『シン・ウルトラマン』 こじらせのあとさき
『シン・ウルトラマン』がAmazon primeでの配信が始まった。自分はこの話題作を劇場で見逃している。公開当時、SNSでは連日熱い感想が行き交っていた。小さいときに『ウルトラマン』の再放送は観ていたし、ソフトビニールのフィギアや、『ウルトラマン大百科』みたいな解説本も持っていた。ビデオのない時代、一回観るか観ないかの作品について記憶が曖昧になっている。他の人が言う、過去作品との関連性も実のところ何を言っているのかよくわからない。要するに「にわか」に値する。コアなファンには、きっと発言権が与えられないであろう情弱者。
映画が公開中、電車に乗っている親子の会話が聞こえてきた。30代くらいの若いママさんが、小学校中学年くらいの娘さんに、『シン・ウルトラマン』を観に行こうと誘っている。娘さんはウルトラマンが何なのかわからない。「昔の特撮映画なんだけど、子どもから大人まで楽しめる作品に作り直されたんだって」 ママさんが解説している。「ホントにそんなの面白いの?」と怪訝なリアクションの娘さん。どうやらママさんの方が『シン・ウルトラマン』が観たいらしい。果たしてあの親子は『シン・ウルトラマン』を観に行ったのだろうか?
別の日、停留所でバスを待っている時に、またもや『シン・ウルトラマン』の話をしている親子と遭遇した。今度は、小学校高学年か中学生くらいの娘さんと中年パパさん。どうやら『シン・ウルトラマン』については、娘さんの方が詳しく、彼女の方が熱量高く語っている。主題歌を担当している米津玄師さんの話で盛り上がっている。曲のタイトル『M八七』は、ウルトラマンがやってきた星のある場所。オリジナル作品ではM78星雲からやってきた宇宙人の設定。でも企画書の段階では「M78星雲」ではなくて「M87星雲」だったとのこと。脚本の印刷の誤植で、間違って伝わって、そのままいってしまったらしい。米津玄師さんは、あえて『M八七』と曲名につけた。その話は自分も聞いたことがある。
我が家でも小学生の息子に『シン・ウルトラマン』を観ないかと打診してみたところ、芳しい返答は得られなかった。『シン・ゴジラ』は一緒に観たのに、なぜ? 学校でこの映画は話題になっていないのかと聞いてみると、米津玄師さんの主題歌は有名だけど、映画を観た子はいないとのこと。やはり大人向けの映画で、子どもたちにはあまり響いていないのか。
映画のエンディングでかかる米津玄師さんの主題歌は、確かにカッコいい。予告編で聴いたときにはさほど印象に残っていなかったけれど、映画の本編終了後にこの曲がかかると、なんだか元気が湧いてくる。日本映画のラストにだけかかる主題歌は、たいてい本編とは関係のない内容の曲が多くてシラけてしまう。大人の都合丸出しのタイアップ曲。米津玄師さんの曲は、そんなケチな発想とは無縁。『M八七』の歌詞には、ひと言もウルトラマンだとかM87だとか直接的な単語が出てこない。文学的センスがいい。米津玄師さんが他にも担当しているアニメ『チェンソーマン』の主題歌も良い。作品に合わせて、変幻自在の曲調で寄せていく。いま、主題歌をつくらせたら日本一のソングライターさんではないだろうか。自分を抑えることで、自分を出していく。自我の強いアーティストではなかなか出来ない大人の技術。子どもたちの間で人気だった『パプリカ』みたいな曲も、根幹をすぐに掴んで、訴求に沿ってつくれてしまうのだろう。
米津玄師さんは、ご自身が発達障害のASDだとカミングアウトしている。空気が読むのが苦手と言われるASD。彼の描く歌詞は、状況が掴めずにもがきながら、さらにその状況に酔いしれているようなものが多い。彼の亡くなった祖父への気持ちを歌った出世曲『Lemon』を聴いたとき、心理的余裕のなさが伝わる歌詞に危うさを感じた。同調圧力の社会の中で、どう空気を読んだらいいかわからず喘いでいる若者たちの心情が、この危うさに共感しているのだろう。息苦しい日本の状況をダイレクトに昇華した歌詞と、キャッチーな音づくりが心地いい。
NHKで初代ウルトラマンの第一話が放送されていた。レストアされて、びっくりするほど画面がキレイ。一話はウルトラマンがいかにしてそれになったかの話。今のSF知識からすると、説明的でテンポも遅い。本格的にSFドラマをやろうとしているからそうなっているところもある。果たしてどんな客層に観てもらいたくてこの作品を作ったのだろう。きっと売れるとか売れないとか関係なく、制作者たちが自分たちの作りたいものをどんどん作っていってしまったのではないか。マーケティングもへったくりもない。先に作った者勝ち。こんな企画が通ってしまうのも、高度成長期のなせる技だったのか。
『ウルトラマン』といえば、子どもたちのヒーローというイメージだが、第一話には子どもは登場しない。大人たちが怪獣の出現に動揺し、人類の味方ウルトラマンの登場に歓喜する。これを大人向けに作るとは、なんとも攻めている。オタク魂まっしぐら。これくらい無茶苦茶な企画の通し方をしなければ、新しい作品は生まれてこない。まず儲かるかどうかが先にありきの映画制作では、儲かるものも儲からなくなる。
さて庵野秀明監督の脚本と、樋口真嗣監督で制作された『シン・ウルトラマン』はどんな作品になっているのか。スタッフは『シン・ゴジラ』や『エヴァンゲリオン』とほとんど同じ。気難しいSF作品なのかと思っていたら、なんだか違和感。コメディ映画じゃないか! ゲラゲラ笑うような感じではなく、ニヤニヤさせるような笑い。映画鑑賞中ずっとニヤけていたので、普段使わない頬の筋肉が痛くなってしまった。
特に楽しかったのは山本耕史さん。外星人のメフィラスを山本耕史さんが演じてる。この映画では、宇宙人のことを外星人と呼ぶらしい。黒のスーツに身をまとった、完全なる日本人な外星人。終始ニヤニヤしていて、高みからものを見ている。嫌なヤツなんだけど、憎めない。斎藤工さん演じるウルトラマンに、ネチネチ理詰めで仲間になれと口説いてくる。その場面が異常に長い。おそらく脚本10ページ以上、メフィラスが一人語りをしている。ペラペラペラペラ持論を相手にぶつけていく。時には公園のブランコで、時にはしっぽり居酒屋で。聞かされる方は、相槌を打つ間もなく、じっと耐えて聞き続けなければならない。メフィラスの熱烈なラブコールに、時折ウルトラマンは拒絶の言葉を入れている。メフィラスが一方的に話し終わって、ウルトラマンにきっぱり断られると、さっさとおあいそ。言いたいことを存分に語り尽くして、「割り勘でいいかな」だって。勝手だね。まあ、メフィラスもウルトラマンにフラレたから傷ついてるんだろうけど。
このメフィラスの姿をみて、自分の記憶の中のトラウマエピソードを思いだす。「興味ない」って言ってるのにも関わらず、ずっと自分の趣味の話を押し付けてくる人のこと。そういう人は、自分が好きなものは万人も好きだと信じ込んでいる。最初に「興味がない」と意思表示するくらいだから、人を選ぶ類のもの。このタイプの人に捕まったら、30分以上は離してくれない。これが会うたびの儀式として常態化してしまうと、ひじょうに厳しい。その雑談に付き合わされて、仕事が滞る。趣味というものは、仕事とは棲み分けしなければいけないと実感させらた。気心知れた人以外には、プライベートは明かさない方がいい。寂しい処世術。まさに「沈黙は金なり」、私の好きな言葉です。
そういえば、長話をする人の対処法として、ある言葉を発せばいいと、テレビで美輪明宏さんが言っていた。それは「おしっこ!」。その言葉を叫べば、大抵の理詰め攻撃の呪縛から解放される。困った相手を攻撃せずに、そのひと言で撃退する。だれも傷つかない。さかしい選択だ。
住宅のCMでメフィラスの場面のパロディがある。山本耕史さんと斎藤工さん本人が出演している。表向きはひと言も『シン・ウルトラマン』には触れていない。演出がオリジナルよりねちっこい。画面づくりは、初期『ウルトラマン』の実相寺昭雄監督のオマージュ。こんなに最速で、あやしく地味なパロディが展開されているとは。気づく人だけ気づけばいいと。
『ウルトラマン』は着ぐるみのプロレスだと、今回の新作を観てあらためて思い出す。かなりシュールなショータイム。それにそもそもハリウッドのCG技術に日本映画が追いつくわけがない。映画制作者たちは、はなっからそんなところで勝負するつもりはない。昭和テイストの特撮技術で、これはこれでいいのではないかと職人芸にして開き直る。ここまで開き直られると、キッチュな画面に説得力がでてくる。
外星人に一方的な要求を求められて、オール・イエスマンで、後先考えずにすべて受諾してしまう雑な日本政府。その姿にただただ苦笑。また、長澤まさみさんの巨大化も、厨二病マインド炸裂。宇宙人と美女と怪獣とプロレス、そしてイデオロギー論。小学生が見るようなアイデアを、大人のおじさんたちが大真面目でカタチにする。本気でやってるバカバカしさにこの映画の醍醐味がある。
不思議なもので、どんなに幼稚な発想の映画でも、理詰めで説明しまくると、なんだか高尚な話のように思えてくる。ASD的思考の人は、理論的に説明したりされたりするのが大好き。どんなにめちゃくちゃなプロットでも、論理的に説明していればOKになってしまう。庵野秀明監督の脚本はそのASD的ツボをしっかり押さえている。バカバカしい厨二病の世界観を、あらかじめ理詰めで言い訳している。
作品に情報量が多いことで、観客からいくらでもミスリードを狙える。『シン・ウルトラマン』は、観る人によってまったく印象の異なる映画になっているだろう。言うなれば「頭のいいおバカ映画」。庵野秀明監督の脚本の段階で、すでに我々観客は手のひらで転がされている。みんな幼稚なおバカさんなのだけれど、それをひたすら隠す姿へのメタファー。踊る阿呆に観る阿呆。理屈に引っ張られないでみてみると、案外物事は単純だったりする。これは映画だけでなく現実も同じ。オタク映画とはいえ、一応一般観客にも向けて制作されたメジャー映画。素直な目で、自身の厨二マインドと向き合う材料にもなる。拗らせ具合のリトマス試験紙みたいな映画でもあった。
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