『わたしは、ダニエル・ブレイク』 世の中をより良くするために
ケン・ローチが監督業引退宣言を撤回して発表した『わたしは、ダニエル・ブレイク』。カンヌ映画祭の最高賞パルム・ドールを受賞した。貧困層を描く本作は、衝撃的で救いがなく、やるせない。ケン・ローチの姿勢は、社会問題に対する怒りに満ち溢れている。人が人としての尊厳を失ってしまったら終わりだと。
この映画がカンヌで話題になったとき、母国のイギリスでは、「こんなの嘘っぱちだ」とか「国の恥を晒しやがって!」と右側の人たちが大騒ぎしたらしい。やっぱり本年のパルム・ドールを受賞した同じような題材の映画『万引き家族』でも、製作国の日本でまったく同じ現象が起こっている。ただこの反対意見の大半は、映画自体を未鑑賞で語られているものらしい。
すべては自己責任。臭いものには蓋をする。厄介ごとは見て見ぬ振り。表現者の姿勢はそんなものであってはならない。作品に社会批判のテーマがあるということは、その作者が社会に対してより良くなって欲しいという願いがあるからこそ。問題と対峙することは勇気のいることだし、とても建設的な態度でもある。
本来芸術家は、絶えず社会の流れを察知して、それを作品に反映させるもの。警鐘を鳴らすのも芸術家の役目だ。反骨主義や反体制派というのは、ただ天邪鬼に体制の足を引っ張って駄々をこねる存在ではなく、社会悪に対して監視の目を光らせているものだ。社会が過ごしやすく、なんら問題がなければ、芸術家の声は小さくなっていく。それこそ美しいものを新しい視点で、より美しく表現することに専念できる。
自称芸術家でいちばんダサいのは、権力に迎合してしまうこと。プロパガンダに加担して、社会悪な思想を増幅させたり、戦争へ導く手助けをしてしまうなら、もうその人は芸術家ではない。人として恥を知るべき。法華経の戒律にも、「権力者に近づくなかれ」とあるくらいだから、昔の人も感覚的に理解していたのだろう。
この映画が公開された頃自分は、藤田孝典さんの『下流老人』を読んでいた。映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』で描かれている、生活保護を必要としているのに、その権利が得られない人々の話は、日本でも他人ごとではない。
藤田孝典さんの書籍では、たとえ現役時代一千万以上の年収があったとしても、ひとたび自分やその家族が、大病や大事故に会ったなら、保障が追いつかない下流老人になってしまうという。そうならば自分も将来確実に下流老人。日本の社会保障は、世界でもかなり低い方だ。国会では、年々社会保障を手薄にしようという流れが進んでいる。
我々一般市民には、将来の不安は募るばかり。イギリスで『わたしは、ダニエル・ブレイク』が誕生して、日本で『万引き家族』がつくられたのもとても意味深い。どちらの国状も惨憺たるものなのだろうが、不幸中の幸いかな、どちらの国にも優秀な芸術家がいたということだ。
『続・下流老人』にもあるように『資本論』を唱えたマルクスは、順風満帆な人生を送って革命を起こしていたわけではない。自身は日の目を見ず、貧困の底辺を生きた。貧しさから我が子を三人もなくしているらしい。たとえ自分は救われなくとも、次の世代へと自分の意思は引き継がれ、いつかは己の志が開花すれば良いと思っていたのだろう。悲しいかな時代は変わり、世の中は新たな『資本論』が必要になってきたようだ。
たとえば日本でも、シングルマザーの人が、やれ働こうと奮起して、子どもの預け場所を探そうと行政へ行くと、「まだ働いていないので保育園は紹介できません」と言われてしまう。でも面接に行くにも、子どもの預け場所は必要。そんなこんなで時間ばかりが過ぎてしまって、生活費が底をつく。生活保護の申請を受けようとすると、「あなた働けるでしょ! 働いていないのにダメです」と突き返されてしまう。もうどうすることもできない。
この問題は10年以上前からよく聞く話だったが、最近になってさらに状況は悪くなっているように感じる。その地域の長がタカ派になると、極端に行政のルールが変わってしまう。表向きは改善とばかりに、以前は大目に見られることも、お上の鶴の一声でオールシャットアウトされてしまう。レールに乗れたなら何一つ問題はないが、ひとたびそのガイドラインから外れようなら、そこから這い上がるチャンスはほとんどない。
以前なら心ある現場の窓口の人が工夫を凝らして、困っている人たちに助力することもできたが、完全管理社会を目指す現代ならば、そんなお目こぼしはできなくなる。現場の声は通らない。結果的にみんなが苦しくなってしまう。まったく誰のための改善なのだろう?
この映画のダニエルたちのように、弱い立場の者同士で支え合って生きていくしかない社会に未来はない。世界的に右傾化が進んでいる現代社会。人が人らしく尊厳を持って生きていくにはどうしたらいいか?
まずは選挙に行ったり、選んだら選んだだけで終わりにせず、一般市民も政治を監視することが必要なのだろう。人は自身がどん底にならないと現状に気づかない。そうなる前に一人でも多くが動き出せれば、ケン・ローチ監督の描いた世界は、ディストピアのファンタジーで終わる。その方がいいことは誰だって分かることだ。
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