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『新幹線大爆破(Netflix)』 企業がつくる虚構と現実

公開日: : アニメ, 映画:サ行, 配信

公開前から話題になっていたNetflixの『新幹線大爆破』。自分もNetflixに加入しているので、時間だけ確保できればいつでもこの作品は観れる。日本映画にしては音響がすごいと噂されていたので、ちゃんとした環境で挑みたい。サブスクの便利さは、ボタンひとつで映画が観れてしまうところ。作品が公開されて直ぐ、ちょっとだけ観てみようと、確認のつもりでプレイボタンを押す。映画を鑑賞する覚悟はまだできていない。ふと気がつけば再生開始から40分が過ぎていた。リビングで家族がいろいろ作業をしているまっただなか。映画を鑑賞するには、とてもではないが整った環境とはいえない。そんな悪環境でも観れてしまう映画。雑音も凌駕してしてしまう勢いが『新幹線大爆破』にはある。映画再生を始めてしまえば、もう止められない。最初っから走りっぱなしの、ハリウッド映画ばりのアクション展開。そりゃあSNSも面白いと騒ぐだろう。

この作品『新幹線大爆破』の原作は1975年の同名日本映画。当時のオールスターキャストの豪華仕様。今回の作品は、日本映画がまだスケールのデカいことができた時代の原作をもとにしながら、1980〜1990年代のハリウッド映画のテイストも踏襲している。ブロックバスターと呼ばれる、量産的大作ハリウッド映画の雰囲気。高度成長期時代の日本映画と、ハリウッド映画が大人気だった時代のオマージュで作中は溢れている。とにかく景気の良さそうなエンターテイメント作品。そもそもオリジナルの『新幹線大爆破』は、キアヌ・リーブス主演のヤン・デ・ボン監督の『スピード』の元ネタとしても有名。日本映画とハリウッド映画の全盛期の雰囲気を良いとこ取り。

ハリウッド映画を映画館で観るとき、自分は結構リラックスしていられる。これらの映画は、たいてい大きな音で、激しい展開のものばかりなので、多少劇場が落ち着きがなくてもあまり気にならない。むしろ大勢でワイワイしながら観る楽しさもある。もともとうるさい映画なので、ノイズにも寛大になれてしまう。今回、ざわついた部屋でもこの映画が楽しめたのは、そんな気軽なエンターテイメントの流れをきちんと汲んでいるからだろう。これがいろいろと考えさせられるような作品だったら、鑑賞中もっとナーバスになっていたことだろう。そもそも家族が揃ったリビングのテレビを使って、自分ひとりだけで映画を観ようとは思わない。でも、もっと丁寧に観るべきだったと、ちょっともったいない気持ちにもなってしまう。いやいや『新幹線大爆破』は、これくらいラフな気持ちで挑んだ方がいい。昔のテレビドラマを観る感覚を思い出した。どれもこれも昭和の思い出。

『新幹線大爆破』は、怪獣が出てこない『シン・ゴジラ』と言っていい。説明的な部分は手早く進めて、一刻も早く事件を起こしたい。観客もそれくらいのスピードで設定を紹介してもらわないと、まどろっこしくて飽きてしまう。最低限観客に知らせておかなければならない情報をまとめる力技も心地よい。

そういえばこの映画の樋口真嗣監督は、『進撃の巨人』の実写版監督という汚名がある。ホントか嘘か謎の逸話を聞いたことがある。『進撃の巨人』の実写化の企画がでたとき、原作が作品の構想の始めの方だったので、作者たちがネタバレ回避のために、当たり障りのないダミーのようなプロットで、実写版の脚本をつくったとか。なんでもかんでもマンガ実写化してしまう時代。カネを出す偉い人は、人気作品にあやかって金儲けしたい。安易な企画から原作を守るために、噛ませ犬になった実写版『進撃の巨人』。そんな危うい企画にも乗っかってしまう樋口真嗣監督。そのフットワークの軽さが今回は良い方向に向いたようだ。

『シン・ゴジラ』のときは、カネを出す側とクリエイターがつくりたいものの分断が起こらないように、樋口真嗣監督はじめ庵野秀明監督と特撮監督で監督連名にして、作品を守る体制を構築した。ハリウッド映画にしても日本映画にしても、プロデューサーがつまらないことを言い出すと、作品が台無しになってしまう。特に日本映画のつまらない作品にありがちなのは、カネを出す側がクリエイターのやりたいことに文句をつけて潰してしまい、結局駄作にしてしまうことにある。今回の『新幹線大爆破』は、Netflixが制作しているから資本はアメリカ。日本映画だけど日本映画じゃない。結構クリエイターのやりたいようにやらせてもらえたのではないだろうか。そうなると言い訳ができなくなってしまう。

『新幹線大爆破』は、アクションシーンは最高だけど、ドラマが薄いという声が多い。そもそも樋口真嗣監督はオタク系の監督さんなのだから、作品にドラマ性を期待してしまうのはお門違い。本作とほぼ同じスタッフで制作された『シン・ゴジラ』やアカデミー賞を獲った山崎貴監督の『ゴジラ・マイナスワン』などに共通するオタク系監督のアニメ的実写映画。その特徴として、人物描写に深みがないということは否めない。今回はアクション映画なので、はなから人生の機微など観たいと思っていない。でもやっぱりオタク系監督も人間ドラマがつくりたい。結局そこが作品に甘ったるさを感じさせてしまう。凶悪犯人であろうが、話せばわかるような人物描写になってしてしまう。世の中怖いのは、話が通じない相手というものがあるということ。その理由はさまざまで、相手がそもそも壊れていてどうしようもない場合か、もっとも怖いのは、自分自身の価値観がズレていて、そのことに自覚がないということ。自分なりの正義に取り憑かれた人ほど凶悪なものはない。恐ろしい犯罪を犯す人は、たいてい自分が世界でいちばんかわいそうな人間だと思っている。この映画の登場人物たちはみな、自分自身を客観的に自己分析できている。だからなんとなく分かり合えてきてしまう。むしろ登場人物たちのパーソナリティは全員同じ人で、その人の肩書きや年齢、性別で分別しているような感じ。意地悪に観てしまうと、そんなアラも目立ってしまう。結局みんな良い人。性善説で作品が成り立っていく。観客もそれはそれで割り切っていた方が、映画を数倍楽しめる。

『新幹線大爆破』を観て驚いたのは、実際に新幹線に乗って動かしている乗務員の少なさ。運転手と車掌、そして副車掌とアテンダント、その4人しかいない。運転手がひとりというのも意外だった。電車は線路の上を進んでいるし、オート機能も付いている。バックアップで遠隔の管制スタッフもいるし、実質ひとりぼっちで運転しているわけではない。でも数時間走りっぱなしの新幹線の運転がたったひとりというのは、なんとも心細い。運転手はトイレとかどうしているんだろう。孤独が好きでないとできない仕事。その運転手をのんさんが演じている。昭和時代では、運転手は男性の仕事とされていたが、近年では女性運転手も多くなった。無機質な新幹線の運転席に運転手がひとり乗る。なんだかロボットを操縦する美少女キャラのアニメに見えてくる。それはオタク系の樋口真嗣監督、オタクのツボをしっかり押さえている。メカと女子という、厨二病を拗らせたおじさんが大好きな組み合わせ。男女雇用均等法の具現化でもあり、やましい歪んだテイストもある。知らないうちに清濁併せて飲まされている。

群像劇として人物を描くというよりは、状況を描いていくスタイルは、『シン・ゴジラ』と同じ。ただこの『新幹線大爆破』は、ストーリーが展開していくなか、登場人物たちがどんどん少なくなって絞られてくる。そうなると人物のパーソナリティのバリエーションの弱さがやはり気にはなってくる。性善説をもとにしているので、最初嫌な感じの人物も、後半になるにつれ愛着も湧いてくるようにつくられている。『新幹線大爆破』というタイトルだから、クライマックスには新幹線は大爆発して欲しいけれど、登場人物の誰も死んで欲しくない。これが仮に誰かが死んでしまう展開になると、いままでの明るい気持ちが一気に萎えてしまう。そういった意味でハラハラドキドキさせられる。そういえば、大団円に東京駅へ向かっていくのも『新幹線大爆破』と『シン・ゴジラ』の共通点。

この映画はJR東日本の全面的な協力のもと制作されている。日本人のリアルな日常描写には、日々利用している企業が画面にでてくることで説得力が増してくる。逆に言うと、いかに日本人の生活が、企業によってつくられているかの表れでもある。同じオタク系の新海誠監督作品などでは、どれだけ多くの協賛がつくかで、リアルな日常描写に繋げている。資本を国内に絞っていくと、映画全編が企業広告のようになってしまう。広告がつくる虚構の現実。作中でも嘘の現実がなんやらと言っているが、日本人の多くは、毎日企業がつくるサービスによって、快適な暮らしができているのも確か。その企業にひとたびトラブルが起こると、日本中の生活に悪影響を与えてしまう。『新幹線大爆破』は、フィクションではあるけれど、災害のシミュレーションでもある。この映画の事件が、どれだけ現実の自分たちの生活に地続きか、怖くもあり興味深くもある。そして、どうも日本の今の政治は、いざというとき頼りにならないということ。他力本願で頼っていてはいけない。政治の問題は、選挙にちゃんと行けば、いつかはひらけてくる。誰かに頼るのではなく、自分たちでなんとかする。ある意味、新幹線大爆破を阻止できるのが政治の力だったら、つまらな過ぎてエンターテイメントにならない。政治は大事だけれど、今の日本ではそれを期待している人はほとんどいない。企業が絡むエンターテイメントというのは、なんとなく政治的になってくるので、その矛盾でモヤモヤしてくる。そこはもうちょっとさっぱり娯楽として楽しみたい。だから映画業界で元気があるのは、インディペンデント系なのかも。しがらみや忖度がない制作環境。本来のエンターテイメントは、権力に縛られていない自由な表現が最大の魅力。権力が絡むエンターテイメントには、無意識のうちに違和感を覚えさせられてしまう。

自分にとって新幹線といえば、小さいときに見た白くて前面が丸っこい車体のもの。それこそ1975年版の『新幹線大爆破』の形が新幹線のイメージ。ある意味それ以降、新幹線がカッコよく描写されている作品がなかったからか、その大昔のイメージのまま数十年が過ぎてしまった。今回のNetflix版『新幹線大爆破』では、現在の新幹線がめちゃくちゃカッコよく描かれている。鉄道ファンでもない自分でさえ、胸踊る場面がたくさんある。小学生の男の子なら、この映画を観て、将来鉄道に関わる仕事に就きたいと思うかもしれない。もういろいろ手の内で踊らされてしまう。

そういえば、この映画の主人公役の草彅剛さんに、自分はよく似ていると言われる。なんだか他人に見えないルックスの人がでずっぱりで、かなり照れ臭く感じていた。草彅剛さんがちょっとだけ、この作品の原作に出ていた高倉健さんを彷彿とさせる一面もあった。自分自身は高倉健さんとは似ても似つかないから、不思議なものだ。

今回のNetflix版『新幹線大爆破』を観ていると、オリジナルの1975年版も観たくなってくる。自分はシリーズものは、制作された順番通りに観ていくものと思っていたが、今回ばかりは鉄は熱いうちに打てとばかりに、新作から観てしまった。観たいものから観ていく。コンテンツが溢れる現代では、それくらい軽い気持ちで作品を観ていったほうが良さそうだ。現実逃避に気楽に入り込めるとは、便利な世の中になったものだ。虚構と現実の境界線は、どんどん見えなくなってきている。

 

 

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