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『スタンド・バイ・ミー』 現実逃避できない恐怖映画

公開日: : 映画:サ行, , 音楽

日本テレビの『金曜ロードショー』のリクエスト放映が楽しい。選ばれる作品は80〜90年代の大ヒット映画。自分のような中年には、最も多感で影響を受けやすい時期に観た作品ばかり。

当時のハリウッド映画は、ブロックバスター・ムービーと言われ、量産的に世界配給していてた。心のない映画づくりだと揶揄されていた。けれど今のハリウッド映画は、さらに映画量産のシステム化が進んで、もっと商品化されてしまった。たとえ「世界的ヒット映画」と言われても、身の回りの人が誰も観ていない「知らない映画」だったりする。話題作なんだよ、全米が泣いたんだよと、メディアの宣伝だけで勝手に一人歩きしてしまっている。

80年代から始まる、商業主義的なブロックバスタームービー・システム。それでも当時のヒット作として名を連ねる作品は、たとえ観ていなくてもタイトルだけは知っているものばかりだった。

先日の『金曜ロードショー』では、スティーブン・キング原作でロブ・ライナー監督作の『スタンド・バイ・ミー』が放送された。自分はこの映画は数十年ぶりに観る。出演しているリバー・フェニックスはじめとする四人の少年たちの役者は、自分と同世代。自分が『スタンド・バイ・ミー』を初めて観たときは、中高生だったと思うからタイムラグはある。

当時の映画『スタンド・バイ・ミー』の宣伝は、感動作のように売り出していた。主題歌に使われていたベン・E・キングの曲をはじめ、本編で使用されるオールディーズの選曲が良いと話題にもなっていた。でも当時の自分にはこの映画の魅力がどうもわからなかった。わからないわりには何度も観返している。今回の放送を観ても、ほとんどの場面を覚えていた。この映画初見の頃は自分も10代。ノスタルジックなこの映画は、いつかきっと大人になったら、感動作として理解できるのだろうと思っていた。

スティーブン・キング原作で、片田舎の小さな町に住む、生きづらさを抱えている10代の主人公たちの話といえば、真っ先に近年ヒットした『IT』を思い出す。あちらはホラーで、こちらの『スタンド・バイ・ミー』は、現実的な半自伝的な作品。なぜか『スタンド・バイ・ミー』の方が、『IT』よりも観賞後モヤモヤする。『IT』の方が残虐シーンてんこ盛りなのに。

『IT』のようなホラー作品は、絶対悪のピエロ・ペニーワイズがいてくれることで、観客にとては白黒ハッキリした勧善懲悪ものとして、観やすくなる。この悪玉から逃げて倒せば物語は完結する。観客はその暗黙のルール上で、エンターテイメント作品としてずっと観やすくなる。安心してカタルシスを迎えることができる。でも『スタンド・バイ・ミー』には、この主人公たちが抱えている敵、生きづらさに対する吐け口がいない。

四人の少年たちは、何らかの形で親から虐待を受けている。相談できる大人も存在しない。町の大人たちもみんな病んでいて、閉塞感の中で他人を見下すことで、何とか自立している。誰もがハッピーではない。この町から早く出なければいけない。

主人公ゴーディが、映画の語り部であるおじさんとなった姿。自分も中年となった今では、こちらのおじさんが同世代となってしまった。でも自分が10代の頃を思い返す過去と、ゴーディが振り返るそれは、どうも違いがあるようだ。

この映画初見の頃、わからなかったものは、わからないままでよかったらしい。『スタンド・バイ・ミー』は、昔は良かったと懐古主義の映画ではなく、子どもたちの生きづらさを描いた、社会派な問題提起作品だった。

リバー・フェニックス演じるクリスは、少年ながら立派な人。常に公正で、自分の失敗や過ちにも謝罪ができる。それでもいつも苦虫を潰したように眉間に皺を寄せ、悲しい顔をしている。リバー・フェニックスのルックスの良さもあって、スーパーヒーローにさえ見えてくる。いくら自分に正直に向き合える勇敢な人物であっても、越えられない壁がある。カッコいい人というのは、たいてい孤独で、何かと闘っている。

ゴーディとクリスは、正しく誇り高く生きていきたい気持ちで意気投合する。それでも現実はゴーディの家の方が、クリスの家よりも裕福だったのだろう。人生の明暗を分ける決定的理由が、格差の壁という現実。たとえ志が高い立派な人材でも、その正義感ゆえに早死にしかねない。社会が有能な人の将来を潰していく。やるせない現実。子どもの頃は、家庭環境に格差のある相手とも、知らず知らずに親しくなっていることもある。『スタンド・バイ・ミー』は、ホラーではないけれど、スティーブン・キングの中でも上位に上がる残酷な作品。

劇中では、現代では信じられないくらいストレートに差別やいじめが行われている。子どもたちが、泣きたいくらい生きづらい社会で生きている。誰にもそれが打ち明けられない中、二人の少年は心の闇を打ち明け合い、互いに涙を流す。心の友のように映画は語るが、こんな心理的相互治療の関係になるまで、少年たちが追い込まれていることが問題。

クリス役のリバー・フェニックスは、若くしてこの世を去った。役と似たような人生を迎えてしまったと、さんざん言われた。弟のホアキン・フェニックスは、のちに『ジョーカー』になる。『IT』のペニーワイズを彷彿とさせるピエロ。ここで強引にスティーブン・キングとの深層心理でのつながりも感じてしまう。映画『ジョーカー』も、エンターテイメントのスタイルだけど、社会風刺作品だった。

『スタンド・バイ・ミー』は、懐古主義の昔は良かったみたいな映画ではない。当時の観客で、どれくらいの人がそれを意識していたのだろう?

この映画で扱われている社会問題は、映画が公開された35年後の現在でさえ解決していない。払拭できない澱のような問題。こんな環境で育ったスティーブン・キングだからこそ、ホラー作家として心の解放をしていったのだろう。心理的復讐。ホラーは鬱屈とした思いを解き放つ鍵。

問題の解決策を見出せない『スタンド・バイ・ミー』は、永遠にモヤモヤを孕み続ける悪夢映画となってしまっている。

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