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『コンクリート・ユートピア』 慈愛は世界を救えるか?

公開日: : 映画:カ行, 配信, 音楽

IUの曲『Love wins all』のミュージック・ビデオを観た。映画仕立てのこのMV。ディストピアSFの短編。IUとBTSのテヒョンが障害を持つカップルを演じている。2人は謎のキューブ型飛行物体に追われている。廃墟に逃げ込んで、ひとときの夢を巡らせるといった内容。映像のインパクトがありすぎて、初見のときは肝心な歌が聴こえてこないくらいだった。韓国では「国民の妹」と呼ばれる国民的アイドル・IUの映像とは思えないほど暗いMV。このビデオの演出をしたのが、『コンクリート・ユートピア』のオム・テファ監督。なんでもIU直々のオファーだとか。

そもそもIUがどれくらい韓国で人気があるのか、日本人の自分にはあまりピンときていない。IUはめちゃくちゃ歌も上手いし、かわいいし演技もできる。タレントとしては天才的な逸材。いま日本には国民的アイドルと言われる存在はいない。昔の美空ひばりさんのような人気が、韓国でのIUの人気に近いのだろうか。日本で誰もが知っている最近の国民的アイドルとして浮かぶのは、安室奈美恵さんぐらい。安室ちゃんが引退した以降からは、日本では圧倒的な国民的アイドルの不在が感じられる。

それはサブカルチャーが多岐に渡っている現れでもある。10人いたら10人が異なる趣味嗜好を持っている。だからこそ推し文化が栄えてきているのもある。みんながみんな、自分だけの推し活を楽しんでいる。各々のニーズの中のニッチな世界。メジャーという概念が弱くなってきている。それは文化の進化なのか退化なのかはよくわからない。けれど、好きなものがみんな違くて、「私はこれが好き!」と、誰もが胸を張って言える世の中というものは悪いものではない。

IUの『Love wins all』は、ファンに向けてのメッセージソングらしい。MVの2人の逃亡者は、理不尽に何かに追われている。覆面の多数に好奇の目にさらされる描写もある。抽象的な映像で、観る人にいろいろ考察させる。オム・テファ監督の長編『コンクリート・ユートピア』のファンだというIU。国民的アイドルからの直々のオファー。IUから『コンクリート・ユートピア』のような世界観のMVにして欲しいと要望をもらう。あわよくば『コンクリート・ユートピア』で使った、廃墟のセットを流用できればとのこと。すでに『コンクリート・ユートピア』のセットは解体してしまったらしいので、新たな廃墟を探すこととなる。結果、新たなロケ地での撮影となる。それで良かったと思う。『コンクリート・ユートピア』は、廃墟も登場人物みたいなもの。世界観が地続きなのはいいが、まったく同じ場所での撮影では、作品の個性が弱まってしまう。

『Love wins all』が気に入った自分は、もう『コンクリート・ユートピア』を観ないわけにはいかなくなってしまった。SNSの映画ファンのTLでは、この映画を褒めている声が多い。反して世間で話題にする人は全くいない。それに日本ではまだ公開したばかりなのに、1週間目で公開劇場縮小。シネコンでは観づらい時間に設定されていた。上映終了の告知もある。自分は早々に劇場で観ることは諦めてしまった。世間の人気がなくとも、映画ファンのハートを掴むことができる映画なら、かなり期待ができる。『コンクリート・ユートピア』は、日本では知る人ぞ知るマニアックな映画となってしまった。

『コンクリート・ユートピア』は、ディザスター・ムービー。ソウルの街が一瞬にして破壊されてしまう天変地異が起きる。奇跡的に一棟だけ無事だったマンションを舞台に、生き残った人たちの様子を描いていく。

過去にあるディザスター・ムービーでは、地上が破壊されていくスペクタクル描写や、世界の崩壊に翻弄されていく人々の群像劇が多かった。この『コンクリート・ユートピア』は、主要3人の登場人物に絞って、ディストピアな世界観を表現している。それが作品にしっかり地に足がついた演出となって、感情移入しやすい効果となっている。

主要3人の登場人物たちのそれぞれのアイデンティティーでサバイブしていく様子が、極限状態で陥る人の行動の代表のように感じられる。世界破滅の壮大なスケールで描くのではなく、その中で生きていかなければならなくなった小さな個人。どちらかと言うと『15少年漂流記』の残酷版小説『蝿の王』の印象に近い。小さな個にフォーカスを当てることで、かえって世界観に深みが生まれて、スケールが出てくる。演出の妙。

現実的にいつ大きな災害が起こっても不思議ではない現代。地震大国の日本では、大災害規模の地震がいつ発生してもおかしくない。しかもここ毎年のように、日本のあちこちで大きな災害が起こっている。災害にあったとき、充分な支援が届く可能性も低くなっている。誰も頼りにならない可能性すらある。助けが来ないなら、どうやって自活していくかが重要になってくる。何も無くなってしまったのなら、そこから新しいルールをつくっていかなければならない。

人間はどんな場所でも政治をしたがる。政治と経済と文化。そのどれもが欠けても人間らしさを失ってしまう。とかく文化は後回しにされやすい。文化は知的レベルの象徴なので、取り組める人材が少ない。力を持つ者がいちばん苦手とするところ。一番に政治、二番が経済、最後が文化。実のところ、政治を始めることが、人間的知性のいちばん低い、原始的な入口のところにある。とかく後回しにされる文化の存在。文化が回るようになって、初めて人間が人間らしく尊厳を保てるようになっていくのではないだろうか。

『コンクリート・ユートピア』のつくり手はそれを意識している。災害で無法地帯になったあと、人々はまずリーダーを立てて政治を行おうとする。ある意味すべての責任をその人に担ってもらう。生活していくためには、食料確保や排泄の心配がでてくる。実際に紙幣が無意味になった社会では、食料調達が経済へとつながっていく。雨露をしのぐ場所を持っていれば、帝国を築くことができる。自分たちにとってのユートピアを確保するためには、略奪者になってしまうことすら正当化してしまう。

結局、人は美しいものに囲まれて生きていきたい。廃墟と化した世界で、このディストピア映画が、どんな顛末になっていくのか。どう風呂敷を畳むのか。観ている時は予想がつかずにワクワクしていた。

作品を通して、悲惨な状況を悲惨なまま表現する方法もある。近年、そういった重いばかりのエンターテイメント作品も増えてきた。厳しい現実をそのまま鬱展開で描いてく。ただでさえ現実が生きづらいのに、なんでわざわざ他人のシビアな現実を追体験しなければならないのか。自分としてはエンターテイメント作品の最低条件として、つくり手のユーモアを求めてしまう。

どんな過酷な状況に陥っても、ユーモアを持っていければ、人は尊厳を保っていける。映画は皮肉たっぷりに、悲惨な状況にも笑いの要素を見つけようとしている。そうすることによって、映画がただの堅苦しい啓蒙作品にならずに、エンターテイメントとして形を成していく。

登場人物の主要3人が興味深い。極端な描かれ方をされる三者三様の姿。大災害に遭遇したら、自分ならこの3人の誰のような行動を取るかと、考えさせられる。

登場人物の1人は、イ・ビョンホン演じるコミュニティのリーダー・ヨンタク。勇敢でカリスマ性がある。いざという時、目立つ行動ができる人というのは、混沌とした集団の中で主導権を握りやすい。けれど極端な魅力がある人は、サイコパスも多い。思考停止になってしまった集団では、実際リーダーには誰がなってくれてもいい。とかく勇ましいことを言う人を選びがちになってしまう。リーダーの持つ魅力にはそれなりに副作用の理由がある。そして思考停止になった集団は、すべてをカリスマになすりつけてしまう。

もう1人はパク・ソジュンが演じるミンソン。優秀な公務員で、カリスマ性のあるヨンタクに心酔していく。優秀なミンソンがヨンタクを認めることによって、ヨンタクはさらに力をつけていく。現状把握ができない時は、流れに乗っていくことは大切。強い意志を持つ者が、その考えの善悪に関わらず主導権を持ってしまうこともある。長い物には巻かれろ。多くの観客は、ミンソンに近い行動を選ぶのではないだろうか。

そして最後の1人は、パク・ボヨン演じるミンソンの妻・ミョンファ。看護師の彼女は、自分もどうなるかわからない極限状態にも関わらず、他人を助けようとし続ける。人としてこうありたいと思わせる慈愛の人物。混沌とした世界では、弱肉強食は避けられない。その中で果たして人としての尊厳は守っていけるのだろうか。映画はとかくイ・ビョンホンとパク・ソジュンの存在を宣伝にしてしまうが、自分はこのパク・ボヨンの慈愛の人に俄然目が向いてしまった。

人は他人に優しくありたい。でもただ優しいだけでは、力のある者に利用されて、搾取ののち淘汰されてしまう。優しさの中にも強さを持つ。信念を持つ。それが慈愛。どんなに強い慈愛の心も、混沌とした世界では無力に近い。でも闘争本能だけでは、人は人ではなくなり、獣となってしまう。現実の社会でも、他人のために命を捧げて道半ばで殉じていく人の姿がときどき報道される。その人の人生はそれで終わるかもしれないが、その人が蒔いた慈愛心の種は、どこかの誰かに確実に届いていくだろう。それでもやるせない。エンターテイメントとしては、この無力な慈愛の人には、絶対に幸せになって欲しい。

この映画に登場する3人の人物が、それぞれに自分の生き方通りの顛末を迎えていくことに救いを感じる。エンターテイメントとしてのカタルシスもきちんと機能している。世界の混沌は何ひとつ解決しないままだけど、人の心のあり方は、映画が終わる頃には納得できるものとなっている。

人は見た目が9割と言われる。その見た目というのは、字義通りの見たままではないと思う。恋愛でフェロモンが強いとモテるとか言われる。人がパートナーを決める時、目に見える以外のものも感じ取っているのは確か。フェロモンと言われると、臭いを連想してしまうので、なんだか嫌だなぁと感じてしまう。でも人が誰かと人間関係を築くとき、無意識のうちに見た目以上のものも感じ取って判断しているのは確かだろう。

SNS社会となって、オフ会などでリアル空間で初めましてとなる。大概の人は予想通りの人がやってくる。でもたまに想像と全く違った人が現れて驚いたりもする。最初に現実社会で出会っていたなら、絶対に近づかないようなタイプの人だったりもする。フェロモンではないが、メディアを通してしまうと、交友関係の判断基準も鈍ってしまう。そもそもネット空間は、人が出会う場所には適切ではないのだろう。

先日突然、犬を預かることになってしまった。その犬とは初めましてだったのだけれど、とても人懐っこくて無防備。こちらの方が心配になってしまうくらいだった。飼い主さんに返すとき、「人見知りで手こずったでしょ?」と言われた。意外。すぐに仲良くなってしまった話をしたら、飼い主さんも驚いていた。犬は人間よりも鋭い感覚を持っている。瞬時に相性みたいなものを嗅ぎ分けたのかもしれない。だから人間だって無意識のうちに、人付き合いの距離感を測って生きているのは理解できる。それは理屈では解明できていない感覚。

『コンクリート・ユートピア』に出てくる3人が実際にいたら、自分は誰と意気投合できるだろうか。慈愛の人・ミョンファが、迷える夫・ミンソンを導いていく姿は感動的。物語の顛末は、バッドエンドでもハッピーエンドでもある。廃墟ばかりの映像の中で、色彩豊かな場面がラストシーンを彩る。いろいろと現実問題をシミュレートさせられる。もし大災害に遭遇したらと考えさせられながら、人生観まで考えさせられる。人は死を意識して、初めて生きることを意識する。メメントモリ。ファンタジーでは済まされないエンターテイメント作品だった。

 

 

 

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