*

『サウルの息子』みせないことでみえてくるもの

公開日: : 最終更新日:2019/06/11 映画:サ行

カンヌ映画祭やアカデミー賞など、世界の大きな映画祭で、賞をとりまくっていたハンガリー映画『サウルの息子』。自分の周りでも評価が高く、これは観ておかなければと思っていた。

映画はアウシュビッツの強制収容所で死体処理をさせられる、ユダヤ人囚人サウルの視点で描かれる。そのユダヤ人の強制労働者の特殊部隊はゾンダーコマンドと呼ばれている。同胞の処刑場で、何百との虐殺が目の前で行われ、その死体を片付けるゾンダーコマンドも特別な存在ではなく、他のユダヤ人同様、いつ処刑されるかわからない立場。死の先送りに過ぎない。

映画はサウルが仕事の最中、自分の息子とおぼしき少年が殺される瞬間に立会う。その息子の遺体をユダヤ式の正式な埋葬をしたいと行動する。いたってシンプルな内容。

この映画の画面サイズのアスペクト比は4:3スタンダードサイズ。いまどきの作品にしては珍しい。一見ローテクの映画かとおもいきや、さにあらず。音響はサラウンドの立体音響で、処刑場の臨場感をこれでもかと演出している。画面は被写界深度が浅く、ほとんどの情報がピントのそと。主人公サウルの無表情以外は、ハッキリみえない演出をしている。

このピントの向こう側、フレームの外側にはきっと地獄絵図がある。映画はそれそのものは映さない。サウルの、いつ自分が殺されるかも知れない、閉ざされた心理状態を伝える演出技術として、ワイドフレームは情報が多すぎて邪魔だ。鬱々としていても世界は動いている。顔を上げてはならないが、音で世界を察知していなければならない。生死の境はとても薄い。

サウルが息子の埋葬に執着する姿に感情移入できないという声もあるが、そもそもサウルの心はすでに死んでいる。人の死も自分の死にも、もう関心がない。同胞がナチスに蜂起しようが、そんなことは興味がない。ただ唯一、息子を埋葬することだけに、人間らしい尊厳を求める。きっと息子の埋葬の動機は、息子のためではなく、自分自身のため。

心を閉ざして、周囲に無関心になったサウルを演じているルーリグ・ゲーザは詩人。彼自身の醸し出す知的な雰囲気が、映画に秩序をつくる。実際に壊れてしまった人間は、こんなに知性は感じさせないだろう。でも、せめて主人公の存在だけでも確かなものでないと、映画として混沌とし過ぎてしまう。狂気の主人公でありながら知性的。戦争は知的な人も狂わせてしまうという意図があったかどうかはわからない。この配役は、映画の根幹を誤読させてしまう危うさもあるが、作品としての魅力も必要。難しい選択だ。

この映画の演出技術はすごい。演出意図を伝える適材適所の技法。不要なものはすべて削ぎ落とす。ここまで計算高くハイテクだと、題材が題材なだけに不謹慎ともとれてしまう。それくらいドライ。これは戦争体験者だと、怖くてできない手法だ。監督のネメシュ・ラスローは自分と同年代。なるほどの戦争映画。

戦争映画もさまざまな視点で描かれるべき。戦争の悲惨さをそのままみせつける映画も必要。本作のように徹底的に残酷描写をみせずに状況の雰囲気を伝え、そこにいる人の呼吸だけでみせるのは斬新。実験的な映画だ。

息子の埋葬にすがる狂気の主人公の息吹を通して、心が病むとはどんな感じなのかを疑似体験させている。観客の我々ほとんどは、戦争を知らない。でもこのサウルの心境は、映画を観ていれば想像ができる。顔を上げてはいけない、センサーは鋭敏に、心は鬱。いじめられっ子やブラック会社で病んでしまった状態もこれに近いだろう。死と隣り合わせなのは同じ。映画はよその国の過去の歴史を語る記録ではなく、地続きの同じ人間の共通のイデアに語りかけてくる。

映画はずっと主人公サウルの、一人称のカメラワークで描かれる。ラスト間際、終始無表情だったサウルが、ふと人間らしい笑顔を浮かべたところで、一人称のカメラワークがサウルでない視点にリレーする。これがなにを意味しているのか、観客はその瞬間に理解する。

残酷なハイテク映画だ。

関連記事

『ジョジョ・ラビット』 長いものに巻かれてばかりいると…

「この映画好き!」と、開口一番発してしまう映画『ジョジョ・ラビット』。作品の舞台は第二次大戦

記事を読む

no image

『幸せへのキセキ』過去と対峙し未来へ生きる

  外国映画の日本での宣伝のされ方の間違ったニュアンスで、見逃してしまった名作はたく

記事を読む

no image

『ジュラシック・ワールド』スピルバーグの原点回帰へ

  映画『ジュラシック・ワールド』は、とても楽しいアトラクションムービーだった。大ヒ

記事を読む

no image

桜をみると思い出す『四月物語』

  4月、桜の季節ということと、 主演の松たか子さんが 第一子誕生ということで、

記事を読む

『スター・ウォーズ/スカイ・ウォーカーの夜明け』映画の終焉と未来

『スターウォーズ』が終わってしまった! シリーズ第1作が公開されたのは1977年。小学

記事を読む

『下妻物語』 若者向け日本映画の分岐点

台風18号は茨城を始め多くの地に甚大なる被害を与えました。被害に遭われた方々には心よりお見舞

記事を読む

『好きにならずにいられない』 自己演出の必要性

日本では珍しいアイスランド映画『好きにならずにいられない』。エルビス・プレスリーの曲のような

記事を読む

『ショーイング・アップ』 誰もが考えて生きている

アメリカ映画の「インディーズ映画の至宝」と言われているケリー・ライカート監督の『ショーイング

記事を読む

『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』 ヴィランになる事情

日本国内の映画ヒット作は、この10年ずっと国内制作の邦画ばかりがチャートに登っていた。世界の

記事を読む

『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』 特別な存在にならないという生き方

立川シネマシティ[/caption] 世界中の映画ファンの多くが楽しみにしていた『スター・ウ

記事を読む

『アバウト・タイム 愛おしい時間について』 普通に生きるという特殊能力

リチャード・カーティス監督の『アバウト・タイム』は、ときどき話

『ヒックとドラゴン(2025年)』 自分の居場所をつくる方法

アメリカのアニメスタジオ・ドリームワークス制作の『ヒックとドラ

『世にも怪奇な物語』 怪奇現象と幻覚

『世にも怪奇な物語』と聞くと、フジテレビで不定期に放送している

『大長編 タローマン 万博大爆発』 脳がバグる本気の厨二病悪夢

『タローマン』の映画を観に行ってしまった。そもそも『タローマン

『cocoon』 くだらなくてかわいくてきれいなもの

自分は電子音楽が好き。最近では牛尾憲輔さんの音楽をよく聴いてい

→もっと見る

PAGE TOP ↑