『サトラレ』現実と虚構が繋がるとき

昨年、俳優の八千草薫さんが亡くなられた。八千草さんの代表作には、たくさんの名作があるけれど、なぜか私の印象に強く残っているのが『サトラレ』という映画。製作年が2001年だから、もう19年も前の映画。そりゃあ自分もまだ20代。確かに若い時に観た。歳をとるのは早いものだ。
映画『サトラレ』は、本広克行監督の作品。当時『踊る大捜査線』の大ヒットで、次回作が注目されていた若手監督だった。『踊る大捜査線』の演出の雰囲気をそのまま継承している。
安藤政信さん演じる主人公の青年・健一は医学生。健一本人は知らないが、彼は天才的能力を持っている。国益に影響を与えるくらいの稀代の才能。ただこの天才にはとんでもない副作用がある。彼が頭で考えたことが、そのまま周囲の人に伝わってしまうのだ。周りの人たちは、健一の頭の中の声に気づきながらも知らん振りを演じ続ける。国の経済に関わる天才なので、まさに国家ぐるみで彼を守ろうとする。でもそんなことは健一本人ひとりだけ知らない。頭の中の声が周囲に聞こえてしまう人物を『サトラレ』と呼ぶ。アイデアが面白い。
サトラレ自身が、自分がサトラレであることを知ってしまったら、社会で生きていけなくなる。将来国の経済に貢献する発明をするであろう天才が、その才能を発揮する場を奪ってしまったなら、その人は犯罪者になってしまう。映画はサトラレの青年の頭の中の声に気づきながらも、気づかない振りを徹底して演じ続けなければならない人々との、国を挙げた大嘘つき大会になっていく。設定はSFだけど、楽しいコメディ映画。
この悲しき天才の主人公健一の祖母を八千草薫さんが演じていた。健一には両親がいない。幼少期に飛行機事故に遭い、そこで両親を亡くしている。頭の中の声が聞こえるサトラレだったおかげで、健一だけが助かった。だからおばあちゃんが親代わり。
普段は大人しい健一青年が、おばあちゃんだけには甘えて、乱暴な口をきくところがリアル。おばあちゃんが大好きな気持ちを、素直に伝えられない幼稚性のもどかしさ。
実際に天才と言われる人々と会うと、その才能ゆえの弊害というのをよく聞かされる。人ひとりの持てる能力なんて限界がある。何かに特別秀でた能力を持つ人は、凡人が普通にできる当たり前のことが出来なくて苦労している。これでは才能なのか弊害なのかわからなくなる。
「あの人は能力があるけど変わってるね」と言われる人たちは、むしろ普通の人に憧れる。誰も好きでエキセントリックになったわけではない。だからこそ普通の人が、天才のマネすることの愚かしさも同時に感じる。
考えてることが周りに伝播してしまう障害はこの映画のフィクションだけど、これはまさに天才と呼ばれる人へのメタファーだ。
八千草薫さんの話へ戻る。実は私の祖母は、八千草薫さんにどことなく似ていた。この映画を観た頃は、すでに他界していたのだけれど、生前の祖母は、父親のいなかった私にお小遣いをくれる唯一の存在だった。母親とは違う距離感があって、幼少期に甘えられる数少ない大人だった。
この映画での八千草薫さんの登場場面で電撃が走った。八千草さんのおばあちゃんが、日本舞踊の先生だったからだ。死んだ私の祖母が、まさに日本舞踊の師匠さん。スクリーンの向こうにおばあちゃんがいる。そんな衝撃だった。
子どもの頃、親に連れられて、祖母の日本舞踊の発表会に何度か行ったことがある。その頃の私にはよくわからないパフォーマンスだった。そしてそのステージに立つことの価値がどれほどなのかも理解していなかった。
祖母の葬式は盛大だった。一般の家での葬儀なのに、数百人が参拝していた。おばあちゃんのことを「先生、先生」と呼んで泣いているおばさま達が大勢いた。そのとき初めて、おばあちゃんは偉い人だったのだと知った。もっとちゃんとおばあちゃんのパフォーマンスを見ておけば良かったと後悔した。
映画のネタバレになるが、作品の重要な場面で、おばあちゃんが健一青年に言う。「あなたがいい子なのは、みんな知ってるからね」
健一青年の悶々とした頭の中の声を、毎日ずっと聞いてきたおばあちゃん。不本意ながら嘘がつけない彼のことをずっと見守ってきたおばあちゃんの最期の言葉。映画を観ていて、私自身が死んだおばあちゃんから直接言ってもらったような気になってしまった。
それまで私は、映画を観て泣くなんてことはほとんどなかった。映画や物語は所詮つくりもの。割り切って観ていた。だからカメラワークがどうとか、ストーリーにテンポがあるとか、そんなことばかりに着眼していた。映画が自分の人生に影響を与えるなどとは夢ゆめ思いもしなかった。それ以降、映画を観て泣くことが増えていった。
歳をとると涙もろくなるとはよく聞く話だ。これは涙腺の劣化で、ただ涙もろくなったわけではなさそうだ。
人間生きていると、いろいろ経験を積んでいく。ある意味人生の引き出しが増えていくようなもの。映画やら小説など、誰かの創作での物語であっても、自分の人生とシンクロする瞬間が増えてくる。それは、人生が豊かになってきたことなのかも知れない。
マンガ原作ばかりになってしまった昨今の日本映画。『サトラレ』公開当時はまだ、マンガ原作モノは主流にはなっていなかった。だから原作がどうのとか気にして観ていなかったような気がする。純粋に流行映画として楽しんでいた。『サトラレ』のマンガ原作も、最近まで続いたいたらしい。
自分の人生とフィクションを重ねて作品を観ていく。本来なら誰もが当たり前のような映画鑑賞の姿勢だが、私はそれが出来ていなかった。もうこれからは映画でどんどん泣いてやろう。そんな気持ちにさられる映画だった。泣き虫で何が悪いってね。
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