要だ。如此く人が人らしく生まれにくい世の中であることが、この映画のメタファーの嵐が語っている。

妊婦にとってアテになりそうなものは何もない。夫や家族もダメ、社会もダメ、世界もダメ。もうダメダメ。

天使の親子像みたいな絵画やイラストをよく見かけるが、実際に赤ん坊を産み育てていくとは戦場みたいなものだ。自分は男だから出産体験は一生ないが、側から見ている限り、出産でエンジェルちゃんの絵を描いてしまえる感性は、出産を経験していない人か、ずっと過去のにそれを済ませてしまって、忘却の彼方の記憶が美化しているものではないかと、腹立たしく感じたこともあった。

ダーレン・アロノフスキー監督は、「この映画についてはあえて内容を説明しません。観客の皆さんが映画鑑賞後に議論し合って欲しい」と語っている。アメリカ公開時は、前情報をほとんど遮断して、一気に大規模公開をしたらしい。反響が大きくなることは予想していたからこそだ。問題作を自身の目で確かめなければと、話題になれば大成功。でも実際に映画を公開してみたら、不快感を抱く酷評ばかり。このあえて不快な表現にこそ意味があると、深読みをする観客が少なかったということだ。

一説にはキリスト教的解釈が符合しているらしいが、それだけに限定してしまっては陳腐だ。作品はもっと懐が深く、誤解も含めて受け入れようとしている。監督が危惧したのは、すぐ忘れてしまわれるようなホラー映画になって欲しくないということ。映画鑑賞後にトラウマになるくらいに、観客にはショックを受けて欲しかったはず。

この映画の脚本を読んだスタッフは、まずこれを書いた監督の精神状態を心配したらしい。危険思想や犯罪心理を研究する学者が、生死に関わる心の病に陥ることなどはよくある。ミイラ取りがミイラになる。それくらい危うい匂いがこの映画にはある。狂気を描く作家というものは、真の狂人か、心優しき賢者かに極端に分かれる。

この『マザー!』は、とても芸術的なホラー映画だ。社会風刺や精神の神秘にも触れている。でも観客はそこまで深いものを期待していないということがハッキリした。「ホラーなんだから恐けりゃいいじゃん」という観客が圧倒的多数だったのだろう。

自分は人と映画を観るときの楽しみは、その映画について鑑賞後に感想を言い合うところにあると思う。でもなんだか多くの「映画ファン」は、これまでに観てきた作品の本数や、映画のうんちく話に花が咲いてしまいがち。それはそれで楽しいのだけれど、情報を確認しあうだけだとやっぱりちと虚しい。もし拙い言葉でも、その人らしい感想が聞けたなら、たかが映画の会話でも有意義に思えてしまう。映画の感想すら、人は自分の意見を言わない。いや、そこまで考えないから言えないのかな?

自分の好きな表現者たちは、偏ったジャンルばかりに執われたオタクではなく、学者タイプの人ばかりだ。インプットとアウトプットが上手なのだ。モノを創るということは、己の意見を一つの作品に委ねることから始まる。

1980年代にはアートシネマが流行した。その頃ミニシアターで公開された、フラン映画社なんかの作品は、一筋縄ではいかない難解な作品が多かった。それでもそんな分からない作品を、分からないなりに楽しむ余裕が観客にもあった。配給して売り込む側にも、難解なものを紹介して挑戦する気概があった。

日々忙しく働いて、心の余裕のない現代社会。深読みさせる映画なんてみんな観たくないのだろう。考えず無関心で、流されるままに流される。でもだからこそアロノフスキーは映画『マザー!』をつくった。この映画に一番理解を示さなかった人々に対して、この映画がメッセージを放っているところがとても皮肉だ。

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