『モモ』知恵の力はディストピアも越えていく
ドイツの児童作家ミヒャエル・エンデの代表作『モモ』。今の日本にとてもあてはまる童話だ。時間泥棒たちに時間を奪われた人たちが余裕をなくしていくという物語。
気のおけない身の周りの人たちと過ごす何気ないひとときや、恋をしたり子どもと遊んだり親の介護をするのは無意味。直接利益につながる仕事こそが重要で、それ以外に時間を費やすことは許されない。子どもたちには、自分たちを相手にしてくれる大人がいなくなるが、収入が増えたので、たくさんのおもちゃがあてがわされる。そんなディストピアが描かれている。
時間泥棒が、主人公の少女モモにおもちゃを使って誘惑する。モモは「このおもちゃはステキだけど、いつか飽きちゃう」と言うと、時間泥棒は「他の種類もある。飽きたら次を集めればいい」と、際限なく続くおもちゃのバリエーションを紹介していく。もちろんモモは「そんなものいらない」と即答する。「それよりも友達と過ごす時間の方が大事だ」と。
自分が子どもの頃は、モモの選択は絶対的に正しくて、時間泥棒の誘惑に乗るなんてどうかしてると感じた。それは大人になった今でも同じ考え。
だけど現実社会は、この『モモ』で描かれているディストピアよりももっと悲惨な状況になっている。ひとたび社会に出てブラック会社の正社員になれば、社会保障というニンジンをぶら下げられて、会社から帰れない休めない状況になる。自分の人生に向き合う時間などない。コミュニティの活動も求められたら、もうボーっとする時間さえない。『モモ』の中では、人びとは忙しさの代償に収入を得たが、今の日本では「働けどはたらけど」だ。まさに奴隷。
モモに力を貸す賢者マイスター・ホラは、時間泥棒につけ込まれた人たちの顛末として、はじめに不平不満を口にすることが多くなり、やがては何も感じなくなっていく。楽しいこともなければ、笑うこともない。そして自分で何も考えられなくなってしまったら、もう戻ってくることはできないという。
その症状はまさに鬱。エンデは作中に精神疾患の姿も、ファンタジックな表現で取り込んでる。まさに今のブラック化した日本社会と同じ。作中で「この物語は過去のように話しているが、これから起こる未来の話かもしれない」と言っている。政治家が、国民から徴収した税金を私物化していても無関心でいられるのは、時間泥棒に囚われた人たちの姿と同じ感性。
政治に興味がないということは、自分の生活や人生に興味がないことと同じようなもの。それこそ政権が替われば、毎日のゴミ捨て方法が変わることだってある。政治と生活は繋がっている。世の中の仕組みを読み解く想像力。
ディストピアをくぐり抜けるのは並大抵のことじゃない。毎日イライラするし、朱に交わればなんとやらで、時間泥棒と同種に堕ちることも考えられる。そんなカタチのない邪悪なものに対抗するには「知恵」の力が必要だ。
ここで言う「知恵」は、「知識」とは違う。ものごとの真理や道理を見抜き、正しく行動できる能力だ。
児童文学の主人公は、無学ながらもその知恵の才能が豊かなものだ。モモだってそう。街の誰もがモモに話を聞いてもらいたがる。モモはなにを語る訳でもないのだが、皆それぞれ自分で答えをみつけて帰っていく。話し上手は聞き上手。モモは真の聞き上手。きっと彼女の純粋さに、相手も己の中のピュアな部分を見いだすことができるのだろう。
で、そんな能力を持つ人は空想の世界にしか存在しないかと思いきや、案外そうでもない。そこにいるだけでポジティブな雰囲気を醸し出す人も実際にいたりする。例えばそれが小学生だったとしても侮るなかれ。賢い人は子どもの頃から賢いものだ。
自分が子どもの頃は集団行動が苦手で、「みんなで何かしましょう」となったとき、「ケッ!」とか言って背を向けたものだ。大人に反発することこそ、大人への近道だと勘違いしていた。
知恵深い人は、常に自信溢れた行動をする。正しいと判断すれば、大通に直球を投げる。素直に。そして自ら率先して、みんなを励ましたり導いたりする。場の士気が上がる。そしてその成功体験は、ますますその人の自信を盤石なものとする。チャンスに出会う機会が増え、自然と周囲から認められて、偉大な存在となっていく。
もちろんそんな賢い人だって、人生では当然困難にぶつかる。知恵のある人は、それを武器にして明るく立ち向かい、乗り越えていく。そうなると青春期に大人に反発することにエネルギーを費やすなんて、実にもったいない。数年で人生観に差がついてくる。
知恵があるとは、高学歴や家柄とは関係ない。どんなに勉強ができても、不正をしてもバレないように、捕まらないように頭を働かせるのは悪知恵であって知恵ではない。また、言葉巧みにはぐらかす技術も知恵ではない。
ズルや不正をしてなにかをなし得ても、実は大きな目で見るとコスパが非常に悪い。人の道理や真理に反した行いは、それ以上のペナルティがくだされるもの。神さまがいるかどうか知らないが、悪事をする人には必ずそれなりのツケが回ってくる。もちろん逆も然り。良い行いには良き結果はついてくる。不思議だ。
知恵を持って行動すれば自信がつく。自信がつけば怒りは消える。怒りが消えれば堂々とできる。。堂々とできれば味方ができる。味方ができればチャンスも生まれる。卑屈では建設的な展開には決してならない。
振り返れば、自分もずいぶんと人生の遠回りをしてきてしまった。日常を送りながらフツフツと怒りの感情が込み上げてきたら、まだまだ知恵が足りないと見返っていこう。もし知恵の浅い人と出くわしたら、真正面から相手にせずに上手くかわしていこう。そして知恵深い人との出会いは大事にしよう。
『モモ』は、社会風刺の効いたエキサイティングなファンタジー。モモが円形劇場跡で暮らしていることや、モモの空想家の友達が、金儲けの為だけに物語を紡ぎ出す。誰もが物語の想像力を失った世界。そこには本も演劇も映画も必要とされない。
こんな世の中だから、今の日本だから、大人こそ楽しめる児童文学だ。作品を子ども時代よりさらに深く楽しめるようになるなんて、大人になるのも悪くない。
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