『デューン/砂の惑星(1984年)』 呪われた作品か失敗作か?
コロナ禍で映画業界は、すっかり先行きが見えなくなってしまった。ハリウッド映画の公開は延期に次ぐ延期。世界の映画産業はすっかり止まってしまった。それに引き換え日本の映画館は、『鬼滅の刃』の大ヒットもあって、ちょっと世界とは様相が異なる。日本の映画館での上映プログラムは、国内完結型の邦画作品ばかりラインナップされている。海外作品が好きな自分にとっては、映画館自体に興味が遠のいてしまう。
ドゥニ・ヴィルヌーヴの最新作『DUNE』がもうじき公開予定。今後のハリウッド映画がどうなっていくのかは誰にもわからない。ワーナーは『ワンダーウーマン1984』のリリースは、劇場公開と配信を同日から開始するらしい。『DUNE』も同じワーナー作品。このワーナーのリリース方法に、製作陣から総スカンを食らっている。今後どうなるか、動向に注目だ。
フランク・ハーバートのSF小説『デューン』は何度も映像化が試みられている。ドキュメンタリー映画『ホドロフスキーのDUNE』では、アレハンドロ・ホドロフスキー監督が、この原作の映画化に挫折した経緯が語られている。そして1984年にデヴィッド・リンチ監督で映画化している。でもこのリンチ版『デューン』ついては、映画ファンの間でもあまり語られることはない。リンチの作品の流れからすると『エレファントマン』と『ブルー・ベルベット』、『ワイルド・アット・ハート』の頃に発表した作品。ノリに乗ってる時期の作品。ズバリ言ってしまえば、失敗作扱い。自分も公開当時にリアルタイムで観ていると思うが、ほとんど記憶に残っていない。
怖いものみたさでデヴィッド・リンチ監督の『デューン』をあらためて観てみた。こちらは1984年に製作された映画、1994年には再編集版も製作されたらしい。自分のデヴィッド・リンチとの出会いは『エレファントマン』。感動作という謳い文句だったけど、その映像美のほうが印象的だった。障害を持った主人公の理不尽な現実を描かれて不快感こそすれど、感動にはつながらなかった。今で言う感動ポルノに当てはまる。別の意味で問題作になりそうだ。
のちに自主制作でつくった長編第1作『イレイザー・ヘッド』を観た。なんだかこちらの方が『エレファントマン』よりしっくりときた。まだ10代だった当時の自分は、突拍子のない悪夢的な映像表現に、新鮮なショックを受けた。20年以上過ぎて、自分が親になってから観直すと、『イレイザー・ヘッド』は育児鬱の心象風景を描いているのがわかる。普遍的なテーマで、突拍子のない世界などではない。リンチはカルト監督だけど、あるポイントに気づけば、道理に沿った作風なのだと気づいた。つくづく『エレファントマン』は雇われて作った作品なのだと気づく。「『イレイザー・ヘッド』のビジュアルで感動作つくってよ」と、当時のプロデューサーの嫌らしい声が聞こえてきそうだ。
デヴィッド・リンチ版の『デューン』は、悪役がとにかくおもしろい。シンガーのスティングが殺し屋の役をノリノリで演じてる。まるで『ブレードランナー』のルトガー・ハウアーのような、キレッキレの悪役だ。いちシンガーとは思えないような、鍛え上げた身体を見せつける。もうこれだけでこの映画は観る価値がある。
そしてもう1人、伯爵と呼ばれてるデブのおじさん。肥満が行き過ぎて、自分で移動できないのでプカプカ浮いてる。脂ぎって肌もボロボロ。大声で笑いながら天を舞う。醜い。でもなんだかとても楽しそう。映画やドラマの悪人はとにかく笑う。自分の野望を叶えるという目標を持ち、いつも笑っている。なんてポジティブ。悪人でいるほうが健康に良さそうだ。幸せそうな悪人をみると、普段は絶対にそんな風に生きられないので、ストレス解消になる。
あと黒幕で巨大な芋虫みたいな宇宙人が出てくる。そいつも非常に気になる。映画は説明不足なので、そういつが何者なのかサッパリわからない。もう理屈は超えている。考えなくていいのだ。
カイル・マクラクランが演じる主人公もよくわからない。というか、苦悩している主人公は、観ていてこちらも暗くなる。感情移入したくない。デヴィッド・リンチは、狂気の悪役にしか興味がない。もう原作の完全映像化は早々に諦めている。
「君は選ばれし者だ」と言われている主人公のSFやファンタジーは、前世紀の定番だった。観客や読者はどこか皆、自己肯定感が低い。みにくいアヒルの子のように自分を追い込んでいる。いつしか自分も白鳥になれるのではと、仄かな期待を胸に秘める。ボクも「選ばれし者」なのだと現実逃避。でももう選ばれし者の物語なんて見たくもないし、信じられない。
人の尊厳を無視してきた今までの社会。それを変えていこうとする動きが、年々世界的に育ってきている。ちょっと前に流行った歌謡曲ではないが、誰もが「そもそも特別なオンリーワン」という考え方だ。世界的な不景気が長く続き過ぎて、経済や成功を追い求めて頑張っても、成果が出なくなってきたからだろう。
ただがむしゃらに頑張ったり、無理矢理成功にこじつけようとしたりすると、誰かを蹴落とさなければやっていけない。もしくは、ただただその頑張りを、権力者に搾取されて疲弊するだけ。現代では、経済や成功に向けて頑張るより、もっと大切なものを見出さなければ生きていけない。足元を見つめよ。
2000年代に入ってから、ファンタジー作品の主人公たちの人生の選択肢が変わってきた。選ばれし者と言われた主人公が、普通の人として生きていくことを選ぶ。伝説の英雄になるよりも、ささやかな幸せを選択する。『ハリー・ポッター』や、日本で大人気の『鬼滅の刃』の炭治郎がそれ。現代的な主人公たちの行動を通して考えさせられる。出世することや、誰かに認められることが本当の幸せではないと。『ハリー・ポッター』や『鬼滅の刃』の作者が女性なのも意味がある。
ボクもオンリーワンかもしれないけど、周りのみんなも同じくオンリーワン。「自分だけは特別」なんて考え方は利己的だ。これからは多様性の時代。いろいろあって、認め合いながら社会を育てていく。誰か特別な1人が救世主になって、社会の仕組みを変えるなんてことはない。みんなで工夫してつくっていく社会が理想だ。多様性を協調し合える世の中ならば、もう救世主なんていらない。
そうなると、今更『デューン』のような主人公の姿は時代遅れ。人は変わっていく必要もなければ、自分を無理に押し殺すこともない。それこそ、どこぞの国の陰謀説をのたまうよりも、今日食べたみかんが甘くて美味しかったことの方が重要事項だ。
ヴィルヌーヴは好きな監督だけど、今度の映画化も地雷臭しかしてこない。呪われた原作というか、そもそも映画化に向いてない企画なのだろう。題材が時代遅れで、暗い印象ばかりの『デューン』。プロデュース側のセンスが問われる。でもこのコロナ禍でハリウッド映画が激減した今だから、やっぱりヴィルヌーヴ版『DUNE』も楽しみにしている自分がいる。
デヴィッド・リンチ版の『デューン』は、驚くようなビッグ・バジェットで製作された偉大なる失敗作。ある意味とても贅沢な作品。リンチからしたら黒歴史かもしれないけれど、今だにカルト・ムービーとして密かにファンがいるのもうなづける。A級の製作費でB級映画が作られている。ちょっと珍味としてクセになりそう。まあそりゃあ万人向けではないのは確かだけど、そもそもSF映画が万人向けのジャンルではないのだから仕方ない。
企画の段階でかなり危険な道を選ぶハリウッドのプロデューサー陣の考えはいかに?
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