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『イエスタデイ』 成功と選ばなかった道

公開日: : 映画:ア行, 音楽

ネットがすっかり生活に浸透した現代だからこそ、さまざまな情報に手が届いてしまう。疎遠になった若かりし日の友人知人たちの活躍も、共通の友人から伝え聞くだけでなく、どこともなく耳に入ってくる。あの頃めざしていた夢の職業に就いて活躍している姿が、ネットやテレビ、メディアの向こうから聞こえてくる。……ふと、自分は結局何者にもならずに人生を過ごしてしまったなと思ってしまう。

夢を叶えた彼ら彼女らを羨ましくも思う反面、なりたい職業に就けたことで、いろいろなものを犠牲にしてきてきたことも想像できる。振り返れば自分の人生も、何度か夢に近づくチャンスの岐路があったようにも思える。それでも選ばなかった道。夢への選択肢で自分はそこへ飛び込めなかった。ダニー・ボイルが監督した音楽映画『イエスタデイ』を観て、そんな今までの人生を思い返してしまった。

映画『イエスタデイ』は、もしビートルズが存在してなくて、主人公だけがビートルズを知っていたらの、もしもの世界の話。主人公のジャックはシンガー。ふと友人たちの前でビートルズのイエスタデイを歌ったことから奇跡は始まる。ビートルズの曲はキャッチーで多くの人に響きやすい。ジャックはあたかも自分が創作したオリジナル曲のように、ビートルズの名曲たちを紡いでいく。彼は一瞬にしてスターにのし上がる。

ビートルズが存在しない世界には、とうぜんオアシスも存在しない。でもどうやらエド・シーランはスターとして君臨しているらしい。エド・シーランが本人役で出演していることで、このファンタジーにリアリティが生まれる。エドの演技が自然。本編ではジャックとエドの歌合戦が行われるが、やっぱり歌が上手い!

エドの他にもジェームズ・コーデンも本人役で出演している。観客である我々は、ジャックというポップスターが実在の人物のように錯覚してしまう。ジャックを演じるヒメーシュ・パテルがインド系の俳優というのも現代性を感じる。

ビートルズといえば、自分の世代からしても親が聴く音楽という印象がある。自分が学生の時、ビートルズの曲は、英語や音楽の教科書に載るような古典になっていた。ジョン&ポールの描く曲は、シンプルなメロディでわかりやすい英語を使っている。劇中でジャックが歌うビートルズの楽曲は、自分でも口ずさむことができるくらい脳内に刷り込まれている。

ビートルズがなければブリットポップは今とは別物となっていた。ビートルズ不在の世界の音楽カルチャーがどうなっていたか、そのパラドックスを想像するのも楽しい。

確かにビートルズはポップスの大道を築いた。反面、実験的な楽曲も多かった。当時できることをすべてやってしまった感がある。もしシェイクスピアが居なかったら、今の劇作がどうなっていたかわからないのに似ている。

でもきっとジョンやポール、ジョージやリンゴが居なかったとしても、他の誰かが同じような文化の発見をして、レジェンドになっている可能性も否めない。初めに気づいて行動した人が成功する。世界中で天才が一握りしかいないはずはない。能力が開花発揮されるのは、タイミングが味方につくことも必須。個人の才能と世間が欲するもののマッチング。

歴史に名を残す人というのは、たいてい孤独で不幸だったりする。ある意味名声を得ることで、普遍的な人生を送ることは諦めなければならなくなる。どんなに周りからチヤホヤされても、打ち解けて話しができる身近な人が誰もいないというは寂しい。

たとえ自分に才能があったとしても、その才能を賞賛する人ばかりとは限らない。同業者からは嫉妬の感情もぶつけられるし、日々心ない批判にも晒される。成功してスターになることと、市政のありきたりな生活を送ること、果たしてどちらがホントの幸せなのだろう。

もしも世の中が景気が良くて、新しい職業もたくさん生まれてくるような社会だったら? もしかしたら意識高い系のチャレンジ精神も芽を見ることもあるかもしれない。ビジネス書が売れなくなった現代で、人は夢を見ることよりも、まず堅実に生きることを模索するようになってきた。それは人生や将来を見据えていくことでもある。足元を見つめる。どうやら今は欲をかくと失敗しそうな世の中らしい。

ジャックには彼をずっと支える女性がいる。リリー・ジェームズが演じるエリーがいたからこそ、彼は夢を見てそして目が覚める。リリー・ジェームズは『ベイビー・ドライバー』でも、音楽オタクを見守る女性の役を演じてた。パートナーが自分の夢に理解を示していることは幸せなこと。たとえその夢が叶わなかったとしても。

ビートルズの名曲たちの誕生秘話は有名で、自分もたくさん知っている。劇中ではビートルズの名曲はジャックのオリジナル作品だから、曲の誕生経緯がだいぶ違ってくる。そうなると楽曲の意味合いも変わってくる。裏話を知ろうが知るまいが曲自体は変わらないのに。なんだかジャックによって曲を冒涜されたような気分になってくるのが不思議。

ビートルズの楽曲を自作と騙って名声を得ること。著作泥棒。自分が凡才でも政治力でその界隈を渡り歩くなんてことはよくある話。でも果たして自分の心に嘘をついて夢が叶ったとしても、それがその人の本意なのだろうか。夢を見ることは生きるモチベーション。でも夢に盲信してしまうと本末転倒になる。夢は本来純粋なもの。そこへ行き着くプロセスも大事。夢を見ることが困難になった現代だからこそ、この寓話が響いてくる。

この2年に及ぶコロナ禍で、現実の世の中の常識が一変した。もしもコロナがなかったらの世界と、もしもビートルズがなかったらの世界の感覚には近しいものを感じる。なりふり構わず名声を得ようとして突っ走る時代は終わった。この潮目を通して、多くの価値観が変わっていくだろうし、変えていかなければ、さらに厳しいことになりそう。

自分は若い頃の夢は叶わなったけれど、その過程で他の道がついてきたものもなくはない。それはそれで幸せな人生なのかもしれない。今ある中で幸せをみつける工夫。はたしてジョン・レノンは今、自分の人生を振り返ってどう思っているのだろうか。

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