『パリ、テキサス』 ダメなときはダメなとき
ヴィム・ヴェンダースの1984年の映画『パリ、テキサス』を観た。この映画を観るのは数十年ぶり。10代のときに1回だけ観ている。この映画を通してロード・ムービーという言葉を初めて知った。この映画の制作会社もロード・ムービーという名前らしいのでややこしい。主人公が旅をする映画のジャンルをそう呼ぶらしいのだが、語源はもしかしたらこの制作会社の名前から由来しているのかもしれない。ロード・ムービーというひとつのジャンルがここで確立したのだとすると、『パリ、テキサス』の影響力は大きい。
自分が初めて『パリ、テキサス』を観たのは、テレビのオンエアにて。80〜90年代頃のNHK Eテレでは、映画の放送をよく流していた。日曜日は昼と夜に1本ずつ放映していたような気がする。『パリ、テキサス』は日曜の昼にオンエアされていたように思う。NHKなのでもちろんCMの中断もなく、ノーカットで放送してくれる。なんとも贅沢。当時はまだハイビジョン放送もなく、ブラウン管の分厚いモニターでの鑑賞。当時ブラウン管のテレビは20インチ代が一般的なサイズだった。この放送を観たときは、34インチの画面で観たような記憶がある。今では34インチモニターは小さめのサイズに当たるが、当時は一般家庭ではかなり大きめのサイズ。映画の冒頭の眼前に拡がる砂漠の風景に圧倒されたのを覚えている。そしてライ・クーダーの音楽がとても心地良かったことも。
『パリ、テキサス』は、アメリカのテキサス州にある、パリという名前の土地のこと。映画はドイツとフランス合作で、ロケ地はアメリカ。英語で撮影されているけど、監督はドイツ人。劇中で交わされる英語は、さまざまな訛りがあって、多国籍感溢れる。もうインターナショナル過ぎて、自分の頭の中での世界地図がバグってしまう。
映画はハリー・ディーン・スタントン演じるトラヴィスが、砂漠を徘徊しているところを保護されるところから始まる。トラヴィスはどうやら心が壊れてしまっている。弟がトラヴィスを引き取り、彼が普通の生活をしていた環境に戻そうとする。弟夫婦は、失踪してしまったトラヴィスの息子であるハンターを実子のように育てていた。観客もとてもトラヴィスが育児ができる状態でないのはわかっている。トラヴィスはどうして蒸発してしまったのか。トラヴィスがなぜ病んでしまったのか。そもそも奥さんは何処へ行ったのか。映画は謎ばかり。この頼りない精神疾患持ちの主人公で、どうやって物語が展開していくのだろう。
自分がこの映画を観たのは子どもの頃。ここで登場する大人たちよりも、8歳のトラヴィスの息子・ハンターに感情移入しながら映画を観ていた。調べてみるとハンター役の子役は、自分と同世代。どうしても幼かったあの頃の自分とハンターとを照らし合わせて観てしまう。
ハンターからしてみると、実の父母と思っていた弟夫婦に、突然本当の父親が現れたと言われても混乱する。父がいなくなったのは、自分が小さいとき。はっきりした記憶なんてない。ヘンなおじさんが自分の父親らしいけど、だからと言って彼のことは嫌いにはなれない。今までのお父さんお母さんも好きだけど、トラヴィスのことも好き。トラヴィスが自分の奥さん、ハンターのお母さんを探しにいく旅をするなら、一緒に行かないわけがない。この変わった親子の旅が、とても不安定でワクワクさせた。派手なことが一切起こらない旅は、通常の映画的な陳腐な展開とは乖離している。子どもの頃初めてこの映画を観た時は、間延びした静かな映画だと思っていた。今観ると、表現こそは静かだけれど、スリリングなことの連続。トラヴィスもハンターも、トラヴィスの弟夫婦の気持ちも分かりやすく描かれている。登場人物たちのそれぞれの立場、どの視点で鑑賞するかによって、映画の印象が大きく変わってくる。名作と言われる理由がここにある。とにかく観客としてのいちばんの心配は、トラヴィスの精神状態。彼は今、心を病んでいる。それでも家族と触れ合ったり、旅を通しながら、トラヴィスがだんだん人間らしくなってくるのが嬉しい。
放浪癖のある人は優しい人が多い。優しそうなので誰からも好かれる。だけどセンシティブすぎて傷つきやすい。彼らは人といるだけで疲れてしまう。ふと誰も知らない場所へ行ってしまいたくなる。今回『パリ、テキサス』を観て、日本映画『男はつらいよ』の寅さんを思い出した。寅さんも人と生活するのが苦手。放浪癖のある寅さんはときどき実家に帰ってくるけれど、やっぱり傷ついてまた旅に出てしまう。
旅をする冒険もののファンタジーの定番として、主人公がホーム(故郷)から旅立つところから始まるものが多い。主人公は最初は旅に出たくない。安住の地に一生居座りたいのだけれど、何らかの事情で旅に出なくてはならなくなる。そしてたくさん冒険をしたのち、物語の最後にはやっとこさホームへ戻ってくる。王道スタイル。探し物はいちばん近くにすでにあったと気づくことで冒険譚は完結する。トラヴィスは映画の初めから旅をしている。旅の途中で、現実社会へ引き戻される。自分の家族たちと触れ合って、再生できるのかと思いきや、やはりひとりで旅立ってしまう。
寅さんも同じで、寅さんは旅をしているところから毎回始まる。ふと、ひとり旅が寂しくなって実家に戻って来ることで物語が動き始める。寅さんは困った人だけど、家族たちには愛されている。寅さんがいろんな人と交流し、恋をしたりする。でもやっぱり傷ついて、ひとりで去ってしまう。人と生きていくのが苦手な主人公。トラヴィスも似たようなタイプ。彼も多くの人に愛されているにも関わらず、それが負担となって苦しんでいる。
トラヴィスや寅さんのような主人公の物語は、ひとり旅をすることこそがホームなのだろう。人と触れ合う社会は、彼らにとってはRPGのような闘いの世界でしかない。ひきこもりは、家に閉じこもることばかりを意味しない。
ちょっぴりしか登場しないトラヴィスの奥さん。ナスターシャ・キンスキーが演じるジェーンは浮世離れした存在。まるでファンタジーのお姫様のよう。トラヴィスが語るこの夫婦の失敗は、ジェーンが感じているものとは乖離がありそう。トラヴィスは、ジェーンに会いたいと言いながらも、息子のハンターと3人で暮らすことを躊躇している。ここまで来てしまったけれど、再び家族を築く勇気がない。妻と息子から離れる理由ばかり考えている。トラヴィスの闇は深い。
そうなるとトラヴィスの次の旅は、自分の死に場所探しになってしまう。死期を悟った猫や犬が、飼い主のもとからすっと姿を消して、どこか静かな場所で死を待つような感覚。とても寂しい旅路。トラヴィスがつくって、彼自身で壊した家族。それをもういちど繋ぎ止めて、自分だけは去っていく。去られた方からすると、数十年経った今でもトラヴィスはどこかでひとり旅を続けているように思えてくる。
トラヴィス役のハリー・ディーン・スタントン。自分が小さいときから好きだったリドリー・スコット監督の『エイリアン』に出演していたことをあとで気づいた。あの猫と一緒にいた人。ハリー・ディーン・スタントン演ずる役は、エイリアンに殺されちゃったけど、猫は生き残った。そういえば実際のハリー・ディーン・スタントンも死んじゃった。時の流れは本当に残酷。
それでも監督のヴィム・ヴェンダースは健在で、新作は日本を舞台にした映画とのこと。そういえばヴェンダースの影響で、小津安二郎監督の映画も観初めた。10代の自分には小津映画の魅力などわかるはずもない。それでもあの頃、背伸びをしてみて良かったと思う。わからないものでも若いうちに触れておくのも良いことだ。視野が広がるし、頑固になりずらくなる。世界は自分の知らないことでいっぱいだ。さて、それではヴェンダースの新作公開を楽しみに待ちましょう。
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