『斉木楠雄のΨ難』生きづらさと早口と
ネット広告でやたらと『斉木楠雄のΨ難』というアニメを推してくる。Netflix独占で新シーズンが始まる告知らしい。自分とは無関係だと思っていた。
日本のアニメって陰惨な描写や、現実逃避が行き過ぎる作品が多い。心がすさんでしまいそうなので、自分は意識して距離をとっている。それに2Dアニメって、もうかなり懐古趣味な感じすらしてしまう。そもそもタイトルの『斉木楠雄のΨ難』ってのが読めなくてめんどくさい。『さいきくすおのさいなん』と読むらしい。
自分の周りでチラホラ観た人がいて、「くだらないんだけど、面白い」との声。動画を観てみると、呆然としてしまった。
とにかく再生スピードが速すぎる。オリジナルではなくファンメイドの動画なのかと疑うが、どうやらこれでいいらしい。
全編、通常の作品の1.5倍ぐらいのスピードで進んでいく。まどろっこしい説明台詞は早々に切り上げ、わかり切った紋切型台詞には、平気で次の台詞が被る。とっととストーリーが展開してしまう。ついて来れない観客は見捨てていく演出方針。きっと通常の演出スピードだったら、くだらないだけなのかも。
声優という、声だけの俳優業という職業は、日本独特のもの。かねてより日本の声優さんは優秀だとは言われていたけど、アニメ『斉木楠雄のΨ難』ではつくづくそれを感じさせる。延々早口芝居なのに、滑舌よく聞き取りやすい発声。しかも細かい笑いの芝居は外さない。スゴイ!
福田雄一監督で、実写化もされている。こちらは普通のマンガ実写化映画のテイストなので、このアニメ版の演出法が特殊なのだろう。このアニメ速さがクセになる。ありそうでなかった。ちなみにアニメ版は、第二期になると、実写版の山崎賢人さんや橋本環奈さんに表情を寄せているように感じる。
デヴィッド・フィンチャー監督の『ソーシャル・ネットワーク』でも、登場人物たちは皆早口だ。IT系の人たちは、専門分野になると早口になる。要するに特性持ちの人が多い世界の話だから、それをそのまま再現しているにすぎない。庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』も早口芝居。官僚や専門家も同じ種類の人間の集まりだから同じ演出。
何かを突き詰めた人たちは、天才的な能力を発揮しながらも、普通の人ができる当たり前のことができなくて困っていたりもする。
コアなアニメファンやサブカル好きも、同じ特性者が多いから、これくらいのスピードがちょうどいい。15秒のテレビコマーシャルで、ドラマ性が高くても理解できてしまう現代人からしてみれば、この表現もアリ。くだらないことでも、早口で深入りしなければ、その淡白さが面白みになる。
テレビアニメは、表現が水増し時間稼ぎでまどろっこしい。原作付きは、連載との兼ね合いもあって、特に展開が遅い。それを逆手にとる表現だ。
『斉木楠雄のΨ難』は、天才が持つ生きづらさをデフォルメしたコメディ。天才とナントカは紙一重なので、このアニメで描かれている人たちが一概に天才とは言い難い。
主人公の斉木楠雄は、超能力と言われる能力をすべて持って生まれた高校生。普通ならスーパーヒーローとして描かれる人材だ。でもこの作品では、超能力者が持つ弊害や生きづらさばかりが描かれていく。これでは才能ではなく障害だ。
斉木楠雄は人の心も読める。絶えず聞こえてくる周囲の人々の声に悩まされている。人とは接したくないから、関わらないように逃げ回る日々。でも相手の心の声が聞こえてしまうので、さりげなく手助けをしてしまう。特殊能力者だから目立たないようにしたい。だから適度に付き合いもいい。そうなると、本人の不本意ながら人気者になってしまう。
斉木楠雄は能力が高すぎるので、達観して冷めている。透視能力も、生き物の筋肉繊維まで見えているレベルなので、表面的な美醜にはこだわらない。心の声が聞こえる主人公なので、周りの人たちにいつもツッコミをいれている。主人公がボケずに、ツッコミに徹するのは珍しい。
主人公が絶えずツッコミを入れなくてはいけないくらいの周りの登場人物たちは、ポンコツ揃い。登場人物たちはみな個性的で、困った人たちばかりだが、基本的にはいいヤツ。目立つ人というのは、人気者にせよ嫌われ者にせよ、みな孤立しがち。皮肉なもので、斉木の存在が彼ら彼女らの支えとなり、みな卑屈な方向に向かわずにいる。
出る杭は打たれてしまうのが世の常だが、斉木楠雄の存在は、本人の意図と裏腹に、この物語の世界をまろやかにしている。
「生産性のない人間は価値がない」と、一部の政治家や起業家、シリアルキラーが口にする。経済に参加していない人は、存在理由がないと言いたいのだろう。果たしてそうなのだろうか? この愛すべき主人公・斉木楠雄は、経済的や社会的には活動していないし、彼もそれを避けている。でも彼の存在は大きい。人は存在しているだけで、重大な意味がある。
サブカル作品には、登場人物をぞんざいに扱っているものが多い。実のところ、架空の創造された人物であっても人権はある。登場人物の心情とは別に、セクシャルな描写があったりすると心がすさむ。架空の人物だから何をしてもいいものではない。物語の登場人物にも尊厳があるのだ。
『斉木楠雄のΨ難』は、サブカル臭プンプンの中にも、登場人物たちに対する敬意を感じる。テイストは意地悪なんだけど、本質は優しい。
陰湿なイジメ的表現を「笑い」と勘違いしてはいけない。質の悪い「笑い」に慣れてしまうと、倫理観もズレて不幸になる。幸せな人生を送るためのユーモアは、常に個々が模索するもの。でもどうやら、意地悪なセンスはユーモアに属するらしい。批判したりされたりする緊張感も人間関係には必要だ。
サブカル好きの人なら、この作品の登場人物の誰かに共感してしまう。一人ひとりが「こういう人いるいる」と思わせつつ、大袈裟にデフォルメされて、明るく笑わせてくれる。
楽しい登場人物たちを語り出したらキリがない。登場人物のネーミングの語源は、超能力にまつわるもの。自分としては海藤瞬というキャラクターにめちゃくちゃ共感。自分だけの妄想の世界に生きてる永遠の中二病だ。
照橋心美というヒロインもいい。学校イチの美少女なんだけど、その表現がいつもオーラみたいに光ってる。夜でも光ってるから蛍みたい。こりゃあ日々生きてるだけで神経つかう。美少女の表現も、萌えっぽくなく意地悪なところがいい。
実際に美男美女って、他の人より光って見えるもの。で、心美さん、美少女で人気者なのを自覚していて、そのポジションを演じ切るためにとてつもない努力をしている。これは生きづらそうで大変だ。それを斉木は知っている。斉木からしてみれば、美少女も筋肉繊維の塊でしかないので、心は動かない。自分に興味を示さない斉木に、心惹かれていく心美の動機もゆがんでる。人気者も実のところ、誰にも本音で話ができない、孤立してしまう存在。
斉木楠雄を中心に集まってきたメンバーは、誰もが生きづらさを抱えた人物ばかり。斉木がキーパーソンになって、本来なら友達になるはずがない人たちが仲良くなってしまう。
このコロナ禍で、ソーシャルディスタンスが意識され始めた。人と人とは、ある程度距離をとりあっていた方が、意外と円滑に付き合える。
相手と距離を保ちながらも尊重し合うという人間関係は、今後のより良い社会づくりの手本にしてもいいかもしれない。人付き合いはわずらわしい。でも人はひとりでは生きていけないし、ひとりの世界に閉じこもっては自滅してしまう。人間関係は適度な距離感が必要だ。
コメディアニメで笑いながらも、未来の人間関係のあり方を模索してしまうのは、ちとクソ真面目なのかもしれないけれど。
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