『たちあがる女』 ひとりの行動が世界を変えるか?
人から勧められた映画『たちあがる女』。中年女性が平原で微笑むキービジュアルは、どんな映画なのかさっぱりわからない。自分では見つけられないタイプの映画。ほう、アイスランドの映画か。先日アイスランドのホラー映画『LAMB』を観たばかり。なにか縁のようなものを感じた。
2019年に日本公開のこの映画。恵比寿ガーデンシネマで上映していたとのこと。恵比寿ガーデンシネマは、一度閉館したのち2015年に営業再開した単館系の映画館。閉館前も再開後も思い出がある。アートシネマを中心とした上映作品ラインナップ。アートシネマと聞くと敷居が高い。芸術的な作品のラインナップというよりも、ハリウッド映画ではない世界のインディペンデント系映画の公開を請け負っている。わかりやすい映画が好まれる現代で、純粋なアートシネマが制作されるとは考えづらい。映画館館内も美術館のようで、ロビーで待っている間も落ち着く。スノビッシュな感じも否めないけど、シネコンでは味わえない雰囲気はとても好きだ。映画はただ鑑賞できればいいというものではない。どこで観たかも、作品の思い出として大事。
恵比寿にまだTSUTAYAがあったころ。恵比寿ガーデンシネマから道路を挟んだ反対側に、その店舗はひっそりと鎮座していた。店舗のベストランキングが、他の店とは別物だった。地元のTSUTAYAランキングといえば、マンガ原作の実写化メジャー日本映画か、ハリウッドのアクション映画が上位を並べていた。恵比寿のTSUTAYAはそんなことはない。ハリウッド映画以外の海外作品がトップを並べる。それはアメリカ映画にとどまらず、ヨーロッパの映画やインド映画もある。アメリカ映画といえばウディ・アレンの作品も鎮座している。恵比寿ガーデンシネマで上映した作品も多い。はたして実際のところ、恵比寿民はアートシネマばかり観ているのだろうか。スカした情報操作を邪推してしまう。ちなみにCDランキングのトップは、『私立恵比寿中学』というアイドルグループ。もしいまTSUTAYA恵比寿店があったなら、『たちあがる女』は、店内の目立つ場所に、話題作として置いてあっただろう。
映画『たちあがる女』を観始めるまでは、ゴリゴリの政治映画なのだとばかり思っていた。蓋を開けてみたらコメディだった。中年女性が巨大な電線に弓を放つ。ヘリやドローンの追跡を逃れ、荒野を走る。『ミッション・インポッシブル』や『007』みたいなアクション映画のよう。でも走って戦っているのは、体の重そうな中年のおばさん。この違和感だけで笑えてしまう。彼女はなぜこのような破壊行為をしているのか。映画は思想的な部分に触れることなく、淡々と彼女の孤独な活動を綴っていく。
過激な行為をするこの中年女性の生活は、さぞ荒んだものなのだろうと想像してしまう。映画が進んで、だんだん彼女の日常もわかってくる。普段は合唱の先生を生業としている。芸術的な豊かな生活。そんな知的な生活をしている彼女がなぜ? 彼女は独り身。もしかしたら、そのひとり暮らしの生活がこの活動へ走るきっかけになったのか。部屋にはガンジーやネルソン・マンデラの写真が飾ってある。ひとりで行動している彼女は、劇中でもほとんど喋ることはない。彼女の心情を映像表現で観客に伝えていくのは難しい。日本のマンガやアニメみたいに、独り言ですべてを説明するのは陳腐。それなら劇伴で代弁する。しかも劇伴は生演奏。演奏者たちは主人公と同じ画面に登場して演奏する。ときには主人公の行動の後押しをする。実験的でユニークな演出。
主人公ハットラが住んでいる街に、自然破壊に影響する鉄工所ができた。街はそのおかげで雇用も生まれ、経済効果が上がった。まさに「今だけ金だけ自分だけ」の経済効果。芸術的感性が高く、センシティブなハットラはその利己的な自然破壊が許せない。自らの感受性から発露する抗議活動。
たったひとりの行動が、世界の常識を変えることもある。たとえばグレタ・トゥーンベリさんの抗議の座り込みが、彼女を世界的な活動家にさせたのは有名。当初はバカにしていた人たちも、グレタさんの言葉に耳を貸さざるを得なくなる。だからこそ世界中にアンチも多い。さてアンチとはいったいどんな存在なのか。
活動家の行動によって、不利益を得る個人や団体ならば、対抗しなければならないのは理解できる。SNSなどでアンチ活動をする人は、一般人の男性が多い。これはミソジニストの女性蔑視と、単純に言いきっていいのだろうか。なんだか腑に落ちない。もしかしたら女性の活動家に対する、歪んだ憧れの表われなのかもしれない。世の中自分と考えが合わない人なんてごまんといる。その一人ひとりに文句を言っていたらキリがない。通常の思考ならば、考えの合わない人とは距離をとる。それをわざわざ自ら首を突っ込んでいく。場合によっては名誉毀損などで訴えられたりもする。アンチ活動をしている人こそが、女性活動家と同じ意見だったりするのではないか。だったら、かなり危険で歪んだファン活動。好きな人から率先して嫌われにいく行為。すっかり病んでいる。
この『たちあがる女』では、さすがにアンチは登場しない。「頭のおかしいヤツがやっている」と、他人事として笑うものはいるけれど、なんとなく世論は彼女の抗議活動を受け入れている。声明文のビラを配れば、みんなが拾ってSNSで拡散する。もちろん面白半分の人も多いだろうが、多くの人の関心事であるのは間違いない。メディアは力の大きなものの味方。この抗議活動の影響で、一般労働者の賃金値下げが起こると煽る。企業が敵とするものを、一般の人にも同じ敵として見てもらおうとする。もちろんハットラがしていることは、破壊行為なので犯罪。警察に追われる身。だからこそ一般人は、個々で考えて、この事象を捉えていかなければならない。この映画が他人事のファンタジーとは笑っていられない。
ハットラは今の職業や生活はどうでもいいのだろうか。正義の大義のためなら、自ら犠牲になる覚悟。確かに彼女の活動は、多くの人に、ものごとを考えるきっかけをつくっている。しかし個人の人生の視点からすると、見返りがなさすぎる。
ある日彼女のもとに、幼い少女の里親にならないかと誘いの手紙が届く。ウクライナの戦災孤児の少女。発見されたときは、亡くなった祖母の手を握っていたという。心優しいハットラは、その情報だけで泣けてきてしまう。ハットラは今まで、自然環境や他者のために身を捧げてきた。自分の人生に向き合い、自分の幸せのために生きることはしてこなかっただろう。ある意味「無敵の人」だったハットラが、無敵ではなくなっていく。
弱者や個人を攻撃するような行為は卑劣だ。不満があるなら、上にモノを言っていかなければものごとは変わらない。実のところ、そうでないと、いちばん従順な者から先に倒れていく。もちろん選挙には必ず行く。それが一般市民の政治参加。それでも弱者が踏み躙られたなら、デモや抗議活動が増えてくるだろう。しかし暴力的な展開は怖い。映画はハットラの思想に共感するわけでも批判するわけでもない。そこが知的。
そんななかEテレの『100分de名著』で、ジーン・シャープの特集が組まれていた。非暴力で権力と対抗する方法のすすめ。なんでもズル休みをするのも抗議活動につながるとか。一石を投じることの重要性と、その方法の多様性。カジュアルな反抗。ジーン・シャープを学べば、この混沌とした社会もにも、もしかしたら希望の活路が見えてくるかもしれない。
『たちあがる女』は、セリフでものごとを語ることを極端に避けている。政治的な内容で言葉が多くなると、論破されているみたいになってしまう。そんな映画は楽しくないことを、制作者は知っている。終盤で、言葉ではなく絵を描くことでコミュニケーションをとる場面は感動的。
映画が示唆するように、ハットラのこれからの人生もどうやら波瀾万丈のようだ。それでも前へ進んでいく。心の内面には激しいものを忍ばせつつ、穏やかな日々を過ごしていく。自分で考えて選択して生きていくのはたいへんだけれど、人生とはそういったものなのだろうとしみじみ感じる。
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