『否定と肯定』感情を煽るものはヤバい
製作にイギリスのBBCもクレジットされている英米合作映画『否定と肯定』。原題は『Denial』と「否定」だけのストレートなもの。邦題はちょっとマイルドに薄めた感がする。
この映画は日本のSNSも、ジャーナリストや野党政治家たちが勧めていた。フェイクニュース時代にタイムリーな作品だと。
ナチスドイツが行ったホロコーストでのユダヤ人大虐殺。それを研究している教授デボラのところに、「ホロコーストはなかった」と主張する歴史学者アーヴィングが、名誉毀損で訴えてくる。「あんたが俺を嘘つき呼ばわりしたせいで仕事がなくなった」。ユダヤ系アメリカ人女性のデボラは、「真実はひとつ。受けて立とうじゃないの!」と、法廷で争う気満々。アメリカ人がイギリスの裁判に挑むこととなる。
初めてこの映画の話題を聞いたとき、ドキュメンタリー映画なんだと思ってしまった。映画はレイチェル・ワイズがデボラを演じてる。監督はなんと、ケビン・コスナーと今は亡きホイットニー・ヒューストンの『ボディガード』を撮ったミック・ジャクソン。随分な作風の変化。
監督のエンタメ出身もあってか、歴史否定論者を扱った映画にも関わらず堅苦しくならない。スリリングな法廷劇で観やすい。もっと政治的な内容になるかと、鑑賞前は気合い入れていた。なかなかどうして、さまざまな考えを持つ者たちが、1つの目標に向かっていくチームワークのエンターテイメント作品になっている。
ホロコーストはなかったなんて、ずいぶんかっ飛んだ発想だ。いくら実話を元にしていても、きっとひと昔の話だと思っていたら、舞台は2000年。つい最近のことだし、登場人物たちは実名存命人物ばかり。なにより原作者はデボラ・リップシュタット。この映画の主人公その人だ。
監督や脚本家は、登場人物の全員にインタビューしたらしい。唯一話を聞かなかったのは、悪役のディヴィッド・アーヴィングのみ。監督たちは「裁判の結果が、彼の言葉のすべてだから聞く必要はない」とのこと。歴史否定論者に、むやみに語る場所を与えないスタンスは、この映画に出てくる弁護士たちと同じ考え。
この映画の面白いところは、裁判で相手を論破してやろうと、正面から戦う気満々のデボラに、イギリス人弁護団が、「あんたは一言も喋っちゃダメ」とブレーキかけられるところ。ホロコーストの生存者が、事実を証言したいとボランティアしてきても、弁護団は絶対にそんなことはさせないと言う。
弁護団の方針は「我々はホロコーストの被害者も守りたい」と。歴史否定論者は、自説を通すために被害者たちを侮辱するだろう。地獄を経験してきた被害者たちに、また苦しみを与えたくない。同じ土俵に立って争うのではなく、あくまで事実を積み重ね、地道に外堀から攻めていくのが、勝利への近道だと。感情論になると、相手の思う壺。勝てるものも勝てなくなってしまう。
果たして弁護団は、本当にデボラの味方なのか? 弁護団のリーダーを演じるトム・ウィルキンソンの正義の味方なのかサイコパスなのかわからない演技が秀逸。
才女が最低のオヤジ相手に、正面切って戦う様は、観ていてスカッとする。そんなハリウッド映画もたくさん観てきた。ここはイギリス。戦い方がまるで違う。
よくSNSで、著名人に絡んでくる変な人をみかける。ちょっと前までは、著名人も対応していたが、最近では無視するのが正しい対処法となってきた。偉い学者さんが、ネット上で、どこの誰かもわからないような人と本気の喧嘩をしてる姿なんて見たくない。
アーヴィングの論法は印象操作。ホロコーストのガス室の作りの記載が曖昧なところを突いてくる。「ほら説明できない。だから虐殺のためのガス室なんてなかったんだ。そもそもホロコーストなんてでっちあげだ」と飛躍する。論理はめちゃくちゃでも、感情で人は流されてしまう。「もしかしたらホロコーストはなかったんじゃないか?」って。
アーヴィングを演じるティモシー・スポールも卑怯な嫌なヤツっぷりだった。実際のアーヴィングの写真を見ると、かなり怖そう。マッチョイズムの排他主義が、顔から滲み出ている。
判決間近の裁判官の言葉が印象的。「歴史否定論者は、こうであって欲しいと思い込み過ぎて、現実を歪めて捉えているのだろう。だから本人は嘘をついているつもりなんてさらさらない」。アーヴィングがとても憐れに見える瞬間だ。
世の中に、なんで歴史否定論者や、事実を捻じ曲げて広げようとする人がいるのか、いままで動機がよくわからなかった。この裁判官の言葉でなんとなく否定論者が出てくる構造がみえてきた。ただ残酷な現実から目を逸らして、耳あたりのいい情報だけが欲しいだけなのかも。でも甘やかしてくれる言葉や、感情に訴えてくるものは詐欺師の常套句。関わったらその顛末は、惨たんたるものになる。
自分も一時的、戦争についてかなり調べたときがあった。学ぶべきは、戦時下どんな悲惨なことが起こったのか。資料の思想や出どころにこだわらず、さまざまな文献に目を通した。唯一パラっと見て閉じた本は、耳あたりのいい勇ましいことばかり綴った本だった。別に深く考えず、「読みたいのはこれじゃない」と棚に戻した。のちに知ったが、その本はベストセラーにはなれど、悪書として有名になっているものだった。耳あたりのいいものばかり選んでは、勉強にならない。
よく電車の中で、レイシズムの本を、タイトルを周りの人に見せびらかしながら読んでる中年男性がいる。あれはどんな心理なんだろう? 偏った思想の啓蒙活動をしてるつもりなのか、はたまた「自分は勉強家ですよ」ってアピールしたいのか? どちらにせよ、あんまり効果的ではないような……。
そんな偏った本の愛読者たちは、話してみると結構感じのいい人だったりするからまた迷う。ただ言葉の端々に道理のズレを感じる。いま日本は景気がいいと本気で思い込んでいる。こうなると「社会や政治のことなんてわからないわ」と言ってるおばちゃんたちと会話した方が、共感し合えて充実したひと時を過ごせる。自分自身の感覚で判断しているので、話しが早いのだ。学べば学ぶほど、愚かになる学問もあるらしい。
テレビのニュースが、国内の政治的なことをちゃんと報道しなくなったと言われ始めている。そうなるとネットや海外のニュースの方が、日本の現状をきちんと伝えているのかもしれない。かといってむやみやたらに情報収集したところで、世間にはフェイクニュースが氾濫している。何を信じたらいいだろうか?
やっぱり常日頃、自分の体や心で感じているものに素直になるのが一番。あっちではああ言ってる、でもこっちではこう言ってる。ときには真逆の意見もある。だからこそ、「誰がどう言ったか」ではなく、「自分はどう思うか」が大事。自分の感性でニュースを選ぶと、耳あたりがいいどころか、夢も希望もないような現実ばかりになってしまう。
でも悲観論者になるなかれ。あまりニュースばかりに気を取られても病気になってしまう。適度に距離を置きつつ、来るべきべきものに対して、リスクヘッジすればいい。備えあれば憂いなし。最悪の事態を想定して動いていると、大抵のことは未然に防げるものだ。だからこそ自分も、耳あたりのいい言葉より、厳しい言葉に耳を傾け、日頃から注意をするようになってきた。
ちょっとやそっとの嘘つきには騙されない力は、自分自身で育てないと身につかないものなのだろう。考えるな、感じろ!
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