『うつヌケ』ゴーストの囁きに耳を傾けて
春まっさかり。日々暖かくなってきて、気持ちがいい。でもこの春先の時季になると、ひんぱんに人身事故で電車が動かなくなったり、とんでもない事件を起こす輩が出没したりする。寒暖の激しいこの時季は、うつ病などメンタルの病を抱えている人にとっては、かなりつらいらしい。人身事故や変質者出没も、メンタル系の病が起因しているのではないだろうか。長い冬が終わり夏へ向かう楽しい時季のはずが、逆に負担となるとはなんとも気の毒。だからと言ってその被害に遭うのはもっと迷惑。どうしたらいいのだろう?
同人誌界隈で知る人ぞ知る田中圭一さんの、まさかの一般書でのベストセラーとなった『うつヌケ』。自身のうつ病体験と、そこから回復への道のりを描くエピソードとともに、多くのうつぬけ経験者に取材をかさねたそれぞれ体験談を綴っている。著名人のものもある。うつの闘病は知られている人もいれば、そんなご苦労はつゆしらず「あの方もうつ病だったんだ」と意外な人もいた。芯の強そうな人でさえ、いやそれゆえ、うつ病になるのだと知る。
田中圭一さんといえば同人誌会では、どんな漫画家の画風にもあわせることができる画力の高さで有名。手塚治虫さんや藤子不二雄さん、松本零士さんや宮崎駿さんなんかも、あたかも本人が描いているのではと思わせる贋作ぶり。しかもオゲレツなシモネタばっかり。「優秀なアニメーターは、どんな画風にも合わせることができるものだ」なんて聞いたことがある。絵描きの定義も変わりつつあるから、田中圭一さんのような、本当に画力の高い作家さんはとても貴重だ。
シモネタ同人誌の作家が、うつ病を扱ったシリアスな作品でベストセラーになるなんてなんとも皮肉。いかに世の中でうつ病が蔓延しているかの表れだろう。
田中圭一さんのエピソードでは、田中さんが普段は会社員として生計を立てているのがわかる。たとえ同人誌会で有名でも、それだけで食べていくのは大変なこと。プロだけど趣味という、クリエイターが生きていく方法が垣間見えたりする。好きなことを仕事にして、夢で食っていける人生は最高だろう。でも現実はそれほどあまくない。だからと言って現実が厳しいからと、夢を諦めるのも精神衛生上ちと違う。夢と現実との折り合いへのセンスが問われる。夢に賭けて盲目的に直進するのではなく、二足のわらじでキチンと生活のセーフティーネットを保ちながら好きな仕事もする。とても大事なこと。そんなしっかりした田中圭一さんがなぜうつ病になってしまったか? そしてどうやって回復していったか? そのメカニズムを知るのはとても興味深い。
自分は、うつ病になる人はかなり我慢強いのではないかと思っている。自分もかつてハードワークで身体を壊したことがある。いつまでたっても胃腸炎が治らず、診断してもらっても結果は健康状態。医師から「なにかストレスはないですか?」と聞かれ、仕事が原因なのはピンときた。それでも半年環境を変えずにいたら突発性難聴になり、それもストレスが原因だと。会社を辞めると医師に伝えると、どの先生も嬉しそうな笑顔を浮かべていた。「これから良くなりますよ」と。
自分はストレスによる体調不良がキツ過ぎて、環境を変えざるを得なかった。おかげでそのときはうつ病にはならずにすんだ。でもうつ病にかかるのは容易いことなのだと体感した。心と身体はつながっている。心が嫌がっていることは、身体が正直に反応する。うつ病になる前に、身体が発するSOSはたくさんある。それでも突っ走ってしまう精神力には頭がさがるが、やはり健康がいちばん。心や身体が拒否反応を示していることには、素直に従った方が自身の負担も少なくてすむ。その我慢は本当に必要なものなのか? 絶えず自身に問いかける習慣は必要だろう。
とかく日本人は我慢強い国民性をもつ。それは長所でもあるが、ときによっては短所にもなる。揺るぎない目標のために、ここは耐えなければならないときもある。その目標が自身の人生において重要なものである場合は、ひとときの我慢は必要だ。でもただ闇雲に自分を殺して周囲に合わせて、つくり笑いを浮かべながら、はらわた煮えくり返っているのでは、そりゃ病気にもなる。まさにうつっぽい人は眉間にシワをよせたり、暗い瞳をしていて目が笑っていない。つらそうだ。自分も怒りっぽくなったときは、オーバーワークの疲れのサインだとチェックポイントにしている。自身がうつになるのもこわいが、これだけうつっ気のある人が多い世の中だと、そういった人たちとの対応策も知っておきたい。
何かをするとき、無性にゾワゾワっと嫌な予感がしたりすることがある。でもそれは悪事でもないし、世間体にはそれをやっていた方が評判が保てたりすることだったりする。人によってはそれをすることが生きがいだったりするのだから、とてもいいことなのだろう。ただ自分はゾワゾワする。それって単純に自分に合わないことをしようとしているだけのことなのだろう。そんなときは周りの目は一度シャットアウトし、こうあるべきという考え方も封印して、自分の心と素直に向き合う必要がある。何事もなければ、そんなゾワゾワする違和感はないはずだから。選択肢がないのは、自分を追い込むだけだ。本来ならいつでもそれを辞められるけど、やっていたいと思えるのがいちばん良いことだ。
動物的直観みたいな、理屈ではなく感覚的な能力は、便利すぎる現代人は鈍くなっただろう。『攻殻機動隊』風に言うなら「ゴーストの囁き」といったところか。その囁きを無視してしまうと、とんでもないとばっちりを受けてしまう。判断を誤ったときの代償は大きすぎる。この直観に素直に従えればきっとブラック企業なんかは、誰も働かなくなり淘汰されるだろう。社会悪の要素は世間体を気にする心にあるのかも? 誰になんと言われても、自分の心に従えることがいちばん幸せな人生づくりではないだろうか。
本書の中で書かれている言葉でなるほどというものがある。「うつは心の風邪みたいなものだと言われるが、そんなあまいものではない。うつは心のガンだ!」と。うつ病は自殺というかたちで死に直結している。
どこへ行ってもうつ病の人がいる。自分がうつ病じゃないからと言って他人ごとではいられない世の中だ。うつ病とはどんな症状なのか? うつになったら世界はどんな風に見えるのか? 体験者だからこその本書のナマの言葉がわかりやすい。
うつに関する本は数多あるが、マンガというジャンルはとてもいい。この現実逃避性が、病状の生々しさをオブラートに包んでくれる。これがリアルなものだと、読者も引いてしまってなかなか入り込めない。ミイラ取りがミイラになることもある。各自が想像力を駆使して、この困難な世の中をより良く渡っていく努力が必要だ。幸せな人生の定義は人それぞれなのだから。
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