『MINAMATA ミナマタ』 柔らかな正義
アメリカとイギリスの合作映画『MINAMATA』が日本で公開された。日本の政治が絡む社会問題が、エンターテイメント作品で描かれることは、国内の表現ではタブー。近代の話であれば尚のこと。劇中では人物や社名が実名で使用されている。これを許可した日本もかなり開けてきたのかと思えてしまう。制作国のアメリカでは、まだこの映画は公開されていない。理由は社会的意味合いではなく、主演のジョニー・デップのスキャンダルのせいらしい。
日本は海外映画の撮影招致には消極的。この映画『MINAMATA』も、日本に似た風景の他国で撮影されている。世界配給のビッグバジェット作品を撮影招致することで、その土地が経済的・技術的に潤い発展することはいままで実証されている。海外が日本の風景に興味を抱いてくれているのに、それに乗らない頑固な国情は、まだまだ日本の文化的鎖国精神の根強さも否めない。
この映画に登場する水俣市はとても美しい。水俣市民を苦しませる公害工場はSF映画のセットのよう。日本ではない場所で撮影された日本は、映画にファンタジーのフィルターを被せてくれる。
坂本龍一さんの劇伴も、旋律が主ではなく、心情に沿ったもの。冒頭で主人公がアメリカにいるときは劇伴はかからず、日本に上陸した瞬間から音楽が本領を発揮する。異空間に上陸した雰囲気を演出している。
実際の水俣市は、この映画の協賛に慎重な姿勢らしい。この映画が社会にもたらす影響への懸念。良い効果も充分予想されるが、映画公開によってさらなる差別感情が広まり、被害者を傷つけてしまうかもしれないとのこと。作品が政治的なテーマをはらんでいることの難しさ。確かに映画の製作意図が、ちょっとわかりづらいのは確信的か。
果たして映画が目指しているのは社会的告発か、一人の男の英雄譚か、御涙頂戴の感動作か? どれもが当てはまるといえば当てはまるし、そうでないといえばそうでない。扱うテーマがシリアス過ぎるからこそ、あえて作品のテーマをふわっとさせているのかもしれない。
「昔はこんなひどいことがあったんだ」と手放しに言いたい。この映画で描かれている社会問題はいままさに現代、日々の聞こえてくる不穏なニュースと驚くほど同じ。映画を観て感動の涙も流れるが、それよりも怖さを感じてしまう。自分たちもいつ、この映画のような被害者の立場になってしまうのかと思わずにはいられない。映画『MINAMATA』が、コロナ禍に公開されたことに意味がある。
ジョニー・デップ演じるユージンは、第二次大戦中、沖縄戦の撮影をした戦場カメラマン。戦争体験によるPTSDと、それによるアルコール中毒で苦しんでいる。登場した瞬間から死亡フラグが立っている。正義感に満ちた主人公が、理不尽な目に遭う市井の人々を救うため、告発に立ち上がるような、陳腐な正義漢の物語ではないところが興味深い。
水俣の人々を演じる役者さんたちは、ハリウッド映画にも多数出演している名優ばかり。聞き取りやすい美しい熊本弁と、言葉以上の演技をしている。日本語がわからない海外の観客も、役者さんたちの演技の素晴らしさは伝わるだろう。
水俣病の公害問題は、自分はなぜかよく知っていた。当時小学校で水俣病についての授業をかなり詳しく受けたような記憶がある。ユージン・スミスの水俣病の写真集の発売が1980年ということなので、当時話題になったのかもしれない。
水俣病の飛び跳ねて悶え苦しむ患者の姿の映像が、トラウマ的に記憶に残る。映画でもそんな怖い場面があるのではと身構えていた。作品はショッキングな描写を極力避けている。
主人公ユージン・スミスのパートナーであるアイリーンさんは、自分の親世代。そうなると第二次大戦も公害問題も、それほど遠い昔の話ではない。「この映画は史実に基づいた作品ではあるけれど、実際には起こらなかったエピソードも作中に織り込まれている」と、アイリーンさんは語る。作品がエンターテイメント作品である以上、演出のためフィクションも交えていることは、あらかじめ観客側も心得ていなければならない。
ユージン・スミスは、自身も戦争による障害に苦しんでいる。公害被害によって障害を受けた子どもたちへの当事者意識があったと思う。ユージンが若かりし頃、戦場カメラマンで活動している姿より、多くの痛みを背負った彼の方が魅力的。棺桶に片足突っ込んでいた彼だからこそ、心を揺さぶる水俣病の記録写真が撮れたのだろう。
大きな災害が起きたとき、最初に被害に遭うのはいつも弱者。マイノリティの苦しみは、声を上げなければそのまま無かったものとされてしまう。デモの場面はものものしく恐ろしい。それは彼らの悲痛の叫びだと映画を観ていれば理解できる。エンディングでは、世界各国での人災による被害の様子も紹介されている。この映画は日本で起こった事件を描いているが、世界中に似たようなことが今も進行しているのがわかる。社会的弱者が悲痛の叫び声を上げなくても、お互いが寄り添い合える社会はいつやってくるのだろうか。世界は確実に良い方向に向かっているとは思うけど……。
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