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『ダンダダン』 古いサブカルネタで新感覚の萌えアニメ?

公開日: : アニメ, 映画:タ行, , 配信, 音楽

『ダンダダン』というタイトルのマンガがあると聞いて、昭和生まれの自分は、真っ先に演歌歌手の段田男(だんだだん)さんを思い浮かべてしまった。『アンパンマン』にも似た名前のロボットが出てくる。インパクトがあって覚えやすいネーミング。でもどうやら演歌歌手のマンガではなさそうだ。もちろん作者は昔の演歌歌手の存在を知っててタイトルにしているだろう。このふざけたタイトルでコメディじゃなかったらおかしい。

『ダンダダン』のアニメでは、劇伴が牛尾憲輔さんだと知った。ならばこれは観ておかなければとなる。自分はテクノミュージックが好き。電気グルーヴのサポートメンバーである牛尾憲輔さんがやっているソロユニット・agraphの曲も好んでよく聞いている。坂本龍一さんが晩年、「自分がいま担当している劇伴の仕事の途中で、もしものことがあったときは、牛尾くんに引き継いでもらいたい」とご指名があったこともあるらしい。

坂本龍一さんの楽曲は、自分の人生でもっとも聴いている音楽のひとつ。坂本龍一さんのお墨付きをもらった牛尾憲輔さん。もう鉄板。最近でも坂本龍一さんが劇伴を担当した映画の特集上映では、牛尾憲輔さんがティーチインに招かれて作品解説をしている。自分もその講義をラジオで聞いたことがある。劇伴をされている音楽家・専門家ならではの、牛尾さんの解説はとても面白い。今期放映中の『チ。』という作品でも、牛尾憲輔さんが劇伴を担当している。なんでもそちらは原作者直々のオファーだったとか。同時期に音楽監督の作品が2つ並んでしまっている。劇伴担当者で作品を選ぶこともある。牛尾憲輔の時代はもう始まっている。

『ダンダダン』の制作スタッフは、昔のアニメファンの自分でも知っている人たちばかり。自分は『鬼滅の刃』をきっかけに、最近になって再びアニメ作品を観るようになった。なので自分が観ているのはメジャーな作品ばかり。自分が知っているスタッフが揃っているだけでも、厳選の大御所スタッフばかりが揃っているのだろう。この作品制作に力が入っているのがわかる。世界で売っていこうという心意気。製作委員会というブラックボックスの中には、きっと海外の出資者も多いだろう。

配信時代というのは便利だ。作品を観始めて、もしつまらなければ途中でやめてしまばいい。軽い気持ちでアニメ『ダンダダン』の再生ボタンを押す。オープニングのCreepy Nutsの曲がいい。というよりなにこの映像。カッコ良すぎるじゃないか。オープニングの映像だけでご飯3杯いけてしまう。もうお腹いっぱい。なんでも『ウルトラマン』のオープニングへのオマージュとか。

主人公のモモは、大の高倉健さんのファンだと言う。今の子たちが高倉健なんて知るはずもない。娘に聞いてみると案の定、実在する人物だと思っていなかった。息子も「高倉健なんて知らない」と言っていたが、待ちなさい。あなたは父と『ブラック・レイン』を観ている。あの日本へ来た、主人公のアメリカの刑事のバディになる日本人刑事こそ、高倉健さんなのですよ。息子さんはすでに、父の英才教育(?)によって、健さんを知っている。

『ダンダダン』の作中では、これみよがしに昭和のサブカルネタが散りばめられている。ぜったい今の子たちが知らない元ネタを、しれっとぶちこんでくる。このマンガの作者も、アニメ版の監督もお若いだろうに。どうしてここまで昭和サブカル愛があるのだろう。引用されるサブカル元ネタの引き出しが多すぎて、そのオタクぶりに呆然としてしまう。

自分は『ダンダダン』が面白いと思う。原作マンガも『少年ジャンプ』連載なので、メイン客層は男子に向けている。特撮やらSF、古いサブカルチャーの引用の多い『ダンダダン』。幅広い年齢層のサブカル男子に響くものはあるだろう。ふとこの作品、女性にはどう見えるのだろうと思う。作中に登場する女性キャラは、現実味がなく感情移入しづらい。男性キャラは、同性なら許せるダメっぷり。はたしてそれで女性が魅力を感じるのだろか。作中のラブコメ部分も妄想的。ここまでオタク的現実逃避要素が強いと、ハマればハマるほど心身を悪くしてしまいそう。厨二病全開。しかもかなりカッコつけてる。病的感覚を正当化できてしまいそうな力技。ただ、サブカルの魅力は、人生を狂わせてしまいそうな毒素にもある。

このアニメ版の監督を担当されている山代風我さんは、今回が初監督作品。さまざまなインタビューに応えている姿が、ベテラン監督のよう。作品が丁寧につくられているのはひと目でわかる。それでも話を聞けば、予想以上に細かい演出プランが練られている。そこそこ時間と予算が組まれていなければ、ここまでしっかりした演出が実現化できない。山代監督の過去作品への造詣の深さには関心してしまう。まるで映像作品の仙人のようだ。アニメ鑑賞後、山代監督の解説を聞いてしまうと、もう一度作品を観直したくなってしまう。かつて自分も演出の真似ごとをしていた身としては、かなりその才能と実現力に羨望してしまう。

作中に引用が多いからといって、その元ネタを知らなければ楽しめないような作品は、自分は好まない。観客がたとえ引用元ネタを知らなくとも、作品自体で楽しめなければ、その作品自体にパワーがないことになる。楽屋落ちネタに甘んじる作品は見苦しい。先人の作品のオマージュいっぱいの作風のアニメといえば、『チェンソーマン』を思い出す。なんでも『ダンダダン』の作者の龍幸伸さんは、『チェンソーマン』の作者・藤本タツキさんのアシスタントをしていて、編集担当者も同じらしい。元ネタに気づこうが気づくまいが関係ない作風は、どことなく似ている。そもそもこのスタイルは、アメリカのクエンティン・タランティーノ監督が定着させたもの。発想がオタクでも、そこへ固執しない。一般客にも響く作品づくり。その方が儲かるしね。

どんなプロジェクトでも、低い資金で良い結果が出ることはほとんどあり得ない。それはアニメやマンガの世界だけの話ではない。でもごく稀に、安かろうなのに良品が生まれたりもする。だけどそれは奇跡。商業芸術のクリエイティブの仕事で、資金が得られなかった時点で、それはすでに失敗作になることは始めから予想がつく。どれだけ資金繰りがでいて、どこにお金を使うかのセンス。それがプロデュースに求められている。

もし最初から潤沢な資金が得られていたならば、それだけで良質な作品が出来上がったようなもの。高い賃金なら、優秀なスタッフも集めやすい。日本人に多い人物像は、真面目にコツコツ仕事をこなす職人気質。ゆとりのある仕事環境があれば、ほとんどの人がいい仕事をする。ようはお金を出す側がどれだけクリエイターをみる目があって、信頼していけるかにかかっている。『ダンダダン』は、最初からケチくさいことをプロデュース側が言っていないのが想像できる。豪華なスタッフもそうだが、配役も上手くて人気のある声優さんばかり。仕事が動き出したとき、仕事以外のストレスをクリエイターたちに感じさせないようにする努力がみえる。

やっぱりこの『ダンダダン』は、音楽の使い方がめちゃくちゃ上手い。要所要所にクラシック曲も使用している。

バトルシーンでは、『ウィリアム・テル序曲』のテクノアレンジ版をかけていたりしている。自分は少年マンガのエピソードの中で、いつもバトルシーンで退屈してしまう。そもそも少年マンガでは、バトルシーンが見せ場なのに。一旦バトルに突入してしまえば、しばらく物語は先に進まない。少年マンガのバトルシーンは異常に長い。ほとんどが主人公が勝利するので、こちらには緊張感はない。早く終わってくれないかなぁと、忍耐修行に近くなってしまう。そう言った意味では、自分は少年マンガに向いていない。

『ダンダダン』のように、バトルシーンにテクノやダンスミュージックをシンクロさせてくれれば、音楽と映像にのっているうちに、バトルシーンはいつの間にか終わってしまう。むしろもっと踊っていたいくらい。映像作家で音楽が「見えている」ことは、現代では重要な感覚。エンターテイメントに音楽は欠かせない。

アクション映画のアクションシーンが苦手で、眠くなってしまうのに、どうしてアクション映画を観てしまうのだろう。人生を送っていく中では、どうやらアクション映画のような単純明快、勧善懲悪の世界観が必要なのかもしれない。世の中は複雑で、白と黒と割り切れることはそうそうない。世の中はグレーのバリエーションでほとんど成り立っている。はっきりとした正解なんてない。そしてそのグレーには、限りなく黒に近いものもあれば、白に近いものもある。その割り切れない世の中の生きづらさを、勧善懲悪な作品がバサっと白と黒に分けてくれる。せめて娯楽の世界だけでも、スパッと割り切れてほしい。勧善懲悪の王道はアクション映画に限る。そうして今日も自分はアクション映画を探してしまう。

『ダンダダン』は、怪奇現象やオカルトをメインにしたアクションもの。でもその他にも、バディものやラブコメの要素もある。少年マンガで、年頃の少年少女が共に冒険を共にしているに、ちっとも恋愛感情を抱かないのが不自然だと思っていた。かといって、少年マンガ特有の妄想世界へ陥っていくのも、かなり気色悪い。この『ダンダダン』は、その少年マンガの心の機微にもかなり心配りしている。あり得ないマンガ的妄想シチュエーションを、そのまま描いていない。実際の人間がその状況にもし遭遇したら、どんな動きをするか。不自然にならないよう、最新の演出をしている。もちろん「ありえねー」の前提のお約束で。

そこで音楽の演出。ラブコメ場面で、ソルの『魔笛の主題による変奏曲』をかけることで、安っぽいラブコメにならない演出の工夫。なんでもこの曲は、実相寺昭雄監督の古いドラマからのオマージュとのこと。その原点作品の配信はないかと探してみたが、自分が普段使っているサブスクにはその作品はみつからなかった。学園ラブコメといえば、ドタバタ大騒ぎな表現になりがち。そこをクラシックを流すことで、高尚なものとする。ラブコメの気恥ずかしさを浄化する効果となっている。

そもそも『ダンダダン』の主人公2人のパーソナリティが、本来なら出会うはずのないのが面白い。主人公の1人モモは、自称ギャルと言っている。ギャルかもしれないけど、ケンカ上等の竹を割ったような荒っぽい性格。もともと身体能力の高い人なので、ヤンキーの姉御肌と言った方が近い。もう1人の主人公・オカルンは、オカルト好きのオタクくん。ようはスクールカーストの最上位と最底辺の2人。その2人が出会うことは、現実の高校生活ではほとんどあり得ない。

オカルトや怪奇現象がきっかけで、お互いが似たもの同士だと知るのが『ダンダダン』。その状況を現実に例えるとどんなだろう? お互い顔は知っていても普段会話をすることのない生徒同士が、マイナーなライブハウスなんかでばったり出会う。お互いがおひとり様だったら、話しかけてみたくなる。「こんなマイナーなバンド、好きなの?」、「こうゆうところ、よく来るの?」、「他にどんな音楽聴くの?」 ……話題は尽きない。2人が仲が良くなっていくのは自然な流れ。その感覚に近い。これは男女とか恋愛感情以前のこと。

モモとオカルンが通っている高校は、どうやら進学校じゃないらしい。誰も真面目に勉強しているようには見えないし、いじめもある。いまどき珍しいくらい、学校の治安が悪い。ガングロメイクの友だちがいたり、モモの部屋のテレビはブラウン管製だったり、あえて時代感をぼかしているのだろう。

現実のヤンキーとオタクは、互いが互いを嫌い合う存在。ヤンキーからしてみたらオタクはキモいし、オタクからしてみたらヤンキーは怖い。実際、関わるどころか、話をするのも嫌だろう。『ダンダダン』では、現実にはあり得ないようなラブコメ場面が用意されている。でも不思議。あり得ないのに説得力がある。キャラクターの動きで強引に見せてしまう説得力。

そういえば『ダンダダン』では、日常シーンでアニメ独特の違和感がまったくしない。まるで実写のドラマを観ているかのようなスムーズさ。アニメは非現実的な描写は得意だけれど、日常的な場面は苦手なもの。それはメディアの違いで、割り切って観ていくものと思っていた。アニメで普通の会話場面が、ノーストレスで楽しいのが新鮮。アニメスタッフの動きの表現の工夫や、声優さんたちの早口の掛け合いが、違和感をなくしているのだろう。苦労が見えないようなところでの苦労が、縁の下で行われているのが感じられる。

自分は子どもの頃こそアニメを観ていたけれど、大人になってからは避けるようになっていた。でも、最近になって再びアニメを観るようになってきた。10年くらい前までは、アニメはオタクのおじさんだけが観るものだった。それが、自分の子どもが『鬼滅の刃』を観ていたので、そのアニメへの偏見がひっくり返ってしまった。一時期すべてのアニメが萌えになってしまっていた。それが『鬼滅の刃』は、黒澤明監督作品はじめ、多くの映画や文化の良いところを、気恥ずかしいほど王道に取り込んでいる。それがめちゃくちゃキマっていた。一時期アニメといえば、『エヴァンゲリオン』かスタジオジブリ作品の亜流しかないと思っていた。近年のアニメの客層は、オタクのおじさんというよりも、10代20代の若い女性がメインとなっているのも頷ける。そのメインターゲット層に向けて、作風も変わってきた。ただ『ダンダダン』は、新しいタイプの萌え作品なのかもしれない。

『ダンダダン』も『鬼滅の刃』と同じマンガ雑誌『少年ジャンプ』グループ作品なので、作品中の要素が似ている。悪の存在が、元々は悪ではなかったという展開を継承している。悪になるにも理由があることの説明。こんな理不尽な人生ならば、悪鬼にも悪霊にもなれてしまう。『鬼滅の刃』は大正時代が舞台なので、悲惨な人生の描写にもフィルターがかかって、ファンタジーとして観ることもできる。でも『ダンダダン』は現代劇。悪霊にならざるを得なかった魂の前世のエピソードは辛い。明日は我が身と思える怖さがある。DVとか貧困とか、被害者が女性とか、社会的弱者が悪霊となってしまっている。つくり手はそこまで意図してはいないだろうけど、これは社会問題の警鐘にも繋がっていく。けれど、あまり政治的にもなって欲しくないのも正直なところ。悲劇と喜劇を巧みの織り込んで、不謹慎にならないところが『ダンダダン』のセンスのいいところだし。

初めはモモとオカルン2人だけで事件を解決していく話かと思っていた。あまりにも2人のキャラクターを丁寧に描いていた。原作を観れば、今後仲間が増えているのがわかる。今後、1人づつ丁寧に紹介していくのだろう。アニメ版はまだまだ原作まで追いつきそうにない。今期では限界がありそう。でも待ちますよ、次のクールで楽しみにしています。良いものを観せてもらえるなら、多少は待ちますとも。でも『チェンソーマン』みたいに、いつまで経っても続編が観れないというのも待ち遠しい。これだけのクオリティでつくってしまうと、そうそう簡単には次ができないのだろうけど。

『ダンダダン』は毎話毎話、まるで別の作品を観ているかのように、切り口を変えてくる。それでも大枠は破綻しないのは、作者や監督のサブカルの引き出しの多さや、周辺環境の懐の深さあってのことだろう。現実と非現実を颯爽と行き来するアニメ『ダンダダン』。これは楽しみが増えてしまった。

 

 

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