『鑑定士と顔のない依頼人』 人生の忘れものは少ない方がいい

映画音楽家で有名なエンニオ・モリコーネが、先日引退表明した。御歳89歳。セルジオ・レオーネやベルナルド・ベルトルッチ作品など、名匠と生まれた名曲は数知れず。共に仕事をした仲間たちも、だいぶお迎えがきた。晴れてモリコーネさんお疲れ様といったところだろう。「ただしジュゼッペ・トルナトーレ監督から依頼が来たら、それは受ける」とモリコーネは語る。
そのトルナトーレとのコンビ作で、今のところ最新作なのがこの『鑑定士と顔のない依頼人』。モリコーネとトルナトーレとの共作は多い。
古くは『ニュー・シネマ・パラダイス』。これなんかは、今では曲が一人歩きしてスタンダードナンバーになっている。音楽が良くなければ作品が成立しなかったであろう『海の上のピアニスト』なんて映画もある。トルナトーレの映像には、モリコーネの音楽は欠かせない。モリコーネ唯一のご指名監督トルナトーレ。よほど仕事がやりやすかったのだろう。
この『鑑定士と顔のない依頼人』は、モリコーネ音楽担当とはいえ、かなり控え気味だった。
自分は以前、この映画をレンタル屋で借りた。店にはDVD版はたくさん置いてあったが、ブルーレイ版は1本しかなかった。その1本のブルーレイを借りてきたら、再生不具合で観れなかった。お店の人にその旨を伝えたら、DVD版を勧められた。ブルーレイで観たかったので渋っていたら、他の作品を借りられるチケットをくれた。新作も借りられるチケットだったので、嬉々として他の作品を借りてしまった。そんなこんなで、『鑑定士と顔のない依頼人』は、観た気分になってそれきりだった。
この映画はミステリーなので、内容については未見の人には話せない。先が読めない方が楽しめる。かといって結末を知った上で、観直して確かめる楽しさもある。この映画は人に評判を聞いたので観てみた。紹介した人も、説明をほとんどしなかった。ネタバレは厳禁と思っていたのだろう。作品の主人公と共に、謎の誘惑に惹きこまれていった方が面白い。
ジェフリー・ラッシュ演じる主人公ヴァージル・オールドマンは美術鑑定士。金と名声はあるが、家族もいなければ友達もいない。人間関係は仕事を通してのものばかり。ヴァージルは、こだわりの多い偏屈な老人だ。女性が苦手なミソジニストでもある。
偏屈になる心理は、男性なら誰もが陥りやすい。こだわりがあるのは、人生にとっていい場合もあるが、チャンスを逃す弊害にもなりかねない。人生の選択を迫られるときは、大抵こだわりを捨てなければならない。人生の転機と、自分の固執との折り合いをつけることにセンスが求められる。ときとして「男のこだわり」は、前進できない人の言い訳となる。そうなると「コンプレックス」と呼んだ方がいい。
この己のコンプレックスに向き合わずに蓋をしたままにしてしまうと、中で腐ってかなりヤバイことになる。コンプレックスを隠そうとすればするほど、その人は偏屈になってしまう。外堀から守りに入る。理屈っぽくもなるし、素直じゃなくなるから人からも嫌われる。金や名声を手に入れてしまうと、もう自分だけの世界に閉じこもってしまう。
ヴァージルもそんなところか。主人公とは思えないほどイヤなヤツだったりする。守るものや隠すものが多すぎる。こりゃあ生きるのが大変だ。
「良好な人間関係は、腹六分ぐらいがちょうどいい」というのは美輪明宏さんの有名な言葉だが、仕事においては「腹二分」ぐらいがいいのかもしれない。腹六分の人間関係とは、あまり深入りしない方が、相手を嫌いにならずにすむというもの。「好き」の反意語は「嫌い」ではなく「無関心」。「好き」と「嫌い」は、同じくらいエネルギーを消耗する。
仕事においての人間関係は、そこに上下関係や利害関係があるので純粋なものじゃない。
「男は友達なんかいらない。仕事の人間関係で充分だ」なんて言ってた人の定年後の姿をみると、なんとも侘しいものだ。ヴァージルも同年代の友達がいない。立場の近い友人に、ぽろっと相談ができないと判断を誤る。
自分も歳をとってきてわかるのは、年々細かいことが気にならなくなってくるということ。若いときよりも脳の働きが鈍くなって、人生がシンプルになってくる。老人力がついてくるとはこのことかも。
歳をとって説教くさくなったり、周りの人や店員さんとかを怒鳴りつけたり、威張った態度をとったりする人がいる。ネットでレイシストに豹変するのも中年以上の年配男性。それは自信のなさの現れ。自分の人生をきちんと生きている人は、堂々としていられるものだ。若いときから自分のことは自分で考え、納得して決めていく。自分で判断した人生なら、結果がどうであれ悔やむこともあまりない。人生の忘れものは少ない方がいい。
ヴァージルは人生の忘れものが多い。金と名声はあっても、メンタルでは弱点だらけ。それでは隙を相手に悟られてしまう。自己防衛の理論武装すればするほど、それが露呈する。
この弱点だらけの主人公が、どんな誘惑に巻き込まれるか。同じ男としては厳しい展開だ。だからこそこの映画は面白い。
関連記事
-
-
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー volume 3』 創造キャラクターの人権は?
ハリウッド映画のスーパーヒーロー疲れが語られ始めて久しい。マーベルのヒーロー映画シリーズMC
-
-
『機動戦士Zガンダム劇場版』 ガンダム再ブームはここから?
以前バスで小学3~4年生の子どもたちが 大声で話していた内容が気になった。 どうせ今
-
-
『THE FIRST SLAM DUNK』 人と協調し合える自立
話題のアニメ映画『THE FIRST SLAM DUNK』をやっと観た。久しぶりに映画館での
-
-
『クレヨンしんちゃん』 子どもが怖がりながらも見てる
かつて『クレヨンしんちゃん』は 子どもにみせたくないアニメワースト1でした。 とにか
-
-
『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』 特殊能力と脳障害
いま中年に差し掛かる年代の男性なら、小学生時代ほとんどが触れていた『機動戦士ガンダム』。いま
-
-
『ファインディング・ドリー』マイノリティへの応援歌
映画はひととき、現実から逃避させてくれる夢みたいなもの。いつからか映画というエン
-
-
『美女と野獣』古きオリジナルへのリスペクトと、新たなLGBT共生社会へのエール
ディズニーアニメ版『美女と野獣』が公開されたのは1991年。今や泣く子も黙る印象のディズニーなので信
-
-
『トロールズ』これって文化的鎖国の始まり?
配信チャンネルの目玉コーナーから、うちの子どもたちが『トロールズ』を選んできた。
-
-
『ベルサイユのばら』ロックスターとしての自覚
「あ〜い〜、それは〜つよく〜」 自分が幼稚園に入るか入らないかの頃、宝塚歌劇団による『ベルサイユの
-
-
『龍の歯医者』 坂の上のエヴァ
コロナ禍緊急事態宣言中、ゴールデンウィーク中の昼間、NHK総合でアニメ『龍の歯医者』が放送さ
